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瀧泉寺/目黒不動(2)(目黒区下目黒) [江戸の風情]

(1)からの続き
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本堂への石段を上がると、すぐ脇に狛犬がいる。ペロっと舌を出して愛嬌ありあり。
目黒不動は個性的な狛犬が多い。
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本堂。戦災で焼失したが、昭和24年に再建された。
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本尊の不動明王は秘仏で、12年に1度(酉年)開帳される。
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本堂の左側にいる狛犬。相方はいない。
こちらも丸目の愛嬌ある狛犬....だが、裏側は
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かなり破損している。戦災での破損だろうか?
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本堂の右側にある八大童子の山。
八大童子とは不動明王の眷属で、不動明王の功徳が童子の形となって顕現したもの。
仏教を修行する者や不動明王を信仰する者を守護し、魔を退けて、悟りに導く。
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八大童子の山の前にある袴付鐘楼。
鐘楼も戦災を免れたが、昭和26年に不審火で焼失し、現在のものは昭和40年に再建されたもの。
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本堂の裏に座している、銅造大日如来坐像。
1683年の建立で、元は堂内にあったが戦災で堂を焼失し、露仏となっている。
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青木昆陽の墓。
青木昆陽は飢饉対策として、サツマイモの栽培に取り組み、普及させた蘭学者。
戦災で大半の堂宇を焼失したが、徐々に復興してきた。
いまでも多くの参拝者が訪れるお寺である。

参考文献 訪ねてみたい東京のお寺
訪ねてみたい東京のお寺

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瀧泉寺/目黒不動(1)(目黒区下目黒) [江戸の風情]

目黒の地名の由来ともなっているのが、目黒不動の瀧泉寺である。
慈覚大師によって806年に開山した、関東でも最古の不動霊場。江戸初期に堂宇の大半を火災で焼失したが、
徳川家光が鷹狩りの際に本陣とした為、諸堂50棟も立ち並び、目黒御殿とも呼ばれるほどであった。
江戸の三不動、江戸の三富として、江戸そして東京屈指の名所であったが、空襲によって堂宇の大半を焼失し、
かつての荘厳さは失われたが、戦後再建され現在に至っている。
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門前にある、三福社。
山手七福神の恵比寿様を祀っている。
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三福社の横に鎮座している豊川稲荷。
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三門は、昭和36年に再建された仁王門。
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三門前にいる、愛嬌ありまくりな狛犬。
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三門脇にいる、タレ目なかわいいキツネさん。
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三門の裏側(仁王様の後ろ)にいる唐風の狛犬。
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垢離堂。
青龍大権現が祀られている。
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前不動堂。戦災を免れた、江戸中期建立の堂。
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こちらのキツネ様は、上目使いでこれまたかわいらしい。
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独鈷の滝と水かけ不動。
訪問した時は、このあたりが修理中で、他に勢至堂もシートで見れなかった。
慈覚大師が所持の独鈷を投げたところ、そこに泉が湧き、現在に至っているという。
平成8年に身代わり不動が造立された。
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本堂への階段脇の斜面には、キツネや狛犬、石仏が多く置かれている。
数多くあった堂宇にあったものを集めて、安置したのだろう。
参考文献 訪ねてみたい東京のお寺
訪ねてみたい東京のお寺
瀧泉寺(2)へ続く

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大鳥神社(目黒区下目黒) [江戸の風情]

山手通りと目黒通りが交差するところに鎮座するのが、大鳥神社である。
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本殿。
国常立尊を祀った小社だったが、日本武尊が東夷平定の際ここに立ち寄り祈願し、霊験が現れたことから、十握剣を奉納したという。
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神楽殿。
太々神楽の「剣の舞」「熊手の舞」が伝わる。
剣の舞は、十握剣を背負って八握剣を使って踊る舞。
熊手は、日本武尊が焼き討ちの難にあったときに、金属製の熊手を持って、火を防いたことからちなむ。
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大正5年に奉納された狛犬。
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切支丹灯篭。
目黒駅西側付近にあった肥前島原藩主松平主殿守の下屋敷に祀られ、密かに信仰されていたものと伝わる。
竿石下部にイエス像を仏像形式に偽装したものらしいが、見てもよくわからない。
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隣の大聖院の境内にも、3基の切支丹灯篭がある。
こちらも松平主殿守の屋敷内にあったものらしい。
大聖院は目黒不動滝泉寺の末寺で、大鳥神社の別当寺であった。
酉の市に行ってみようと思う。

タグ:神社
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蟠龍寺(目黒区下目黒) [江戸の風情]

