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宇和島湾防衛の樺崎砲台 [城]

宇和島城から車で5分程度のところに、1855年に造られた樺崎砲台がある。
宇和島歴史資料館の隣にあり、車は資料館の駐車場に停めさせていただく。

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以前は海に面した砲台場であったが、現在は周辺を埋め立てられて、空堀になっている。

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裏側に回ってみる。
木柵で囲われ、冠木門も閉じられている。
中に案内版が見えるので、これは入っていいと判断し、中に入る。

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砲眼は1つしか残っていない(復元?)が、5門設置されていたらしいので、砲眼が5個あったと思われる。

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砲眼は内側を石垣で外側を土塁(コンクリートになっているところ)の構造。
以前はレプリカ砲が台場の脇に設置されていたらしいが、今は無いです。
定位置に設置すれば様になるのだが。。。。

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隣の歴史資料館の2階ベランダから見たところ。
空堀ではなく、水堀のほうが台場としては様になると思う。

この砲台は宇和島湾防衛目的で作られたが、結局はイギリス艦船の寄港に対する、祝砲として使われただけである。
タグ:愛媛県
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台湾の古都台南巡り③ [城]

台南2日目午後

安平地区から一旦ホテルに戻り、一休みして台南駅の西側エリアを歩いて、いろいろ巡ってきました。

忠義路一段を歩きます。

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鄭成功祖廟。
屋根の上にある、頭が龍で体が魚の生き物は、龍の子供の螭吻(チフン)ですかね。
日本でいうところのシャチホコ。

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林百貨。
日本人の林方一が1932年に創業したデパート。
2014年に修築され、いまでも現役バリバリである。

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その向かいにある、土地銀行台南支店の建物。
旧日本勧業銀行台南支店。RC製のアメリカンボザール様式でしょうかね。

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台南地方法院。
1912年に台南地方裁判所として建てられたバロック様式の建物。
中は建物と裁判所の資料館になっている。

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ドーム下のエントランス部分。
非常に重厚な内装。

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留置場もあり、実際に中に入れる。
みんな中に入ってはしゃいでいた。

台湾府城大南門に向かって歩きます。
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台湾府城大南門。

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こちらの門は桝形門のようになっている。
城門は14あったらしいが、このような防除空間のある門はここだけとのことだ。

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大南門の公園内にある台南放送局の建物。
戦前のラジオ放送局で、1932年竣工。

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入場無料。放送機材が展示してあった。
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2階の畳の部屋に、民族衣装が並んでいたが、意味は不明。

次に向かったのは、大南公園から10分程度歩いたところにある、延平郡王祠。

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1874年に創建された、鄭成功を祀る廟。
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笠木の無い鳥居は、戦前に開山神社となっていた名残。
これまで回ってきたところにあった売店では常に売り切れだった、鄭成功チップスがここでは売っていたので2袋購入。土産としてあげたので、味はわかりません。。。。

孔子廟に向けて歩きます。
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孔子廟の東門の前にある府中街。

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通り自体は短いが、インスタ映えしそうなお洒落な店やレトロなお店が多い。

道を渡って、孔子廟へ。
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中では演奏会が行われおり、非常に賑やかだった。
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1665年に創建された、台湾最古の孔子廟。
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手前にいた団体に、ガイドさんが上を指さして何か説明していたので、とりあえず撮った写真。
清朝皇帝8代の額と中華民国歴代総統5つの額らしい。
一番右の「有教無類」は蒋介石のもの。

文廟のエリアだけ有料で、このエリアを一通り見たので出ようとしたら、ガイドのおばちゃんに声を掛けられた。こちらが「?」って感じでいると、日本人とわかったらしく、片言な日本語を話し始めた。
話は、アレ見た?といろいろと聞かれたが、言われたところはすべて見ていたので、
「見たよ」と答えていたら、

ここには来たのは何回目?と聞かれたので、初めてと答えたら、ビックリされた。
その後は孔子廟だけでなく、他のところに行ったかと聞かれたので、行ったところの説明と感想をいってたら、台南は何回目?と聞かれたので、初めてと答えたら、まだビックリされた。

