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国内に唯一のゼロ戦32型が残る大刀洗平和記念館 [資料館]

日本海軍の傑作機ゼロ戦。
登場当初は敵機を圧倒したが、新型の米軍機の登場と対ゼロ戦戦術で当初のような活躍ができなくなったのは知っての通りですね。
海軍も後継機の開発とともに、ゼロ戦の性能アップの為の改良を目指したが、あまりに切り詰めた設計の為、なかなかうまくいかなったという。

1万機も作られたゼロ戦の中でも343機しか作られなかった32型が展示してある、
大刀洗平和記念館に行って見たよ。

実家の広島から姉のデミオを借りて、出発。
福岡に入ってから渋滞だらけで、朝8時に出たのに到着したのは13:30ころ。
疲れました。
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この記念館は、ゼロ戦32型以外は撮影禁止。
なので、ゼロ戦をバシバシ撮ります。

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ゼロ戦32型。
国内では32型があるのはここだけ。

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この32型は、マーシャル諸島タロア島で発見され、その後サイパンに運ばれて修復中だったもの。
32型の特徴は、翼の端を50㎜カットしたこの四角いカタチだ。

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これは速度と横転率を向上をねらったものだったが、ほとんど効果なかったという。
ゼロ戦の美しさがちょっと失われて残念。

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エンジンは高空性能アップを図るため、栄11型から21型へ換装された。
その為カウリングは再設計され、気化器空気取入口が前の21型の下側から上側になっている。
が・・・・・思いのほか性能アップに繋がらなかった。

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スペース的に正面から撮りづらく、そして配置的に逆行となり、なかなかうまく撮れないのが難です。

この大刀洗平和記念館のあった場所は、東洋一とも言われた陸軍の大刀洗飛行場があったところで、昭和20年3月の大空襲で壊滅的な損害を出したが、今でもその名残があるので、それを見てみる。

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記念館の入り口に立つ、航空技術兵学校の「第五航空教育隊正門」。
最大時は6000名の技術兵が在籍した言われ、当時の規模が想像できます。

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憲兵分遣隊舎の煉瓦塀。

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記念館の向かいにある大刀洗駅。
自衛隊の練習機として使われたT33。
レトロステーションは、昭和62年から平成20年まではこちらが記念館だったらしい。

大刀洗平和記念館は32型だけでなく、九七式も展示してあります。
増設の工事をしており、展示資料もさらに充実すると思います。


タグ:福岡県
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復元中の一式陸上攻撃機 [資料館]

飛行機関係の記事が続いているので、調子に乗って続けるよ。

8月の1か月間しかオープンしていない博物館が河口湖近くにあります。

河口湖自動車博物館。

ここの看板は、自動車博物館より、別館?の飛行館ですかね。

こちらで珍しいのが、一式陸上攻撃機(一式陸攻)が復元中であることだ。

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この博物館、デジカメでの撮影は禁止で、携帯のみOKというシステム。
訪問は2年前だが、この時はiphone4Sだったので、画質がイマイチです。。。

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この一式陸攻は、大戦中に最も多く生産された海軍の爆撃機。
大戦の初期は活躍が目覚ましく、特に有名なのが真珠湾の攻撃から2日後に、当時のイギリスの最新鋭戦艦「プリンスオブウェールズ」と巡洋戦艦「レパレス」を撃沈したことだ。
これにより、戦艦が作戦行動中に航空戦力で沈められることが証明され、以降の戦術に大きく影響を及ぼした。
イギリスの首相チャーチルは、大戦中の一番の衝撃だったと回想したという。

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日の丸のところに、ハッチがあります。

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一式陸攻のエピソードで欠かせないのが、連合艦隊総司令の山本五十六を乗せていたとき、ブーゲンビル上空でアメリカ軍に攻撃され、撃墜されてしまったことだ。

中盤以降は損害が激しく、後継機の銀河にその座を譲っていくこととなる。

博物館の復元ですが、以前にも訪問したことがあり、2009年のときはこんな感じでした。
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後ろ半分だけだったんですよね。
部隊ナンバーも違ってます。

