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江波山に建つ龍光院 [寺/神社]

江波の広島気象館の屋上から、お寺が見えたので、帰りに寄ってみたよ。

龍光院という、大正末期に発願し、昭和3年に今の地に安置されたという、比較的新しい寺である。
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気象館の屋上から見た、龍光院。

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本堂へむかう。

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山門はないが、入り口にモルタルに鉄の柵がの江波神社と稲荷神社。

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そのすぐそばに、オジさん度が高い釈迦如来像。
ちょっと怖いです。。。

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ブロンズの観音様と地蔵様。
後ろの瀬戸内海が綺麗。
今は小高い山だが、元々は海に浮かぶ島で、広島城築城後からの開拓によって、陸地になった。
そう思って周辺を眺めていると、何か楽しい。

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本堂。
非常にゆるい唐破風の庇が印象的。
中には檀家さんが集まってお話中だったので、中に入るのは遠慮しときました。

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本堂の前には、
右から釈迦如来、薬師如来、不明、千手観音の石仏が並ぶ。

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ちょっと下がったところに寺務所があるのだが、
鉄の手摺の宝珠部分が、仏像の頭になっている。

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で、手前はいいが他は建物の壁に向いていて、非常にシュールな絵となっている。

広島に住んでいたときは、江波に遊びに来た記憶がない。
特に行く目的がなく、市電で「江波行き」というのがあったなぁ・・・というくらい。
今では「この世界の片隅に」の主人公のすずが少女時代育ったところとして、劇中に描かれており、聖地巡りが盛り上がっているらしい。

タグ:広島県
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鬼を祀る神社 鬼鎮神社 [寺/神社]

埼玉県の嵐山(らんざん)町に、鬼を祀る神社があるとのことで、興味が沸いたので行ってみたよ。

7月の3連休の中日だったので、渋滞を避けるべく5時半に出発。
関越自動車道も特に混むことなく、高坂SAに到着し、ここで朝食。
ソーキそばとおにぎりを食べて、ちょっと休憩して、神社に向かった。
東松山ICで降りて、15分くらい走って、神社に到着。

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鬼鎮(きじん)神社。
こちらに着いたのは、7時半で人はだれもいません。

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神明造の鳥居。
平板をネジ止めしている扁額は、はじめて見た。

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脇に社務所を併設している、唐破風付きの本殿。
この神社は、畠山氏が築城した菅谷城の鬼門除けとして建立されたという。

主祭神は衝立船戸神で、イザナギが黄泉の国から帰ってきて、禊祓いをしたときに持っていた杖を放り投げた際に生まれた神。
いろいろと解釈されて、悪魔祓いの神、商売繁盛、受験の神と崇められたようだ。

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この神社の最大の祭事は節分祭で、節分のときは
「福は内、鬼は内、悪魔外」と連呼するらしい。
ぜひ、節分祭を見てみたいものだ。

で、本殿脇に気になるものが、たくさん奉納されている。

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たくさんの金棒である。
古いものでは明治15年のものがあった。
持ってみたが、やはりというか。。。めちゃ重いです。

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奉納された赤鬼と青鬼の額。
非常にかわいい鬼で、この絵馬が欲しかったが、時間が早いので社務所が開いておらず、入手できなかった。
金棒のお守りもあって、こちらも欲しかったのだが。。。

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神楽殿。どんな神楽が舞われるのか、興味あります。

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神輿。

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境内にあった赤鬼・青鬼のミラー看板。
ミラーの意味は何なんでしょうね。。。。ご神体の鏡のイメージでしょうか。

この次にはある資料館へ行く予定であったが、時間が早いので、久しぶりに吉見百穴へ行った。


タグ:埼玉県 神社
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台湾に残る日本寺院の跡 西本願寺広場 [寺/神社]

ちょっと前に台湾に行ってきました。
台北駅から、旧城門やら日本統治時代の近代建築を巡っていたら、味のあるレンガ建築と鐘楼が出てきたので寄ってみた。

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ここは、西本願寺広場という公園で、日本統治時代に台湾では最大規模の日本寺院の西本願寺があったところである。

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戦後は民間宗教団体が使用していたが、1975年の火災でほとんどが焼失してしまい、その後は不法建物に占拠されていたが、台北市が2005年に不法建物の撤去と緑化の為に整備していたら、西本願寺の遺構が見つかったので、修築、復元したとのことだ。