そのうち、昭和天皇が訪問された時の写真が展示したあるのを見た?と聞かれたので、
「それは見落としたのか、見てないですね」と答えると、じゃあ見に行こうと連れてってくれました。
そのほか、いろいろなことを教えて頂いて、今度台南来たときは美味しいお店に連れてってあげるから連絡しなと、名刺をいただいて別れました。

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孔子廟の西側にある、武徳殿。
1936年に建てられた武道場で、戦後は小学校の施設として使われて現在まで至っている。
日本でもここまで大きな戦前の武道場は無いのではと思う。
訪問した際も、中から剣道の竹刀の音が鳴り響いていたよ。

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武徳殿の向かいにあるのが、1925年に建てられた台南山林事務所。
現在は葉石濤文學紀念館となっている。

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1916年に建てられた台南州庁舎。
戦後は、中華民国空軍司令部、台南市政府庁舎として使われ、現在は国立台湾文学館。

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国立台湾文学館の前の台南消防局。
1938年に警察との合同庁舎として建てられたもの。
残念ながら、現在は修築中でした。

この後は、ホテルに戻って、ちょっと休憩でテレビを見てたら寝落ちして夜の10時でした。
神農老街に行こうと思ってたが、連日の歩きで疲れたので、シャワー浴びて寝ました。

次の日は帰るだけなので、遅めに起きて、ホテルで朝食を取る。
その後、高鐵台南駅へ向かい、桃園までの新幹線チケットを購入。
希望の時間のチケットが満席が取れなかったので、時間つぶしに、駅のスタバでまったりした。
桃園駅からは、MRTで機場第一航廈(第1ターミナル)駅へ。

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チェックインまで昼飯を食べたりして、時間をすごして帰国しました。
タグ:台湾
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台湾の古都台南巡り② [城]

台南2日目
ホテルで朝食をとる。

午前中は、郊外の安平地区へ向かうべく、フロントでタクシーを呼んでもらった。
安平古堡までは10分位で到着。
タクシーから降りたころから小雨が降りだしたので、向かいのファミマで折畳み傘を購入した。
晴れ男の自分にしては珍しい。。。のだが、安平古堡を回った頃には雨は止んだ。

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安平古堡(アンピングーパオ)
元は、オランダが東アジア貿易の中心として1633年に築いたゼーランディア城。
1662年に中原反攻の拠点とすべく、明朝の鄭成功が侵攻し、オランダを台湾から駆逐し、その後の鄭政権がここで政治を行っていた。
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オランダ時代には、稜堡式の内郭と四角の外郭が一部重なるような縄張りだった。
今の展望台が建っているところが内郭。

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外郭の外壁が一部残っている。
廃墟感満載で、いい意味で怪しげ。

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安平古堡の隣に建っている、安平開台天后宮。
台湾最古の媽祖廟。
媽祖は航海、漁業の安全を司る神。日本でいうところの宗像神社や厳島神社の宗像三女神ですかね。

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安平古堡から北へ5分くらい歩いたところにある、徳記洋行。
イギリス人が作った貿易会社の建物。

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徳記洋行の裏にある倉庫の安平樹屋。
ガジュマルに覆われて、ほとんど廃墟だが、観光資源としてしっかりと活躍中だ。

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徳記洋行に行く途中にあった、おしゃれな古民家カフェのStayCafe。
石碑から推測すると、三菱商事関係の建物だったのだろうか。

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StayCafe向かいの、ちょっと派手な鄭成功像。

ここから海岸線沿いに南下します。
するとレンガの構造物が見えてくる。

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1840年にアヘン戦争時に台湾防衛の為に造られた安平小砲台。

安平古堡から南に歩くと、三級古積の妙壽宮がある。
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庇部分が何とも無粋ですね。

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ここから橋を渡って、億載金城に向けてひたすら歩く。
余裕で歩いて行けると思ったら、なかなか到着せず、バスで行けば良かったと後悔したよ。
案内板のマップは、かなりデフォルメされています。

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途中で、林黙娘公園の巨大媽祖像を見る。
林黙娘とは、媽祖の本名らしい。

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公園の隅にある台湾成功号。
鄭成功時代の復元船なのかわかりませんが、微妙に寂しい展示でした。

