SSブログ

養玉院如来寺(品川区西大井) [寺/神社]

年末にぶっ壊れたHDのデータは、どうにか復活しました。
(.....ちょっと高い出費でしたが.....)

年始なので、七福神巡り関連として、荏原七福神の布袋さんを祀る養玉院如来寺を紹介するよ。
元は芝高輪にあった如来寺が明治末期に大井に移転し、同じく下谷から移転してきた養玉院と大正末期に合併してできた寺で、大井の大仏として有名なところだ。

場所は横須賀線の西大井駅から10分くらいのところ。
nyorai1.JPG
四脚門の山門。

nyorai2.JPG
山門をくぐり、脇の坂道を上がっていく。
閑静な住宅街の中にありながら、かなり雰囲気のいい寺だ。

nyorai3.JPG
庫裏の玄関。
ここで七福神の朱印(スタンプ)をもらう。

nyorai4.JPG
本堂。

nyorai5.JPG
明王堂。
着いたときは扉が開いていたのだが、大仏見た後に参拝しようと思ったら、閉じてました...

nyorai6.JPG
大仏殿。
横5間、奥2間の大きな堂。

nyorai7.JPG
大仏殿の額。

nyorai8.JPG
大仏殿前の布袋さんの石仏。
こちらは荏原七福神の布袋さんではないので、七福神巡りをしていてこちらを見て帰らないように。
って、大仏を参拝せずに帰ることはないだろうから、大丈夫でしょうが。

nyorai9.JPG
nyorai10.JPG
3mもある座像で、うまく五体が1枚に収まらないので、両端から撮影。
五体並ぶと、かなり壮観である。

左側より
nyorai11.JPG
釈迦如来

nyorai12.JPG
阿弥陀如来

nyorai13.JPG
センターは大日如来

nyorai14.JPG
宝生如来

nyorai15.JPG
薬師如来

1636年に芝高輪に安置されたが、その後火災で焼失し、薬師如来を除き1746年に再び作られたもの。
本来の五智如来とは違う気がするが....

nyorai16.JPG
灯篭を担ぐ邪気。

nyorai17.JPG
宝生如来の脇に槍が欠損している毘沙門天像が安置されている。
宝生如来と毘沙門天の関係がよくわからない。

nyorai18.JPG
薬師如来の脇に安置されている聖観音像。

nyorai19.JPG
大日如来前に横になっている、すげー笑顔な布袋さん。
こちらが荏原七福神の布袋さん。

訪問時は知らなかったので見過ごしてしまったが、養玉院が対馬府中藩宗家と高取藩植村家の江戸菩提寺だったので大名墓があるらしい。
次回訪問時にはチェックしたい。
nice!(20)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

金蔵寺(横浜市港北区) [寺/神社]

明けましておめでとうございます。

いつもなら七福神巡りをしているところですが、
出かけようと思ったら、スカパーでやってた「SPEC」の一挙放映を見入ってしまって、
出かけるのが遅くなったんで、横浜七福神の1つ金蔵寺に初詣に行きました。

konzouji1.JPG
日吉の住宅街の中にあるので寺域は狭くなっているが、かつてはかなり大きな寺で、
ここに祀られていた日吉山王大権現が、この地域の名前である日吉の由来とのこと。

konzouji2.JPG
山門の手前を横切る道を挟んで、参道が50mは続いており、そこが駐車場となっている。
この参道を見ると、かつての隆盛を感じることができる。

konzouji3.JPG
山門をくぐって、右側にみえる水盤舎。
非常にインパクトのある極彩色の水盤舎だ。

konzouji4.JPG
なんとも愛嬌のある鬼の彫刻。

konzouji5.JPG
水盤舎の裏には、ナニコレ珍百景にでもでてきそうなパンダの石像が。
数年前まで幼稚園が併設されていたらしいので、その名残だろう。

konzouji6.JPG
水盤舎の向いにある観音堂。
如意輪観音が祀られていました。

konzouji7.JPG
本堂。
正面の灯篭も極彩色。

konzouji8.JPG
本堂内にあった、徳川家から拝領したという住職用の籠。

konzouji9.JPG
本堂の裏手にある弁天堂。
奥の院への入口ともなっているが、古式の城郭っぽい建物がなんともいえない。

konzouji10.JPG
弁天堂の通路は壁画や彫刻など華やかである。

konzouji11-1.JPG
konzouji11-2.JPG
konzouji11-3.JPG
だが、彫刻のシーンに統一性はないような気が....