復元としては、残りは羽ですね。爆撃機の国内での現存機はないので、最後まで完成させてほしいです。
ちなみにこのときはデジカメOKだったんですが。。。
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他にも零戦の21型と52型があるのですが、それはいづれ。
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零戦21型
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零戦52型
タグ:山梨県
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国内に唯一現存する三式戦闘機「飛燕」 [資料館]

大阪に出張した際、ちょっと時間を作って「川崎重工120周年記念展」に行ってきたよ。

目的は、国内に唯一現存する三式戦闘機「飛燕」を見るためです。

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土曜の午前11時前に訪問。
結構並んでおり入場制限されてて、ちょっとゲンナリしたが、10分程度で入場できました。

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陸軍三式戦闘機「飛燕」

日本軍では珍しい液冷式エンジンを採用した為、空冷エンジンを搭載しているゼロ戦等の日本軍機でよくみられるニンジン型のズングリした機体ではなく、とてもシャープなデザインとなっている。
開発は、川崎重工の前身、川崎航空機。

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ハ40エンジン。
ダイムラーベンツ製の液冷エンジンDB601をライセンス生産し、国産化したもの。
ただ、当時の工業レベルでは、液冷エンジンを生産する設備が不十分で、整備する人員も不慣れなため、エンジントラブルが絶えず、稼働できない機体が多くあったと言われている。
いまでこそ工作機械において、日本製はトップレベルだが、当時はほとんど輸入に頼っており、
旧式なものが多かったのだ。またそこに工員不足による質の低下が拍車をかけた。

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この機体は、Ⅱ型と呼ばれていた「キ61-Ⅱ改」
ハ40を改良し、離昇出力を1175馬力から1500馬力に高めた「ハ140」を搭載した機体。
ただでさえ不良率が半端ないハ40より、さらに部品点数が多いハ140は、生産性を下げる要因の一つであったが、このエンジンを搭載したⅡ改は高度10000mでも比較的安定飛行できる数少ない戦闘機だった。

エンジンの不良率が高かったせいで生産が間に合わず、首なしといわれるエンジンが搭載されていない飛燕が多くできあがったが、それに空冷エンジン(ハ112Ⅱ金星62型)を搭載したら、性能のいい戦闘機ができたので、急遽正式に制定されたのが五式戦闘機である。
早くハ40に見切りをつけて、空冷エンジンに換装していれば。。。。

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この飛燕は、以前は鹿児島の知覧特攻平和館に展示したあったもの。
川崎重工120周年記念として、違う部品が付いていたり、欠損部品があった本機を、限りなく製造当時に近づけて復元した。

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知覧は、10年前に訪問しました。
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特攻の博物館の為、館内撮影禁止だったので、写真はなし。
知覧に展示てあったときは、迷彩っぽいグリーンで塗装されてたことは記憶している。

平和館の前に展示してあった、一式戦闘機「隼」
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で作られたレプリカです。
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このあと宮崎へ向かったのですが、台風が直撃して車の運転が大変でした。。。。



タグ:兵庫
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日本発のジェットエンジン「ネ20」 [資料館]

少し前になりますが、国際航空宇宙展を見に行きました。

自分が見たかったものは、2点。

その一つが、太平洋戦争中に日本が開発したジェット戦闘機「橘花」に搭載された、ジェットエンジン「ネ20」
日本に現存するのは、IHIに保管されているこのエンジンのみ。
他はアメリカに接収されてしまいました。
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第二次世界大戦中に、実践投入されたジェット戦闘機は、ドイツのメッサーシュミットMe262だけだが、各国独自開発しており、日本でも当然行われていた。
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日本は、同盟国のドイツから技術交換としてMe262の資料を入手しようとしたが、機体やエンジンの設計図を潜水艦で輸送中に撃沈されて、日本に届いたものは、一部空輸された外観図のみのというありさまだった。
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結局、機体の外観こそ参考にされたが、エンジンは独自開発されたもの。

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終戦間近の1945年8月7日に12分間の初飛行に成功し、その後12日に2回目の飛行の際には、着陸時にオーバーランし少破し、終戦を迎えた。
終戦時には2機が完成し、20機近くが完成間近であったという。
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もう1つ見たかったものは、場外展示。