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公園から5分くらい歩いたところに停泊している、元アメリカ海軍の駆逐艦サースフィールド。
77年に退役し、その後台湾で「徳陽」として2005年まで現役で、2度目の退役後は、ここで観光艦となっている。

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徳陽艦の道路挟んだ向かいに億載金城がある。
ただ、入口である正門は真逆の位置なので、ひたすら歩く。
林黙娘公園にさしかかった辺りから、タクシーの姿を全く見ないので、ちょっと焦る。
というのも、市内へ戻るのにタクシーを使う予定だったからだ。

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入口に到着。50NTDを払って入城します。
築城の際、レンガは退廃していた安平古堡から運ばれてきたとのこと。

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1874年の日本の台湾進攻のときに、安平の海防強化の為に造られた稜堡式の砲台。
フランス技師が設計したとのことだが、海防の砲台としては、稜堡式砲台は時代遅れな築城だと思う。

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口径25.4mmのアームストロング砲のレプリカ。
すごくインパクトあり。そして子供もはしゃいで遊びまくっている。
やっぱ砲が設置してあると、様になるな~

市内に戻ろうとするが、タクシーの姿がない。来ない。
駐車場を整理しているおはさんに、英語で台南駅行のバス停の場所を聞いたら、親切に教えてくれました。ただ、おばさんは英語はわからなかったが、「バス」と「to TAINAN STATION」でわかったらしい。
バス停はすぐ目の前で、しかも台南駅行きはあと10分で来ると表示されていたので、安心してバス料金の18NTDを握りしめて待つ。(待っている間にスマホで、料金と後払いか先払いか、前乗りか後ろ乗りかを調べて用意は万端でした)
が、10分しても来ない。さらに10分待っても来ない。。。。と、そのとき、億載金城までお客を乗せたタクシーが帰ろうとしたので、即拾ってホテルまで戻りました。
タクシーにホテル名と住所をスマホで見せているときに、後ろからバスが来てました。。。。。

辛抱って大事だね。

2日目午前おわり。
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台湾の古都台南巡り① [城]

金曜日に有給をとって、台湾の古都台南にさくっと行ってきました。

エクスペディアで航空券とホテルと予約。
木曜の22時成田発、1:30に桃園着の便を取ったので、
会社は定時ダッシュし、宿泊は桃園空港近くのホテルにしました。
次の日から観光開始。

朝食を取ってから、台南へGO。

・・・だったのだが、ホテルのフロントで高鐵(新幹線)の桃園駅へ向かうためにタクシーを呼んでもらったのだが、着いたのは台鉄の桃園駅。
いきなり出鼻をくじかれました。。。

タクシーを捕まえて、スマホのメモで「高鐵桃園駅」を繁体字で伝えて、無事高鐵桃園駅に到着。
タクシーは英語や中途半端な発音の中国語はわからないことが多いので、繁体字で行先やホテルなら住所を見せるといい。

台南までの新幹線のチケットを、窓口にて購入する。カタゴトの英語でOKです。
自販機でも購入可能。こちらも英語表示で操作できますので、お好きなほうで。

新幹線に乗って、1時間ちょいで高鐵台南駅に到着。
ここから、隣接している台鉄沙崙駅から台南駅へ向かいます。
約25分で台南駅に到着。運賃は35TWD(1TWD=3.7円)

まわる物件の少ない東エリアから先にまわりました。
まず向かったのは、国立成功大学の北東部に残っている、台湾府城の城壁。
ちなみに成功とはサクセスではなく、台湾の英雄の鄭成功が由来です。

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台湾府城城垣小東門。1788年築。
小ぶりではあるが、すごく雰囲気のいい城門。

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レプリカの砲が2門。
台湾の城跡には、このような砲のレプリカ設置率が非常に高いです。
校内には、戦前からの建物があるので、それを見に行く。

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国立成功大学の光復校舎。
元は台南高等工業学校校舎で、その後日本軍歩兵第二連隊営舎となった建物。

次に戦前の知事官邸に向かう。
ここで急にトイレに行きたくなり、観光地であればトイレくらいあるだとうと思い、知事官邸へ急ぐ。

間に合いました。。。
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旧台南知事官邸。1900年の建築。
コロニアル様式の洋館で、皇太子時代の昭和天皇も宿泊した建物。
建物のビジュアルがインスタ映えするので、とにかく写真撮る人が多いです。