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このように歴史的な建物を大切に残そうとするのはいいですね。
このレンガ建物は、樹心会館という民衆を集めて布教行ったところである。
台湾総督であった児玉源太郎が生前に西本願寺に「樹心佛地」という扁額を贈ったことから、名付けられたとのこと。

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レンガ建築に唐破風屋根の玄関が付いている、和洋がハイブリッドした建物で、日本ではあまり見ないです。
中ではいろいろな展示イベントが開催されているようだ。

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小高いところにある鐘楼。
1922年の建築。銅鐘は、戦時中に失っており、現在のものは復元品。

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本堂跡。
本堂は1931年に完成。蟻害を考慮して台座はコンクリートで作ったが、本堂は木造の建築だったという。
1975年の火災で焼失。
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1階部分は展示スペースになっているようだが、訪問時は閉まっていた。
この台座を使ったイベントがあるらしく、その設営でバタバタしていた。

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御廟所台座
こちらも火災の際に焼失したので、レンガの土台しか残っていない。

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輪番所
1924年の建築。建物はかろうじて残っており、外観修築したが、内部はカフェとしてリファインされている。
この建物は、住職の宿舎だったところ。

思いがけず遭遇したところですが、非常に居心地のいい緑化広場で、暑さが和らぎました。

この後、西門町駅の西門紅楼を見に行ったら。。。。。修築中でした・・・・

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ち~ん


タグ:台湾
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松前城の寺町で江戸の姿を残す 龍雲院 [寺/神社]

北海道にあった唯一の藩、松前藩。
松前藩の城、松前城の北側を防衛するために寺町が形成されたが、15ヶ寺あった寺町も戊辰戦争の戦火により、現在は5ヶ寺が残るに至っている。

そんな寺町を回ってみた。
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松前城の駐車場に車を停めて、松前城を攻城後に寺町散策に回りました。
前に乗っていた赤のフェーズ1です。

まず向かったのは、龍雲院。

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彫刻が印象的な四脚門の山門。
戊辰戦争時でも焼失せずに、当時のままの姿で堂宇が残るのはこの龍雲院だけ。
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この龍雲院は、松前家7代の公廣の正室の発願で創建された寺院。
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本堂。1842年の建築。
木鼻や虹梁、蟇股、小壁の彫刻が印象的。
良くも悪くも派手。
江戸や北関東あたりの寺院を見ている感じで、彫刻師は江戸の職人だったのかな。

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虹梁と軒の間が小壁になっている。
あまり見たことない。

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本堂の右側に併設されている、龍神堂。
1830年に建てられたが、戊辰戦争で破壊されたので、今の堂は1873に再建さてたもの。

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本堂の左側にある庫裏。
1842年の建築。

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袴腰付の鐘楼堂。1846年の建築。
袴腰の高さが低いせいか、ちょっとバランスの悪いですね。。。

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土蔵。鐘楼堂と同じ時期の建築とのこと。

北海道でこれだけの江戸建築の寺院はここだけだと思う。
タグ:北海道
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長谷堂城主の菩提寺 清源寺 [寺/神社]

東の関ケ原とも言われている、長谷堂城の戦い。
直江兼続率いる上杉軍が最上領に侵攻し、山形城の支城である長谷堂城を包囲した戦いであるが、
このときに長谷堂城を守っていたのが、最上家の重臣の志村光安である。
守備兵1000人に対し、上杉兵18000人と10倍以上の兵力差がありながらもよく守りきった。
その志村光安の長谷堂城主時代の菩提寺だったのが、清源寺である。

長谷堂城から赤い楼門が見えて、気になったので行ってみた。

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長谷堂城からは700mくらい離れたところにある。
まっすぐ伸びる参道がいい感じ。

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参道を進むと、六地蔵と四脚門がある。
門をくぐると、

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5間3戸の楼門。
二軒和様の垂木、二手先の尾垂木など、個人的にバランスのいい意匠だと思う。
修築されて間もないのか、朱が綺麗だ。

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本堂。
こちらは非常にシンプル。

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蔵形式の建物。
鐘が付いているが、何堂なんだろ?
何か祀っている堂と経蔵が合体しているのかな。

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門前から見た長谷堂城。
そんなに攻城が難しそうな感じはしないのだが。。。。
タグ:山形県
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山形城の大手門が移築されている古刹 萬松寺 [寺/神社]

