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牛込見附(新宿区飯田橋) [江戸の風情]

JR飯田橋駅西口の牛込橋周辺は、江戸時代は牛込見附として、江戸城防衛の枡形門があったところである。
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大城郭の江戸城の内外堀には、三十六見附と呼ばれる枡形門や喰違いの虎口門が造られていた。ただ三十六といのは、語呂合わせであり、実際は36あるわけではない。
本来、敵侵入から防衛することが目的である為、日常生活においては非常に不便であり、明治以降、外堀の見附は破却されていった。
赤部が現存する枡形門の石垣。
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牛込見附は内枡形形式の門で、現存する石垣は、枡形を構成する櫓台の石垣。
この見附が完成したのは1636年で、徳島藩蜂須賀忠英によって造られた。
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道を挟んでもう1つある石垣。こちらは第二門である櫓門の石垣の一部。
ここに、内堀の大手門や田安門のような枡形門があったのが実感できる立派な石垣である。
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外堀の見附の中では、石垣の保存状態は良い方だろう。

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神楽坂若宮八幡神社(新宿区若宮町) [江戸の風情]

善国寺のすぐ横道に入り、外堀通り方向に進むと、神楽坂若宮八幡神社がある。
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源頼朝が奥州征伐に向う際、この地にて宿願し、奥州征伐後、鎌倉の若宮八幡宮を勧請した。その後の文明年間には、太田道灌が江戸城鎮護の為、社を再建したという。

神楽坂の名の由来はいくつかあるのだが、この若宮八幡宮の神楽が聞こえたからというのもその1つである。
結構新しい社殿。
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今はこじんまりとした神社であるが、江戸切絵図で確認すると、江戸時代はそれなりの大きさであったようだ。例に漏れず、ここも戦災にあったのだろう...
約900年の歴史のある寺社であるが、ここまで古社らしさが全くないのが、逆に新鮮な感じだ。

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善国寺(新宿区神楽坂) [江戸の風情]

賑やかな神楽坂でも、ひと際目立つ朱色の三門、そこが「神楽坂の毘沙門さま」として、江戸時代より親しまれてきた善国寺である。
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善国寺は、1595年に徳川家康によって創建された寺。元は馬喰町にあったが、寛政4年に火災にあい、その後現在地に移転した。

三門は朱色のコンクリの三門。
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本堂の横は毘沙門堂で、ここの毘沙門天像は、初代住職の日惺上人が池上本門寺に入山する際に、関白二条昭実公より贈られたと伝わっている。
新宿山手七福神に所属

戦災のより堂宇は焼失し、現在の堂宇が昭和26年に再建されたもの。
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本堂を守っている、ちょっとかわいらしい2匹の虎。
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毘沙門天の生まれが寅年ということから、毘沙門堂の前には、狛犬の代わりに虎が見張っていることがある。
シマ模様がなければ、虎とはわからないかも。

普段でも人が多いのだが、訪問したのが年始だった為、初詣や七福神巡りの参拝者でごった返していた。
ちなみに善国寺は、七福神巡りで訪問したのだが、その際買った七福神人形と宝船のセットは、おふくろにあげた。実家のテレビの上に安置されている。

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筑土八幡神社(新宿区筑土八幡町) [江戸の風情]