線路下の地下道を通って、西側へ。

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台湾府城隍廟。1699年に鄭成功の息子の為に建てられた、台湾最古の城隍廟。
自分が古刹な廟に行くと、修復中であることが多い。。。。
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台南は街中に観光スポットの案内板が結構設置してあって、それを見たら東側に城門と砲台跡が書かれていたので、台南知事官邸までもどって、城門方向へ向かったよ。

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台湾府城大東門。
1736年の建築だが、当時のものは、基部分だけだと思う。
それにしても、城門の広場にあった謎の牛の像が気になる。
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砲台跡に向かうが、道を1本間違ってしまい、なかなか見つからない。
細い路地を進んでいくとありました。

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台湾府城巽方砲台。1836年の建築。
やっと見つけたわりに、残念な風貌でちょっとガッカリしかけたが、修繕院という寺の境内に入って、建物の裏に回り込んでみたら、なかなか味のある建物で、ニヤリとしたよ。
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先の写真の小さい穴が銃眼。

また西側に戻るべく、台南駅に向かった。
途中ですごく腹が減ったので、セブンイレブンで台南焼きそばを買ってたべる。

ちなみに台湾のコンビニはビニールが有料です。温めてもらうときは、Hot PleaseでOK。
西側に戻るべく、台南駅に行き、そこから予約していたケンブリッジホテルへ向かう。
漢字では、剣橋大飯店。なかなかストレートな訳だと思う。

ホテルでチェックインし、軽装になって、また出かけた。
チェックインの際、最初は英語で話していたが、日本語がOKだったので、以降は日本語オンリーで。これまで台湾で泊まったホテルで日本語が通じないところは、いまのところ無いです。

ホテルから2分くらいのところにある、台南最大?の観光地「赤崁楼」(ティカンロウ)に向かう。
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元は1653年にオランダが建てたプロビデンシャ城で、地震で建物が倒壊し、
その後清朝によって、現在の文昌閣と海神廟が建てられた。
台南は、オランダが統治の中心として街づくりして、鄭成功が台湾からオランダを駆逐した後は、
そのまま政治の中心として機能していたが、鄭政権が清朝に倒されると、清朝によるゆるやかな統治によって、台南だけでなく台湾自体に大きな開発が行われなかった。

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日本統治時代に発掘されたオランダ築城時の遺構。

赤崁楼の向かいにある祀典武廟。
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台湾の関帝廟の総本山。

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もちろん祀られているのは、三国志の英雄の一人である関羽。
関羽は武神だけでなく、商売繁盛の神として崇められている。

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祀典武廟に隣接する大天后宮。

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もとは明王朝最後の王、寧靖王の府邸(日本でいう御殿)だったが、その後は媽祖廟に改修された。
媽祖廟は1818年に焼失して、現在の建物は1830年に再建されたもの。

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この安っぽい看板の飾りつけは、必要ないような。。。。

この後、コンビニで牛肉麺を買って、台湾ビールを飲みながら食べました。
歩数も25000歩で、さすがに足が疲れたので、ネットでマッサージ店を検索して行ってきました。
確か足40分、ボディ60分で1050TWDだったよ。

1日目はこれで終わり。
タグ:台湾
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メーテル像が佇む小学校 新谷陣屋跡 [城]

夏季休暇に、姉のデミオを借りて宇和島・大洲方面へドライブした。
カッコいいでしょ、といつも自慢されるソウルレッドのデミオ。
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10年振りに大洲城を訪問した後に向かったのが、大洲藩の支藩であった新谷藩(にいや)の新谷陣屋跡。
大洲城から車で30分くらい移動すると、新谷小学校があり、そこが新谷陣屋跡である。

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太鼓楼付き陣屋建築風の校舎。カッコいい校舎だと思う。
校門の脇には、

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新谷陣屋跡の石碑とメーテル像が。
漫画家の松本零士が小学生のころに、この新谷に疎開して2年間過ごした縁で、この像が製作されたとのことだ。
街の中にも、松本零士の書下ろしの原画の看板やフラッグが掲げられていた。