山形城や長谷堂城を巡った際に最後に立ち寄ったのが、山形市内にある萬松寺である。

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まだ以前の赤のアルファ156に乗っていた頃です。

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駐車場の横にある鐘楼堂。
結構新しいです。

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境内へ向かいます。
この萬松寺は、阿古耶姫が開基と言われている。
阿古耶姫は、藤原鎌足の曾孫の娘で、父が陸奥に着任した際にこの地に来たとのこと。
当時は庵のようなものだったと思うが、かなりの古刹である。

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見たかったのは、この山門。
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現在の山形城の前身である霞城の大手門だったもの。
最上義光が近世城郭としての山形城を築城する際に、こちらに移築されたという。

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かなり改築されていると思われるが、城門としての風格があるが。。。。
保存状態はあまりよくないのと、下半分がかなり貧相で大きな地震があったら倒れそう。

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扁額の文字は、上杉鷹山の師である細井平洲の筆。

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庫裏と客殿。

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庫裏の向かいにある仏殿。
素朴で非常に雰囲気がいい仏殿だと思う。
1750年頃の建築と言われている。

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仏殿の内部。

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虚無蔵菩薩の堂。

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仏殿の裏側にある、実方中将の墓碑と阿古耶姫の墓塔。

このあと市内のホテルにチェックインして、山形に実家がある友人と飲みに行ったよ。
タグ:山形県
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城跡の松平家大名墓群 本光寺 [寺/神社]

島原城に行った際に、そこで入手したパンフを見て気になった寺があったので、行ってみた。

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赤門の藥井門。
ここは、島原の乱の後にこの地を治めた深溝松平家の菩提寺である。
あまり深溝松平氏のことは知らないが、十八松平の1つで、家康の頃には4代目家忠が長篠の合戦で功を挙げたらしい。

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この山門は、6代目の忠房が島原に入封した際に、生母を弔うために建立した浄林寺の山門だったもの。

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本堂。

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本堂の脇には、首無し地蔵。
島原の乱のとき、キリスト教徒によって首をはねられたと伝わっている。

このあたりは、すでに廃城となっていた丸尾城だった地で、反乱の徒が島原城を包囲した際にこの地に立て籠もったという。

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その丸尾城の跡地は松平家の墓所となっており、23基もの大名墓群が圧巻。

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端がクルリンとした「照りむくり屋根」が印象的。
透垣の墓は、扉が開いた状態になっており、これまた珍しい。

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玉垣に囲まれた羅漢窟。
なかなかいい雰囲気。

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中には十六羅漢の石像が並んでいる。

本堂に併設されている資料館には、天井に龍が一面に描かれている「龍の間」や、庭には石の金庫やキリシタン墓石が置かれていて、なかなか見どころ満載です。

このあと高速フェリーで熊本へ向かったよ。


タグ:長崎県
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2017年初詣 広島城郭?編 [寺/神社]

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

2017年の初詣は、広島城の鬼門を守る寺社の1つ国前寺に行ったよ。
こちらは何度か訪問しているが、初詣としては2年ぶり。
以前の訪問時の記事⇒国前寺(広島県広島市)

この国前寺は、広島藩浅野家の菩提寺である国泰寺の「国」と2代藩主浅野光晃の正室満姫の生家である加賀前田家の「前」を取って名付けられた寺。

爆心地から2.6kmで損害は激しかったが、本堂や庫裏、山門は一部破損で、全焼、全損は免れている。

一通り見ていく。
山門。
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近くの不動院の山門と瓜二つ。建築を請け負ったところが同じだったのか、参考にしたのか。

本堂。
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一見城郭建築のような本堂。
どうも藩の城大工が建築したとのことだ。
以前に記事を書いたときには、この事を知らずに近世城郭建築風と記載したが、ある意味正しかったようだ。

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内陣

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内陣右側の仏像。
左は聖徳太子像、右は蛇の目紋から加藤清正像。
真ん中は、じっくり見てなかったので不明。
こちらには鳩摩羅什の木像があるらしいので、それかもしれない。
鳩摩羅什は後秦時代の僧で、300巻もの仏典を漢訳し、中国に仏教を普及するのに貢献した三蔵法師である。

庫裏も本堂と同じ時期の建築と言われている。
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このお寺には、江戸時代の妖怪物語「稲生物怪録」の主人公である稲生平太郎が、妖怪大将である山本五郎左衛門からもらった木槌が寺宝として現存しているのだが、1月7日しか公開しておらず、まだ見れていないです。。。。。