行人坂を下りきり太鼓橋を渡って、山手通りに出た辺りに、蟠龍寺がある。
行人坂にあった称明院を、1710年に増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興する為に現在地に移し、
そのとき改名再建されたのが蟠龍寺である。
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現在の参道。「不許辛肉酒入山門」の結界石があるので、このあたりに三門があったのだろう。
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本堂。
本尊は阿弥陀如来像で、他に善光寺式阿弥陀三尊像が安置されている。
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本堂の右横に岩窟があり、弁財天が祀られている。
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岩屋弁天と呼ばれている石像の弁天様である。
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岩窟の岩屋弁天様の他に、弁天堂がある。
この地は江戸城の裏鬼門にあたり、その鎮守の為、弁天様が祀られているという。鬼門、裏鬼門とも水関連を忌む為、水(川)の神である弁財天を祀って、封じているのだろう。
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堂の内部。
木像の弁天様を中心に、毘沙門天、大黒天が祀られている。
左の像は何だろう??
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弁天堂の裏手に「おしろい地蔵」が安置されている。
この地蔵様の顔におしろいを塗ると、顔の病気が治ったり、美肌になると言われている。
非常に居心地のいい寺だったよ。
ちなみに、江戸名所図絵にも描かれている露座の阿弥陀如来坐像は、明治初期に荒れ寺となっていた頃に海外に流出し、現在はパリにあるチェルニスキー美術館が所蔵しているとのことだ。

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大円寺(目黒区下目黒) [江戸の風情]

目黒駅から行人坂を下る途中にあるのが、大円寺である。
大円寺は1624年に大海法印が修行道場を開いたことに始まる。
門前の坂の「行人」とは、出家せずに在家のまま修行する者のことで、
その行人が多く往来していた為、行人坂となった。
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坂に面してある堂。
確認し忘れたが、阿弥陀堂か?
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脇には弁財天の石像あり。
境内に入ると左側に五百羅漢の石像群が広がっている。
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1772年にこの大円寺から出火した火が、江戸東半分を燃え尽した大火となった。
火事の原因は放火であったが、寺の再建はなかなか許されず、やっと許されたのは70年も後のことであった。
再建までの間、大火の犠牲者の供養の為、五百羅漢像が造っていたのである。
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大黒堂。山手七福神の1つで、大黒天を祀る。
また江戸三大黒の1つでもある。他の大黒天は伝通院、護国院。
堂に安置されている弁財天、釈迦像は隣にあった、明王院に安置されていたものだが、明治に廃寺となり、大円寺に移されたという。
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堂の前には、七福神が勢ぞろいしている。
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薬師如来像。
悪いところに金箔を貼って、祈願する。
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道祖神像。境内には、五百羅漢像以外にも多くの石像が安置されている。
元は石仏の蓮の台座だと思われる石塔の上に乗せられた、狛犬の頭。
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なんとも言えない合わせ技である....
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西運の石碑。西運は、八百屋お七の恋の相手とされる人物吉三で、お七が処刑された後、出家して明王院に入門したとされる。
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阿弥陀堂。本尊の阿弥陀三尊像は、明王院が廃寺になった際に、大円寺に移された。
五百羅漢像が圧倒的な寺であるが、それにはそれなりの歴史があるわけである

お七火事の謎を解く (江戸東京ライブラリー)
黒木喬著
431635860X

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目黒白金の寺社巡り [江戸の風情]

今回の大江戸Walkerは、目黒白金エリアである。
当初は目黒駅の西側のエリアだけの予定であったが、そのエリアだけで山手七福神の半分を巡ったので、時間もあったことだし、そのまま制覇することにした。
ついでというか、勢いにまかせてというか、最後の覚林寺からちょっと歩けば泉岳寺なので、そのまま向った。
結果的に結構歩いたが、観光化した巨刹から静かな名刹、古刹など、非常に見所の多いエリアだと実感した。
ぶらりと歩くにはいいコースではないかと思う。
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大円寺(明和の大火の火元で、供養の為につくられた五百羅漢石仏のある寺)
蟠龍寺(山手七福神の弁財天)
大鳥神社(区内最古の大鳥神社)
目黒不動/瀧泉寺(江戸有数の巨刹)
海福寺(永代橋が落ちて亡くなった人の供養塔がある寺)
五百羅漢寺(江戸時代の名所深川の羅漢寺)
妙円寺(山手七福神福禄寿、寿老人)
瑞聖寺(山手七福神布袋尊。都内では唯一の黄檗建築が現存)
覚林寺(加藤清正を祭る。山手七福神毘沙門天)
泉岳寺(浅野内匠頭や赤穂浪士の菩提寺)

*)大江戸Walkerとは....
江戸時代に作られた地図「江戸切絵図」を参考に歩き、東京に残る江戸の風情探訪のこと。
ひたすら歩いて、健康にもGoo!