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陣屋風校舎の裏に、陣屋の遺構があるとのことで、裏口に回ってみる。

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土佐藩などの使節をもてなすために作られたという麟鳳閣と呼ばれる建物。
1868年の建築。
明治になると新谷県庁として、その後は小学校の施設として使用されたという。

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豊臣秀吉に仕え、甲府を治めていた加藤光泰の子、加藤貞泰が1610年に伊予大洲6万石に入った。
貞泰の次男直泰が幕府から分知の了承を得て、1万石として立藩したのが、この新谷藩である。

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すごく端正な造形で、見とれてしまう建物だ。

麟鳳閣の裏がプールで、夏休み中ということもあり、すごく賑やかな声が聞こえてきたが、
写真撮りまくって、ウロウロしていると怪しまれるので、早々に退散したよ。
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小学校の正門へ続く大手通りは、999通りというらしい。
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タグ:愛媛県
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9か国が管理した台湾の城 紅毛城 [城]

台湾に出張した際に、帰りのフライトまでに時間があったので、
MRTで淡水まで行ってきました。

淡水信義線の終点で、台北から40分くらいで到着。
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淡水駅前には、銅像を演じているパフォーマーがいた。結構有名らしい。

レトロ感満載な町並みを見ながら、
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20分程度歩いて行くと、目的地である「紅毛城」に到着です。

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緑で覆われた門をくぐって、受付で入場料80TWD(1TWD=約3.7円)を払う。
階段を上った小高い丘の上に、紅毛城の主楼が建っている。
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この紅毛城は、1628年にスペインが台湾の支配拠点として築いたセント・ドミンゴ城がはじまり。
その後にオランダがスペインを台湾から追い払い、城を改修。
漢人がオランダ人を紅毛と呼んでいたので、紅毛城と言われるようになったという。
正式名は、アントニー要塞。

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明朝の鄭成功が台湾を反抗の拠点にすべく、オランダ勢力を一掃すると、紅毛城は多少の改修はあったものの、その後の清代もあわせて、拠点としての重要性は低下して、城地は荒れていたという。

重要性が増したのは、不平等条約である北京条約で淡水が開港されてからで、イギリスが租借地としてこの地に領事館を設置してからである。
大東亜戦争がはじまると、日本に接収されるが、戦後にいギリスへ復帰。
イギリスが台湾と断交すると、オーストラリア、アメリカと管理が移行するが、アメリカと断交すると、台湾へ返還された。

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主楼の前には、この紅毛城に関連した9か国の旗が掲げられている。
左より、スペイン・オランダ・鄭氏(明)・清・イギリス・日本・オーストラリア・アメリカ・台湾

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清朝の黄龍旗

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主楼の内部は、ちょっとした資料館になっており、紅毛城の歴史の説明パネルや武具が展示してある。説明は、日本語でも記載してあるので、わかりやすいです。

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イギリス人らしき銅像が数体設置してあった。
壁はイギリス領事館時代に赤くしたとのこと。元は灰色だったらしい。
ただ、赤壁部は最近修築した為、かなりキレイで、古びたレンガ部分とのギャップが大きい。

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主楼の脇には、旧イギリス領事館が建っている。
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2階建ての非常に端正な建築だ。

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主楼と領事館の間には、砲が並べられている。
この砲は、イギリス領事館時代に、オブジェとして並べたらしい。
砲は清朝製からイギリス製と生産国は様々。

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領事館の向こうに見える塔は、真理大学の建物。

領事館の内部やいろいろ
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元の要塞としての城がどのようなものであったか、今の城跡からはよくわからないが、湾を見下ろせこの場所は重要拠点だったのは間違いないだろうね。
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最後に、主楼の前に立っている、バッキンガム宮殿の衛兵風のゆるキャラ。taisui25.jpg
タグ:台湾
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台北城の城門 [城]

台北城は、清朝が日本の勢力が台湾に及ぶのを警戒し、それにより築城された城壁に囲まれた城郭。

日清戦争後に日本統治時代になると、都市整備の為に城壁は破却されていったが、
城門は4個所残されて、現在中華民国の一級古蹟に指定されている。

現存する4個所のうち2個所を見てきたよ。

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総統府を見た後に、南へ進んで、愛国西路と中華一路一段の交差するあたりにあるのが、小南門。