城郭つながりで、もう1か所行ったのが、多家神社。
前に書いた記事⇒多家神社(広島県安芸郡)

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古事記や日本書紀に書かれている、神武天皇が7年間滞在した埃宮(えのみや)跡に創祀された神社。
この神社のある府中町は名の通り、安芸の国府があったところとされ、今ではマツダの本社があり、企業城下町として賑わっているところだ。

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宝蔵。いまでは神輿殿。
広島城三の丸にあった稲荷社から移築されたもので、広島城の遺構としては唯一の現存物件となる。
創建時期は、浅野家が広島に入ったころと言われているので、1620~30年ころか。
校倉造の校子組手が六角形という珍しい形式。
何度かここに訪問しているが、この建築はいつ見ても見とれてます。

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拝殿。
本殿も広島城の稲荷社から移築されていたが、大正4年の火災で焼失し、現在のものは大正11年に再建されたもの。

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本殿
広島城の遺構は、原爆で一瞬で無くなっただけに、火災で焼失したのはなんとも悲しいかぎりだ。
タグ:広島県
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御手洗の大東寺 [寺/神社]

加藤清正が築いたと伝わる石垣に建つ満舟寺の正面に建っているのが、大東寺である。

大東寺は、江戸の中期に御手洗の町人が隠居していた庵が始まりで、その後に堂建てられて登光寺となったが、戦時中に同じ浄土真宗の隆法寺と合併して今に至っている。

ちょっと寄ってみよう。

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山門は藥医門。

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屋根には、毘沙門天?らしき像が、逆側にも違う像があったのだが、そちらは逆光でうまくとれなかった。
大棟の龍が印象的。

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門をくぐって右側にある手水舎。

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本堂。
ちょうど檀家さんがおり、中に上がらせて頂いた。

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外陣に掲げてあった透かし彫り。
これは隆法寺と合併した際に、こちらに移設されたとのこと。

こちらの内陣の龍と三羽の迦陵頻伽の彫刻が有名なのだが、写真を撮るのを忘れてました。
説明を聞いていたら、忘れてました。

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本堂の木鼻の象の手がかわいいです。

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本堂の裏側。
小さな庭園と棟門。

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大東寺の一軒飛ばして建っている、二階のナマコ壁が印象的な古民家。

ほんと歩いていて落ち着くエリアです。
タグ:広島県
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菅原道真公が手を洗った井戸が残る 天満神社 [寺/神社]

広島県呉市、瀬戸内海に浮かぶ島の大崎下島。
そこには御手洗(みたらい)という古い港町がある。
この御手洗という地名は、

 ・神功皇后が三韓征伐の際に、立ち寄って手を洗った。
 ・菅原道真が、大宰府に流される際に、立ち寄って井戸で手を洗った。

これらに由来しているらしい。

事実はさておき、瀬戸内海航路における重要な場所であったことは事実のようだ。

菅原道真が手を洗ったとされる井戸が、天満神社にあるとのことで、行ってみたよ。

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桜並木になっている参道。
桜の季節がさぞかしきれいなことだろう。
鳥居は石造りの明神鳥居。

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菅原道真の歌碑。
「菅公の歌碑」と呼ばれている。

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筆塚と手水舎。
学問、書道の神、菅公に関連しているのだろう。

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手水は硯の形をしている。
狛犬が手水を支えているのだが、その1匹が腹で支えていて、かわいい。

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御手洗出身で、日本で初めて自転車で世界一周した「中村春吉」の石碑。

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拝殿。
参拝しようと拝殿に近づくと、周辺の桜の木から次々とセミが飛んできてた。
セミの結界のようだった。。。。

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拝殿の右側を回り込むと、この地の名の由来となった菅公の井戸がある。
明治4年に、広島藩の役人の寄進によって、菅公の井戸の傍らに社殿が造営されて、現在の天満神社となったのこと。
現在の社殿は、大正6年に町民の寄進で建てられたという。

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菅公の井戸の横に本殿があるのだが、本殿の下は「可能門」という通路になっており、
この門をくぐると、願い事が1つ叶うという。
神社の本殿の下をくぐるというのは、これまで見たことないです。

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本殿の奥にある建物。
何の建物か不明。かなり気になります。

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天満神社近くにある、藩公認の茶屋である若胡子屋。
全盛期には100名近い芸者や遊女がおり、桜の季節は境内は花見で賑やかだったという。

最近では「ももへの手紙」で、登場している。
タグ:神社 広島県
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