ルート参考文献
切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩
切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))
江戸切絵図の『目黒白金図』を参考にした。
この本の良いとこは、江戸から現存する寺院、坂、道を現在地図に記載してくれているところだ。
良くも悪くも説明しているのは代表的なものだけなので、その他は行って見てのお楽しみとなる。
都内の教育委員会は、結構説明板を設置してくれているので、これも楽しみの一つとなっている。
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神田橋御門(千代田区) [江戸の風情]

日比谷公園から本郷通りを歩く。江戸城の馬場先門や和田倉門跡に寄りつつ、神田橋へ向った。
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日本橋川に架かる神田橋。
今は風情も何も無い、至って普通の現代橋。しかも川の上には首都高が走っており、味気なさを倍増している。オリンピックに間に合わす為とは言え、後先考えない公共事業は、昔からの伝統らしい。
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首都高への入口の下に、辛うじて石垣が見える。
神田橋は、江戸三十六見附の一つ、神田橋御門があったところで、おそらくその門の石垣の一部だと思われる。
枡形門は秋田藩主佐竹氏によって、1629年に造られた。
この門は、将軍が徳川家の菩提寺である寛永寺や東照宮へ参拝する際に通行した御成門で、厳重に警備されていた。ここの警備は、7万石以上の外様大名か国持大名の分家筋の3万石以上の者が担当したという。
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神田橋の傍に建っている不思議な像。
豊展観守像と言う名の、こがねむしが擬人化したもの。
こういうポンチな像は好きだな(w
どうやらこの像は、女性らしい...

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日比谷見附(千代田区) [江戸の風情]

日比谷公園の駅寄り(日比谷濠の向いの交番のあたり)に石垣が築かれている。
江戸城防衛の為に造られた枡形門で、江戸三十六見附の一つ、日比谷見附跡である。
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先の画像の反対側から見てみる。打込みハギ布積の部分が櫓門の石垣だったところ。
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石垣の西側、現在「心字池」となっているここは、濠であったところ。外堀は、関東大震災や戦災の残土でほとんど埋め立てられてしまい、道になってしまっているが、このようにかろうじて残っているところもある。そう、江戸は水の都だったのだ。
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日比谷見附跡から続く石垣の反対側。
石垣の上はベンチが設置されており、休息スペースになっている。
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石垣を見ると、すだれ仕上げのようなものを発見。すだれ仕上げは、石垣の表面仕上げで、江戸城ならではかも。ただし、左下の掘りは家紋っぽいので、違うかもしれない。
ただ、日比谷御門の普請は仙台藩伊達家が担当したので、力入っていたとも言える。
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見附跡向いの日比谷濠。
家康が江戸に入ったころは、このあたりは日比谷入海と呼ばれており、その名の通り海だったのである。
奥が桜田門。
日比谷公園では農産業関連のイベントやコンサートが行われており、非常に賑やかであった。出店やフリマが多く出店しており、じっくり見て回りたかったが、先を急いでいたので、今回はパスした。

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虎ノ御門(港区虎ノ門) [江戸の風情]

銀座線虎ノ門駅を降りる。地名となっているこの近辺には、江戸城の三十六見附の一つ、虎ノ御門があったことから名付けられた。
虎ノ門自体の名前の由来は諸説あるが、これだといったのが無いらしい。
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枡形の城門は、完全に破却されており何も残っていないが、虎ノ門付近の外堀の石垣の一部が、文部科学省の敷地内に残っている。
外堀の石垣による整備は、3代将軍家光のときに、江戸城の総仕上げとして築かれた。
近くで見ると、「丸に矢筈」の家紋が彫ってある。
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この家紋は、この石垣の造営を担当した佐伯藩毛利家のもの。
庭瀬藩戸川家が担当した箇所の境界線らしく、戸川家の家紋もあるらしいのだが、よくわからなかった。
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先の石垣の近く、教育会館の前にある石垣。
こちらは江戸時代のものではなく、江戸時代の石垣の上に造られたものとのこと。
この日はデジカメにバッテリーを入れ忘れるという、バットネイチャーなことをしてしまい、致し方なくiPhone内蔵ダメダメカメラで撮った為、微妙な画質である....

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赤坂見附(千代田区紀尾井町) [江戸の風情]

有楽町線、南北線、半蔵門線の各有楽町駅、丸ノ内線の赤坂見附駅と地下鉄の駅が密集しているエリアがある。その地上には国会議事堂があり、現在の政治の中心地である。
江戸時代はこの辺りは江戸城の外郭部で、大名屋敷が立ち並んでおり、また江戸城を防衛する為、赤坂見附(赤坂御門)が設けられていた。
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説明板にあった明治初期の古写真。
この時期には、二の門の櫓門は破却されている。
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一の門の高麗門脇の石垣と枡形の城壁の石垣。
現在はR246が突っ切っており、石垣は左半分しか残されていない。
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枡形の内側の石垣。
赤坂御門は1636年に福岡藩主黒田忠之によって石垣が造られ、1639年に普請奉行の加藤正直、小川安則よって門が完成した。(千代田説明板より)
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枡形の内側から見る。
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枡形の城壁の石垣。
この真下は、弁慶濠である。
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弁慶濠。家族やカップル、釣り人等、憩いの場となっている。弁慶濠は、掘割工事を請け負った弁慶小左衛門にちなんで名付けられた。
赤坂御門を挟んだ反対側の溜池は、埋め立てられて現存しない。

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