赤城神社を出て、白銀公園を横に見ながら進み、大久保通りに出て、牛込署を過ぎた交差点に筑土八幡神社がある。
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1200年も昔に、この地の八幡信仰の強い老人が、一本松の樹の上に美しい雲が現れ、その雲の中から白鳩が現れて松にとまったのを見て、その松を祀ったのが八幡神社のはじまり。その後、伝教大師がこの地を訪れた際、神像を彫刻し、祠に祭った。祠の玉垣を造る際、筑紫の宇佐八幡の土を使ったことから、筑土八幡を名付けられた。
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参道の石段の途中にある、石造りの明神鳥居。
1726年に建立された区内では最古の鳥居。
下館藩主黒田直邦の奉納。
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旧社殿は戦災で焼失。現在の社殿は、昭和38年に再建されたもの。
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文化11(10年?)に造られたオヤジ顔の狛犬。
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境内社の宮比神社。
元は下宮比町の旗本屋敷内にあったもので、明治40年に現在地に遷座した。こちらも戦災で焼失し、昭和37年に再建された。
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1664年に奉納された庚申塔。
桃の実を採ろうとするオス猿と桃の葉を持つメス猿が配された、珍しい庚申塔。
あまりパターンバリエーションの無い庚申塔であるが、石像の中では圧倒的な数があるので、たまにこのような物件に遭遇する。庚申信仰自体があまり古くない上、今では信仰度もかなり低いと思われるので、今ある庚申塔のほとんどが江戸期作として、これだけつくられる信仰の浸透度とパワーって、あらためてすごいと思う。

タグ:神社
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赤城神社(新宿区赤城元町) [江戸の風情]

外苑東通りを飯田橋方面に歩き、神楽坂駅を過ぎてすぐの横道を進むと、そこに赤城神社がある。
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石造りの明神鳥居。
参拝者が引っ切り無しに訪れている。
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社殿。赤城神社は、赤城の豪族大胡氏が牛込に移住の際、本国の鎮守であった赤城明神から勧請し、牛込早稲田に祀ったのが始まり。その後、太田道灌によって牛込台に移転後、1555年に大胡氏によって現在地に遷座した。
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顔の造形がしっかりしている狛犬。造立年の年号がちょうど欠けていてわからない。
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境内社の蛍雪天神。
江戸時代は横寺町に鎮座しており、明治9年にこちらに遷座した。戦災で消失したが、平成17年に横寺町にある旺文社の寄付により、全国の受験生の合格祈願の為、復興された。旺文社、なかなか粋なことするね。
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社殿に隣接してある、「Akagi Cafe」。
こういったシャレたところが、神楽坂らしい。
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忠魂碑。
忠魂碑にありがちだが、非常に粗末に扱われている。
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境内社の出世稲荷神社。
こちらも戦災で消失したが、昭和36年に再建された。
神楽坂付近の賑やかさとお洒落さががうまくミックスした雰囲気を持つ神社である。
休息のベンチがもう少しあれば、もっとのんびりできて、くつろげるのにね。

タグ:神社
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市ヶ谷牛込の坂(新宿区) [江戸の風情]

市谷亀岡八幡宮を後にし、外堀通りに戻り、左内坂を上って、柳町方面へ向う。
その途中で出合った、坂や寺院を綴っていく。
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左内坂。
江戸時代初期にこの地を開墾した島田左内に因んで、左内坂と名付けられた。
島田家は、明治になるまでここの名主を務めたという。
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左内坂を上りきり、防衛庁を越えたあたりにある、下りと上りのすり鉢状の坂が中根坂である。
左側にある大日本印刷の辺りに、旗本の中根家の屋敷があったことから名付けられた。
写真の奥が左内坂方面。
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林氏墓地へ向う途中で見つけた、印象的な建物。
船か魚をイメージしているのだろうか?
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江戸幕府の儒官を務めた林家の下屋敷のあったところ。
現在は、林家の墓地となっている。
初代の林羅山もここに眠る。
普段は入口の扉は閉まっており、中には入れない。公開は毎年11月の第一土日のみ。
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宝竜寺坂。
坂上に宝竜寺があった為、こう名付けられた。
明治時代は、木々が生い茂り、薄暗い雰囲気があったので、幽霊坂とも呼ばれた坂。
いまでは薄暗い雰囲気はなく、むしろ感じのいい階段坂だと思う。
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宝竜寺坂の周辺は、七軒寺町と呼ばれていたのだが、そのうちの1つである浄輪寺。
和算の関孝和の墓がある。
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多聞院は、江戸後期に平家琵琶の検校(平家琵琶の語りの組織の最高位)まで昇進した吉川湊一の墓所がある。新宿区の説明板を見て初めて知った人物である。
外堀通りからは、左内坂と平行して幾つかの坂があり、中根坂の周辺には小さな坂が幾つかある。いづれ、この辺りの江戸の坂を制覇する予定だ。林氏墓地の公開日あたりを狙おうと考えている。