konzouji12.JPG
コンクリのような彫刻だが、木の透かし彫りに白でペイントしている。
なかなかの彫刻なのだが、なぜ漆喰風にしたのかはわからない。

konzouji13.JPG
2階部の堂の中には、弁天様が祀られている。
中央の厨子には弁天像を中心に大黒天、毘沙門天が祀られていた。

konzouji14.JPG
裏山の道沿いに色々な祠がたっており、見所満載なのだが、
ほとんどの人が山門と本堂の行き来だけなので、もったいない。
最初に建っているのは、青面金剛と猿の庚申塔。

konzouji15.JPG
次は日吉山王権現の石碑。
昔は石碑だけでなく、社殿なり祠なりがあったのだろう。

konzouji16.JPG
さらに進むと弁財天の洞窟があった。

konzouji17.JPG
次に不動明王を中央に、左に馬頭観音、右に聖観音が祀られていた。

konzouji18.JPG
konzouji19.JPG
裏山というより裏の坂を登ったところに、奥の院の不動堂があった。
かすかに色が残っている不動様が祀られていた。
この周辺は結構ひらけているのに、ポツンと不動堂があるだけ。
昔はここの付近に日吉山王社でもあったのではないだろうか。

本堂周辺には多くの参拝者がいたが、ここまでに出合ったのは1組の家族だけ。
せっかくお寺に来たなら、墓地は除くとして、隅々まで見てもらいたいですね。
いろんな発見があって面白いよ。

konzouji20.JPG
最後に水盤舎の裏手にある鐘楼。
梵鐘は、徳川秀忠から寄進されたもの。
nice!(17)  コメント(5) 
共通テーマ:旅行

日岡八幡神社(兵庫県佐用町) [寺/神社]

三日月陣屋そして列祖神社に隣接して鎮座しているのが、日岡八幡神社である。
この神社は陣屋が建てられる前より鎮座しており、陣屋築城の際、
神社の一部を削られたというので、かなり大きい宮であったことが知れる。

この神社の前を通って陣屋に到着したのだが、自分好みな風貌で陣屋を探索後に参拝に向った。

hioka1.JPG
キタよね、この程よい漆喰崩落具合な土塀。

hioka2.JPG
hioka3.JPG
hioka4.JPG
壁と階段のバランスがなんとも言えない。
明治や大正時代の神社や寺の古写真をみると、こんな感じの写真を見かけるのだが、
日本の原風景を見ている感じがしてならない。

hioka5.JPG
参道の階段中腹に建つ、高良神社。
覆い堂で覆われている。古い建築物なのだろうか?
祀られているのは武内宿禰で、応神天皇や神功皇后とと関係深い人物であることから、
八幡神社に末社として祀られることが多い。

hioka6.JPG
hioka7.JPG
階段上には三間一戸の素朴な造りの随身門。

hioka8.JPG
入母屋唐破風屋根付きの拝殿。

hioka9.JPG
拝殿の左側には社務所。

古写真風に。
hioka10.JPG
タグ:神社
nice!(24)  コメント(4) 
共通テーマ:旅行

列祖神社(兵庫県佐用町) [寺/神社]

津山藩森家の分家が立藩して三日月藩となり、佐用町に三日月陣屋を建てた。
陣屋内には先祖や藩主を祀った列祖神社も創建され、現在も陣屋跡に隣接して残っている。

retsuso1.JPG
一の鳥居は、真新しい石造の明神鳥居。

retsuso2.JPG
参道の階段を登ると、左側にかなりくたびれた土塀が雑草に紛れている。
漆喰は崩落して、廃墟感溢れる雰囲気がたまらない。

retsuso3.JPG
階段の上にある二の鳥居。
こちらは文化年間に建てられたもの。

retsuso4.JPG
割拝殿。
割拝殿とは、拝殿の中央部分を土間として前後に通れる構造になっている拝殿のこと。

retsuso5.JPG
ここの拝殿は神楽殿も兼ねていると思う。
神楽が行われるときに敷かれる板のガイドらしきものがあるので、おそらくそうだろう。
もしかしたら、右下にある板がその一部か?