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F35の実物大モック。
さすがに人気高い。
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実物ではないので、思いのほか感動はなかったですが、実機以上に近寄れたのでそこは満足です。
個人的には、ネ20が見れただけでおつりがきたよ。

日本は戦後しばらく飛行機開発が禁止されたので、ジェット機の開発競争から遅れてしまったが、
航空産業から自動車産業に開発員が流れ、日本の自動車産業発展につながった。
今、三菱のMRJやホンダジェットなど日本の航空産業に活気が見えているのは頼もしい限りですね。



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横綱千代の山・千代の富士記念館 [資料館]

先日、九重親方(千代の富士)がお亡くなりになり、また昭和の大ヒーローが逝ってしまいました。
筋肉隆々な体と、精悍な顔で、ほんとカッコ良かったです。
今、角界に必要なのは、このようなカリスマ性を持った横綱でしょうか。

以前に函館から松前へドライブした際に、たまたま見つけて立ち寄った
「横綱千代の山・千代の富士記念館」を紹介するよ。

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松前郡福島町は、千代の山と千代の富士の出身地で、それを記念してこの記念館が建てられらとのこと。

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中段構えで両横綱の銅像が並んで建っている。
綱を回しての中段構えって、ちょっと変なのですが、様になっているのでいい。

記念館には、優勝記念品、横綱やまわし、ヒストリーパネルが展示してある。
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九重部屋の稽古場も再現されている。
ここの看板は、富士の山直筆で、初代九重部屋で掲げられていたものだ。
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偶然見つけて立ち寄ったのだが、じっくり見てたので、すっかり長居をしてしまった。
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タグ:北海道
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本庄市立歴史民俗資料館(埼玉県本庄市) [資料館]

本庄市をドライブしているときに、ぶらっと本庄市立歴史民俗資料館に寄ったよ。

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資料館の手前に移築されている田村本陣門。
本庄宿の北本陣と言われた本陣の正門。
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薬医門。
大名が泊まる本陣の門だけあって、立派な門です。
ただ・・・ポツンとこの門だけあるので、ちょっと浮います。。。
しかも後ろに立っているのは洋館なんで。

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資料館。
明治16年に建てられた疑洋風建築の本庄警察署。

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2階の石造風の柱は、木造です。
白とブルーの配色が絶妙ですね。

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野外展示してあった、消防ポンプ。
森田式消防ポンプ車で、明治末~大正初期のもの。
国内では最初のガソリンエンジン付のプランジャーポンプ。

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その他農機具がいくつか展示してあった。

資料館としては思いのほか、見どころが多かったですね。

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今は歴史民俗資料館として現役な建物だが、こんな警察署が現役であると粋なんだけどね。
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軍艦利根資料館(広島県江田島市) [資料館]

広島県の江田島の先・・・といっても、車で音頭方面から向かえば先、
宇品港からフェリーで行けば手前と言ったほうがいいか。
現在の能美海上ロッジの近くの沖で、昭和20年の7月に重巡洋艦利根が空襲を受け、着底した。

戦後に鉄不足から、船体はサルベージされて解体されてしまったが、
一部の品々は着底付近に作られた「軍艦利根資料館」に保管されている。

江田島をドライブした際に、寄ってみたよ。

能美海上ロッジの駐車場の隅に、古い集会所のような感じで佇んでいる。
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正面には、引き上げられた錨やスクリューが場外展示してある。
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中に入ると、中央に大きな利根の模型が展示してある。
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前方には4基の主砲。
砲の向きが変わってますね。

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後方は水上偵察機を搭載した、なかなか面白いシルエットの軍艦だ。

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あまり展示品が多いとは言えないが、計器類や風呂、指揮官デスクなど、なかなか渋いラインナップだ。

逆を言えば、地味なんですが。。。。

主砲とか砲なんか場外展示してあると、かなりインパクト大なんだが。

資料館の裏には、利根の戦没者慰霊碑が建っている。
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江田島の海上自衛隊の海軍兵学校跡地見学した際は、こちらにも寄ってみるといいよ。

もし施錠されていたら、能美海上ロッジのロビーで鍵借りれます。
自分は訪問した際に、閉まっていると思ってロビーに行ったら、
さっき開けましたよって言われた。
タグ:広島県
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