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元は重熙門と呼ばれていた。
楼閣部分は、太平洋戦争後に国民党政府によって、宮殿式楼閣に建て替えられたので、ちょっと派手である。
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このあとは、中華一路を北上して、西門町あたりのブラブラしながら、北門をへ向かった。
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西門町は日本でいう渋谷のような若者の町とのことだが、サブカル度で言えば秋葉原のほうが合っているような。
町名にもなっているが、ここには一番大きくて優雅な城門であった西門があったところ。
古写真を探してみました。
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日本統治時代に都市整備の為に破却されたが、住民の反対も大きかったことから、残りの4門は残されたという。

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北門。
築城当時の姿を留めている唯一の門。
築城当時は、清朝皇帝の恩顧を得ることから「承恩門」と呼ばれた。
日本では見られない中華系城門で、じっくり見ようと思ったのだが、周辺を工事中だったので、近寄れず。。。
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門の向かいの台北郵局。
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昭和5年に建てられた、鉄筋コンクリートの建築。
玄関の車止めは撤去されてしまったらしいがが、非常に重厚な建物だ。

あと2個所は、また今度行ったときに回る予定。

タグ:台湾 城門
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笠間城の櫓が移築されている 真浄寺 [城]

明治になって、多くの近世城郭が廃城になったが、その際に多くの門や櫓が払い出された。
といっても、大きな櫓や天守は、解体移築に相当に金がかかるのでほどんど破棄されてしまったが。

移築されて現存しているものでも、かなり改築されていることが多く、中には古材としてつかっているだけで、元の意匠と全然違うケースすらある。

城門にくらべ櫓は、改築が著しいのだが、笠間城の八幡台櫓は比較的そのまま移築されているとのことで、移築先である真浄寺に行ってみたよ。

茨城県笠間市にある真浄寺の駐車場に車を停めて、境内に向かう。
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奥にもう見えていますが、まずは本堂へ。
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大きな本堂です。

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参道を直進すると、そのまま階段があって、その上に笠間城から移築された七面堂が建っている。
1880年に笠間城八幡台曲輪からこちらに移築されたとのこと。

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正面入り口の破風屋根や花頭窓は移築時に追加されたものだろうが、今、城址にいるのではと錯覚するくらいの佇まいだ。

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横からみたところ。

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斜め後ろから。
一番、城郭としての櫓っぱくみえるアングル。
茨城県内では、唯一の現存物件である。

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黄色で囲ったところが八幡台櫓。
この八幡台櫓は、浅野長直が赤穂藩に移る前に改築したと伝わっている。
あの忠臣蔵の浅野内匠頭は、長直の孫である。

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七面堂からみた本堂。

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寺務所前から七面堂をみる。
非常に居心地のいい境内です。
タグ: 茨城県
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三段構えの城 出石城 [城]

出石城(兵庫県豊岡市)

城下町の雰囲気が残っており、出石そばで有名な小京都「出石(いずし)」に、
兵庫北部の城巡りの際に訪問した。
といっても、城下町が残ってるだの、そばが有名というのは、訪問してから知ったのですがw
三の丸内にある観光センター横の駐車場に車を停めて、登城開始。

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登城橋と城門。

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今は小川のようになっている谷山川。
治水の為に付け替えられて、少し位置が変わっている。

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復元された高麗門の城門。

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下の丸からみた、本丸の西隅櫓。
出石城は、山の麓から、下の丸、二の丸、本丸、稲荷丸と段々と連なっている。

出石城は、山名氏によって山頂に築城された山城(有子山城)だったが、豊臣秀吉の侵攻によって落城。
秀吉時代には、小出氏が山頂の城を廃して、麓に近世城郭として整備したのが現在の出石城。
以降、松平氏経て、信濃上田から仙石氏が入って、そのまま明治を迎えた。

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本丸の西隅櫓は、1966年に建てられた模擬櫓。
復元櫓や現存櫓と言っても違和感ない感じ。

