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学文路苅萱堂(和歌山県橋本市) [ミステリアススポット]

ミステリアススポット12弾は、またも人魚のミイラを紹介するよ。

今回は、和歌山県橋本市学文路(かむろ)の苅萱堂。

高野山は女人禁制であった為、高野山の参詣口であるこの学文路の宿は、
石童丸物語と結びついて信仰されていった。(石童丸物語はコチラ
石童丸物語は今でこそあまり知られていないが、昔は金太郎や桃太郎と並ぶほど、子供に聞かせた話だったらしい。
(内容はちょっと悲しいので子供へ聞かせても難しいのではと思うのだが・・・)
高野山への信仰のためのに高野聖によって全国へ広められて行き、その信仰の形としてこの堂が作られ、
物語の登場人物である苅萱道心・石童丸・千里ノ前等の像が祀られた。
まずここで石童丸物語関連に参拝してから、高野山に入るという導線を作ったわけだね。

場所は、学文路駅の裏手の山の途中にある。

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苅萱堂の昭和テイストで味のある看板。
車でこの手前まで来たのだが、場所がよくわからないし、これ以降の二股に分かれる道が細いのを見て、
引き返してしまった。
結局、駅から徒歩10分くらい離れたコンビニに車を停めて、徒歩で再度アタックしたのだが、この看板を見てガッカリした。
まさか、引き返したすぐ先にこの看板があるとは.....

気を取り直して、看板の矢印に向って進むと、本堂に着きます。
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本堂と庫裏だけの小さなお寺です。

kamuro3.JPG
説明板。
石童丸関連信仰のもの30数点が、市の指定文化財となっている。
高野山にまつわる庶民信仰が評価されたとのことらしい。

で.....人魚ですが、伝承としては石童丸の母、千里ノ前が信仰していたものとされている。
人魚のミイラも石童丸関連に入ってるので、もちろん指定文化財です。

kamuro6.JPG
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この絵は、本堂に併設されている地蔵堂に掲げられていたもの。
残念ながら、人魚のミイラは撮影不可だったので、これでお許し頂きたい。
結構似てますが、もう少し細長で白っぽいですかね。

人魚のミイラって、ほぼこのムンクの叫び系の形態を取っているのだが、どうも江戸期の書物に人魚のミイラの絵が載っており、それをみて作成したので、全国的にほぼ同形になっているのだと思われる。
個人的には、人魚にミイラが民衆信仰を評価されて、指定文化財になったことが、面白いところです。
考えてみれば仏像にしても、木や鋳造等で作られており、素材が何であるかは問題ない訳で、
それが人魚では動物を組み合わせて作られただけですね。

すいません、作り物前提で話ましたが・・・・
千数百年程前に滋賀県の蒲生川で獲われたものと伝わっているので、そういうことにしましょう。

kamuro5.JPG
境内にあった人魚の石像。
普通、イメージするのはこっちだよね(w

庫裏で、人魚を見たい旨を伝えれば、堂内を見せてもらえます。
石童丸物語関連は、見ごたえタップリです。

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本堂の額・・・・・「人魚のお堂」いいっすね。

新潟県柏崎市にある人魚のミイラ
タグ: ミイラ 妖怪
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酒船石遺跡(奈良県明日香村) [ミステリアススポット]

飛鳥寺より徒歩2分程度南東に位置する小丘に酒船石遺跡がある。

2000年の発掘調査によって、石垣、亀型石造物、小判型石造物が発見されている。
現在、この遺跡は日本書紀に載っている、
「宮の東の山に石を塁ねて垣となす」「石の山丘」ではないかと言われている。

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これが酒船石遺跡。

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奥の湧水施設から手前の2つの石造物に水が流れる導水施設である。
祭祀で使われたらしいが、実際どのような祭祀であったのかは不明らしい。

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亀型の石造物。玄武だろうか?
にしても、これはなんだろね....

