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武相荘(東京都町田市) [古民家]

ちょい前に「東京の森カフェ」という本を購入したので、そこに載っていたカフェの1つに、早速行ってみた。

世田谷街道を町田方面に走り、小田急線の柿生と鶴川の中間あたりで、右折してしばらく走ると、
ユニクロやコメダがある開けたところがあり、そのユニクロの裏の丘にあるのが、「武相荘」である。

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ここは白洲次郎が戦中に古民家を購入してから生涯を過ごした白洲邸で、
母屋は白洲記念館として2001年にオープン。

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受付で入場料を払って中に入ると、目に付くのが、スリーウッド製ペイジSix38
白洲次郎がケンブリッジ大学に留学する前に、父親に買ってもらった同型のもの。

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母屋は白洲次郎の記念館になっています。
内部は撮影禁止なので、外見のみです。

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門と母屋の間にレストラン&カフェがあるので、入ってみる。
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オムライスを注文。
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めちゃ美味しかったです。
どら焼きが美味しいらしいのだが、オムライス食べたら満腹になったんで、次回にお楽しみってことで。
隣の方が注文していたのを見たら、すごく美味しそうでした。

帰りに66,666㎞になったよ。
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で、アルファロメオ156を2台で15年乗ってきて、ちょっと飽きてきたのと、
実家でマツダデミオを乗せてもらうと、かなり楽しかったので、買い替えを検討.....

アルファロメオジュリアを試乗してきた。
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楽しいな~
タグ:東京都
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御手洗の七卿落遺跡 [古民家]

七卿落遺跡・・・・

古墳かそれ以前の集落遺跡のような名前ですが、御手洗(広島県呉市)の庄屋の竹原屋の古民家です。

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倒幕派で、長州に落ち延びていた七卿のうち、

三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修

の五卿が兵を京に進めていたが、蛤御門の変での長州敗北の知らせが届き、
長州に引き返す際に、立ち寄ったのがこの竹原屋だ。

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この竹原屋は、延岡藩の船宿も務めた大店。

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裏庭から見た母屋。
竹原屋は、幕末にはオランダ商館の者が駐在して、薩摩藩と武器の密貿易をしていたという。

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奥座敷。
おそらく五卿はこちらに泊まって、正面の海を眺めたのだろう。

あまり知られていないが、広島藩も薩長と同じ同盟を組んでおり、薩長芸三藩同盟だったのだ。
では、なぜ知られていないのか。。。
薩長は広島藩の武力を期待していたが、無血革命である大政奉還の建白書を提出したからだ。
といっても、土佐藩と同調して進めていた大政奉還を、ちゃっかり土佐藩に出し抜かれるというありさまだが。
広島藩は、大政奉還を幕府が受け入れない場合は、武力でという武力的大政奉還の考えで、
何が何でも武力で倒幕という薩長からは、広島藩の武力を期待していた分、
裏切りや日和見のように取られ、新政府では完全に蚊帳の外。

この辺りは、かなりフィクションが入った、一般的に知られた歴史も面白いが、裏歴史も面白いものだ。

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竹原屋から路地を進むと、脇屋という元薩摩藩船宿古民家がある。
今はデザイン雑貨屋さんとなっているが、訪問時は閉まっていた。
営業は土日祝日だけのようです。

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脇屋の通り。

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脇屋の通路門。
小窓や色とか、非常にセンスのいい棟門だ。

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小壁には可愛い虎の彫り物。

幕末のいろいろな出来事を想像しながら、ぶらりと歩くと楽しいもんです。
タグ:広島県
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宮本武蔵生家跡(岡山県美作市) [古民家]

武蔵の里には、武蔵の生家(跡)や姉おぎんが嫁ぎ先の家があるという。
どちらも建物自体は後年の建替え物件なので、雰囲気しか味わえないが、
観光パンフや現地案内板を読んで、幼年の武蔵が走りまわっていたのを想像するといいかもしれない。

鎌坂道の鳥居の手前に、武蔵の生家と伝わる家がある。

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生家の脇にある、「宮本武蔵生誕地」の石碑。

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この美作市宮本が武蔵の生誕地として有名となったのは、
吉川英治が小説「宮本武蔵」でここを生誕地として採用したことが大きい。
五輪書では播磨となっており、さてさてどこでしょうかね。

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武蔵生家跡。
昔は藁葺屋根の建物だったが、昭和17年に焼失してしまい、現在の家となったとのこと。
大黒柱の位置は焼失前と同じとのことなので、礎石はそのまま使っただろうから、大きさはほぼ同じだろう。
2階部の海鼠壁風のデザインが、アクセントとして面白い。

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生家跡の敷地内には、武蔵の五輪塔。
武蔵の供養塔として建てたのだろう。
にしても、地の部分が........長い(w

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平尾家。
武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先とされる家である。
ぱっと見、古くても明治中期から後期くらいの建物だがどうだろうか。
案内板には、1600年に武蔵が武者修行に出立したとき、「家の道具家の系図」「十手(3つ)」「すやり」をおぎん夫婦に渡した・・・と書いてあった。
すやりは素槍だろうが、「家の道具家の系図」ってのが意味わからない。
これらは、残っているのだろうか?それとも言い伝えか?
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旧生方家住宅(群馬県沼田市) [古民家]

沼田城跡のある沼田公園内に、旧生方家住宅という町屋造りの建物が移築されている。
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生方家は沼田藩の御用達を務めた薬商で、この建物は17世紀末頃に建てられたもの。
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店先に2mくらいの庇は、土庇と呼ばれるもので、お客を雨から守るものです。
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通りにわ。町屋造りに見られる土間で、表から裏手まで伸びる通路。
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通りにわに並行して、部屋が2列で連なっており、非常に大きい商家だったことが伺える。
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左が下店で、右が上店。
上店は客を接待したりするところで、今で言うところの応接室か。
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店は、蔀戸(しとみど)と呼ばれる戸で、上半分を吊り上げて、下半分を外す構造。
これは店の間口をより広く使うためである。
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通りにわに入ると、広い板間がある。
玄関間だろう。この間は、よっぽど大きな商家しかない。
さすが藩御用達といったところだ。
この奥には居住区である3つの間が並んでいる。
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玄関間の奥はちょっと広くなっており、今では沼田城天守の復元モデルを沼田城の縄張のモデルが展示してある。
この土間エリアは、だいどころだったと思う。
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奥の土間にあった透かし彫りの格子。

町屋造りは詳しくないのだが、古建築は好きなので、見ていて楽しい。
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