参考文献
江戸の坂 山野勝 著
江戸の坂―東京・歴史散歩ガイド

タグ:江戸の坂
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市ヶ谷周辺の寺社と坂巡り [江戸の風情]

最近はめっきり大江戸Walkerから遠ざかってますが、ネタは溜まりまくってます....
そろそろ恒例の東京文化ウィークも始まるので、また再開しようと考えている。
ま、再開までに、ちょこちょことネタをまとめていこうと思う。

久々の大江戸ウォーカーは、
『市ヶ谷周辺の寺社と坂巡り』と題し、市ヶ谷駅~牛込柳町~神楽坂~飯田橋駅をぐるっと周り、
そのルートにある寺社や坂を見て回ることとする。
ルートは、「江戸切絵図」の市ヶ谷牛込絵図を参考にした。
善国寺と牛込見附跡は、別の日(2006年正月)に行ったのだが、今回のルート上にあったので追記した。
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(市ヶ谷亀岡八幡宮の石段)

市ヶ谷亀岡八幡宮(旧江戸城の守りとして太田道灌が造営した古社)
左内坂
中根坂
林氏墓地(江戸幕府の儒官を務めた林家の下屋敷跡)
宝龍寺坂
浄輪寺(数学者関孝和の菩提寺)
多聞院
宗参寺(兵法家山鹿素行の菩提寺)
地蔵坂
赤城神社(牛込の総鎮守)
筑土八幡神社
善国寺(j神楽坂の毘沙門様と親しまれた日蓮宗の寺)
□若宮八幡神社
□牛込見附跡

*)大江戸Walkerとは....
江戸時代に作られた地図「江戸切絵図」を参考に歩き、東京に残る江戸の風情探訪のこと。
ひたすら歩いて、健康にもGoo!

ルート参考文献
切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩
切絵図・現代図で歩くもち歩き江戸東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))
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上野大仏(台東区上野公園) [江戸の風情]

上野大仏

「上野大仏」と聞いても、ピンとこないかもしれない。
今でも、上野公園内の上野東照宮近くのバゴダの丘と呼ばれる小高い丘に存在している。
存在感有まくりであるハズの大仏が、なぜ知られてないのか?
それには、それなりの歴史があるわけで.....

上野大仏略史
1631年 越後村上藩主堀直寄が屋敷地に釈迦如来像(大仏)を建立
1647年 地震で破損
1660年 木食僧浄雲師により銅佛(青銅大仏)に改められる
1698年 大仏殿が建立
1841年 火災にて焼失、2年後大仏および大仏殿を再建
1855年 安政の大地震により頭部が倒壊
1875年? 上野公園開設のため、大仏殿を撤去
1923年 関東大震災により頭部が倒壊。資金不足のため、改修されず放置
1944年? 金属供出令により、胴体は銃弾へと変わる
1967年 寛永寺が保管していた頭部を面部レリーフ状にして現在地に安置する


これが明治期の大仏様

現在の大仏?様
・・・・・・・
これはかなり、切なくねぇ? 
いや~なんと受難続きな大仏様でしょうか。
江戸時代には、散々災害に会いながらも、その都度再建されてることから、
民衆からいかに親しまれていたかが伺えます。
現在では面部だけとなり、「もうこれ以上落ちることがない」という解釈から、受験生の合格祈願で訪れる人が多いらしい。
今も昔も大仏様に願うキモチは同じですな。