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もう少し行ったところから、隅櫓をみてみる。

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稲荷丸の石垣。
本丸より高いところに曲輪があるという変わった縄張りである。

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本丸にある感応殿。
仙石家の祖、仙石久秀が祀られている。
仙石政明が、上田から国替えで出石に来るとき、信州のそば名人も伴ってきたことから、
そこからそばが広まり、現在の出石そばになったとのこと。

仙石久秀は、ヤンマガに連載中の「センゴク」で興味をもった武将だが、漫画の影響があるとはいえ、
なかなか魅力的な人物だと思う。
秀吉からの期待を大いに裏切り領地没収・追放され、小田原の役で徳川家康の協力のもと、ちゃっかり参戦し戦場で活躍を見せて、秀吉から許されて大名復帰した面白い経歴の人物だ。
裏表のない実直な人物だったのだろう。

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本丸の東隅櫓。
西隅櫓と同じときに建てられた模擬櫓。

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東隅櫓前から見た稲荷丸の石垣。

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二の丸からみた東隅櫓。
木が邪魔で全容が撮れないです。

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三の丸大手門の石垣の上の建つ辰鼓楼。
現在の街のシンボルである。
明治4年に建てられて、明治14年に時計が付けられて現在の時計台となった。

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三の丸は、松平氏が治めていた時に整備され、政庁機能もこちらに移された。
さすがに山の北側の麓では日当たりが悪く、いろいろと不便だったのだろう。

麓の城郭、三の丸、山頂の旧城と、有事の際は三段構えとなり、麓の縄張りだけ見るとシンプルだが、なかなか堅固な城である。

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このあと出石そばを食べたが、また訪問したい場所ですね。


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躑躅ヶ崎館跡/武田神社(山梨県甲府市) [城]

躑躅ヶ崎館跡・・・

現在武田神社となっている場所は、戦国時代は武田氏館として甲斐の中心として機能していた場所である。
明治になって武田信玄を祀った武田神社が創建されてからは、
武家の城館としての色が薄れていったが、最近は発掘整備されてかなり城址らしくなってきた。

2007年頃に訪問してから久しいので、探索に行ってみたよ。

以前の記事
躑躅ヶ崎館跡
武田神社

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門前脇の駐車場に車を停めて探索へ。

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現在の表参道は神社創建時に作られてたもので、城館時代にはなかったものだ。
玉垣がこれだけ立派だと、城館の遺構だと勘違いしてしまう。

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城館時代の大手門は、東側にあるここ。

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大手の手前の馬出はここ近年で発掘整備されたところで、以前の訪問では何もなかった。
まずこの石垣が目に入る。
この石垣は武田時代の遺構ではなく、その後の豊臣時代に城拡張の際に作られたものと言われている。
発掘調査では、この下に武田家独特の丸馬出と三日月堀も発見されている。

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案内版。
黒い枠の部分が整備された大手部分。
黄色は土塁で、水色が水堀部分。

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石垣に上がって、大手前を見る。
L字で土塁と堀で囲まれている。

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このエリアは、南側が一段低くなっている。

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土塁に上がってみる。

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土塁から見た大手門。

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土塁の上を歩きます。

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馬出エリアの出入り口。

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外側は一部だが、水堀が復元されている。
これらの土塁や水堀が北の無名曲輪と連結すれば、かなり壮観だな~と思ってみる。
ここにベンチの1つや2つあれば、いい公園なのだが、如何せんここまで人が来ないですね。

主郭を通過して、西曲輪へ向かう。
西曲輪もかなり整備されている。
以前あった擬洋風建築の藤村記念館(旧睦沢学校校舎)は、甲府駅前に移築されてしまった。

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西曲輪の北側の桝形。

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西曲輪から稲荷曲輪に繋がる土橋。

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稲荷曲輪にある稲荷社。
城としての石垣ではなく社としての玉垣だが、非常に雰囲気があっていいです。

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西曲輪の土塁から、主郭の北西にあると言われる天守台のほうをよくよく見てみる。
所々に見える石垣が、天守台に関係するものだろうか?

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西曲輪の南の桝形。
まだ整備中で、まだ芝も生えていない。

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南桝形を外側から見たところ。

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武田神社には、まず参拝してから、城址探索しましたよ。

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