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石造物の周りは、石敷と石垣で囲まれている。

調査によって、この遺跡は斉明期か平安時代までの約250年間、
改修を繰り返しながら、使われていたとのことがわかっている。

昔はどんな光景であったのか、想像を描き立てられますな。

ここから近くの丘の途中にあるのが、「酒船石」だ。
sakabune5.JPG
sakabune6.JPG
昔は、酒造りに使用されたのではと言われていたが、今では庭園の配水に使われたと考えられている。
先ほどの遺跡も、小判型から亀型に流れていたが、これも奥側からみれば同じである。
これだけがポツンとあるので、これがどう使われていたのか、全くわからない。

この場所、あまりにも蚊が多く、この史跡から帰ってくる人、
みんながみんな「かゆい、かゆいっ」って言ってるのが聞こえたので、
持参していた虫よけスプレーを思いっきり吹いた為、無事さされずにすんだ...........ハズだったのだが、

最後の最後に袖付近に汗をかいていて、そこを刺された。
蚊の執念に恐れ入るよね。

同じタイミングで史跡に来たカップルはあまりの蚊に、逃げていったよ・・・・・
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猿石(奈良県明日香村) [ミステリアススポット]

ミステリアススポットの第10弾は、明日香の奇怪な石像『猿石』を紹介しまっせ。

猿石とは、欽明天皇稜に隣接している吉備姫皇女王墓内に置かれている、4体の石像である。
この石像、一応「女」「山王権現」「僧」「男」となっているが、あくまで仮称で、実際は何なのかは不明。
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左より「女」「山王権現」
saru2.JPG
左より「僧」「男」

渡来人の姿であるというのが、現在有力である。

この石は江戸時代に、この付近の田んぼから掘り出され、この場所に置かれたと言われている。

が・・・・・この猿石の写真を撮っていたら、この付近に住む方に声を掛けられ、
色々な話を聞くことができたのだが、どうも多少違うようだ。
この方は、この地に100代近く続いている家の方らしく、吉備姫皇女王墓の整備も行っているとのこと。

伺った話をまとめてみた。
 1)田んぼから掘り出されたのは戦国期で、当初7体あった。

 2)その7体は掘り出された後、その田んぼの持ち主の家の庭に置かれていた。

 3)高取城築城にあたって、石の供出令があり、3体が供出された。
  現在、高取城の登山道途中にある猿石は、この1体であるとのこと。
  残り2体がどうなったかは不明。

 4)4体を現在地に置いたのは、江戸の初期(元禄)。

要は、置かれた時期を掘り出した時期と混同しているようだ。
この話は、その方の家にある伝書(江戸期に書かれたもの)に書かれているとのこと。

猿石の事以外にも、色々な話を聞けたので、それもまとめておく。

 1)すぐ近くにある「鬼の雪隠」と呼ばれる石造物は、現在は古墳の石室と呼ばれているが、
  あのような中途半端な位置に放置され、一部破壊されているのは、高取城の石供出の際、
  削られたのだろう。 (これは、推測だそうだ)

 2)欽明天皇稜は元々は、二重堀だったとのこと。
  明治になって天皇稜が整備された際、外堀が埋められた。
  このとき、内堀の外側に土塁を造営する為、付近に住んでいた家は移転させられた。

 3)この付近には橘寺造営当時くらいから続く家が多いそうで、名前から推測するとほとんどが渡来人だろう。
 この名前は高句麗で...と色々と教えて頂いた。
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鬼の雪隠:鬼が用を足したという伝説がある。

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鬼の俎(まないた):鬼が旅人を俎で料理したという。

聖徳太子前後の日本と朝鮮の外交史を調べていた時期があり、それなりに知識があったため、
こちらが突っ込んで質問すると、驚かれていた。

やはり現地の方と話すと、面白い情報が聞けるので有意義だね。
話から考えると、猿石は「渡来人」ってのが一番しっくりくる。

どこまでが事実かはわかりませんが、それも踏まえた上で、歴史ミステリーを楽しみたいものだね。
タグ:古墳・墳墓
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