顔だけになった上野大仏があるバゴダの丘をもう少し見てみることとする。
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上野大仏は、バゴダの丘と呼ばれる小さな丘の上にある。
江戸時代までは、この丘の上に大仏殿が建っていた。
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丘の上には、薬師三尊像が安置されている仏舎利塔と顔になった大仏様がある。
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今では、上野大仏という名より、合格大仏の方が有名かもしれない。
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こちらのインパクトある絵馬。
合格祈願がほとんどのようだ。
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参道?と反対側から見てみる。
丘の上まで階段はあるのだが、門が閉まっていて、境内には入れない。
地蔵様の近くにある宝塔。
公園内には、こういった寛永寺の名残がひっそりとたたずんでいる。

で・・・・
買って来たのがコレ
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ナイスネイチャーである。

初稿 2006.12.18
改訂 2008.08.23

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根津神社(文京区根津) [江戸の風情]

地下鉄千代田線根津駅から5分程度歩いたところに、根津神社がある。
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大きな明神鳥居。
後方にはツツジの木が広がっており、季節が季節なら非常に鮮やかな景観をしているのだろう。
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神橋と随身門。
神橋は平成18年に架橋された。
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随身門。極彩色の楼門。
矢大臣は、水戸光圀がモデルと言われている。
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神楽殿。
この建物だけ極彩色ではないので、逆に目立つ。
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手水舎。
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唐門。国重文。
唐門とは、両妻が唐破風屋根を持つ門のこと。

5代将軍綱吉が綱豊(後の6代将軍家宣)を養子にし、江戸城に引き取った際、綱豊の住んでいた場所がこの根津で、その屋敷に小社があり、次期将軍である綱豊の産土神ということで、天下普請で根津神社の造営が行われた。
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権現造りの拝殿。1706年の建築。
戦前は国宝指定を受けていたが、今は国重文。 nedujinjya8.JPG
金色の木鼻の狛犬やバク。
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青銅の灯篭。
藤堂高敏の奉納。
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西門。これも国重文。
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社殿を囲む透塀。
神社の一角に庚申塔が集められていた。
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明治以降の道路拡張により、根津神社に納められたもの。
青面金剛の中に、聖観音様がいるんですが....
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塞の大神碑。通常道祖神と言われている。明治6年に建てられたもので、道路拡張の為、明治43年に根津神社に移された。
関東大震災と東京大空襲にも耐え、いまも荘厳な姿を見せている。
また根津神社の祭りは、天下祭り(山王祭、神田祭)にも加えられ、江戸三大祭とも言われた。
■参考文献 『東京のお寺神社謎とき散歩』
載っている寺社は比較的メジャーどころが多いが、各寺社の説明が詳しく、新たに知った内容も多い。
東京の寺社巡りの入門的な書。

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本郷薬師(文京区本郷) [江戸の風情]

本郷通りと春日通りの交差点手前の脇道に本郷薬師の門が現れる。
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門のを過ぎた、突き当たりに本郷薬師と言われる薬師堂がある。堂は、1670年に建立されたという。
この辺りは、元は真光寺の境内であったが、戦災で堂宇を焼失し、その後世田谷に移転した。しかし薬師堂は、この地に残り、昭和22年に改築、そして昭和53年に新築されたとのこと。

本郷薬師の縁日は、江戸でも有数の賑やかさであったらしく、それが寺が移転した後も、薬師堂が残った要因になったのであろう。
薬師堂の横を進み、さらに小道に入ると、マンションや駐車場に囲まれたエリアに、十一面観音像と墓が現れる。
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非常に穏やかな表情の観音様である。
1720年製の像で、戦災を免れ、寺移転後もこの地に残ったもの。
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真光寺は、藤堂高虎によって再建された寺だという。
実はこの観音様のことは全く知らず、偶然小道に入ったら現れたので、ちょっと驚いてしまった。いまでも、なぜ小道へ歩いて行ったのかわからない。

これだから、ぶらりん散歩は面白い。

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