retsuso6.JPG
楽屋(おそらく)
トタン張りのビジュアルが貧相だが、上の方を見ると漆喰が残っているので、
当時の建築だと思われる。

retsuso7.JPG
境内の左側に神社には似つかない建物が建っている。
元は、寛政年間に建てられた藩校「広業館」の一部とのこと。
廃藩置県後は小学校として使われていたので、かなり改変されている。
ほぼ原形を留めていないでしょうね。

retsuso8.JPG
藩校から小学校へと教育の場として、各時代に合わせて変化し、
使われ続けたことはすごく有意義なことですね。

retsuso9.JPG
二階の出っ張り部分なんか、擬洋風の小学校建築としていいですね。
これからも有意義に使って欲しいものです。
タグ:神社
nice!(18)  コメント(3) 
共通テーマ:旅行

石田寺(東京都日野市) [寺/神社]

剣豪シリーズ続けるよ。
と言うより、新選組関連といったほうがいいですかね。

東京都日野市は土方歳三の生地だけあって、所縁の物件が多く残っています。
今回は、土方歳三の墓所である石田寺を紹介するよ。

今さら土方歳三についての話をしても何なので、割愛します。

sekidenji1.JPG
門前と本堂の間にある駐車場に車を停めて、参拝に向います。
山門は四脚門。
ちなみに石田寺は「せきでんじ」と読みます。

sekidenji2.JPG
観音堂。
北向観音と呼ばれる十一面観音が祀られている。
多摩川の洪水の際に流れてきた観音像を廃寺跡に祀ったのが石田寺の始まりとされ、
その観音像がこの北向観音像とのこと。

sekidenji3.JPG
日野七福神の福禄寿が祀られている。
訪問日は1月3日だったので、七福神巡りをしている人と新選組ファン?で多くの人で賑わっていました・
その他に大日如来、不動明王が祀られています。
そして左上には、

sekidenji4.JPG
近藤勇と土方歳三の写真が掲げられています。

sekidenji5.JPG
にしても....ガラス越しなんで、反射でうまく撮れないです....
福禄寿の脇にウチのアルファがかすかに写ってますね。

sekidenji6.JPG
本堂。
虹梁の曲がり具合が半端ないです。

sekidenji7.JPG
土方歳三の石碑
土方歳三の兄のひ孫にあたる方が昭和43年に建てた石碑。

sekidenji8.JPG
土方歳三の墓。
歳三は、函館戦争にて弁天砲台に孤立した味方を救出に向った際に、銃弾を浴び戦死した。
その後の埋葬地にはいろいろな伝承があり、未だに明確ににはなっていない。
この墓は、その埋葬伝承地の5箇所から土を持ち帰って建てられた引き墓である。

京都の新選組時代の活躍話ばかりがクローズアップされるが、
敗戦続きであった旧幕府軍にあって、宇都宮城、松前城を攻略した、
指揮官としての才能ももっとクローズアップされていいと思うのだが。
タグ: 剣豪 新選組
nice!(24)  コメント(8) 
共通テーマ:旅行

今戸神社(台東区今戸) [寺/神社]

剣豪シリーズ続けます。

浅草の桜橋の近くに今戸神社がある。
imado1.JPG
こちらは、招き猫の発祥の地、新選組沖田総司の終焉の地と伝わる神社である。

招き猫の発祥の地については、世田谷の豪徳寺も手を挙げているが、こちらの方が有力ではある。
招き猫に関しては、江戸時代の様々な民俗的な風習、特に吉原の遊郭あたりの人を招く為の習慣あたりが発祥だと考えている。
形となったのは、この神社辺りで盛んであった今戸焼きが初だと思う。

imado2.JPG
今戸神社は、浅草名所七福神の福禄寿が祀られている。

imado3.JPG
今戸神社の拝殿。
拝殿の中に大きな猫が.....

imado4.JPG
右手(足)を挙げてる2匹の招き猫。
右手を挙げているのは金運を招き、左手は人を招くとされている。

右側には2頭身のSD福禄寿が安置されている。

imado5.JPG
丸い絵馬が印象的。
イザナギとイザナミが祀られていることから縁結びの神社と言われており、
縁と円とかけて丸い絵馬になったらしい。

imado6.JPG
この神社は沖田総司の終焉の地とされている。
これは、沖田総司を診ていたのが松本良順で、当時松本良順がこの今戸神社に仮住まいしていたことから、
このように言われているとのこと。
実はコレだけです.....

実際は、松本良順は千駄ヶ谷の植木屋に沖田総司を匿って診ていたので、
ここが終焉というのは可能性は低いと思う。

imado7.JPG
網に囲まれた典型的な江戸獅子タイプの狛犬。
風化対策の網だろうが、ちょっと無粋だね。
nice!(19)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

全生庵(台東区谷中) [寺/神社]

剣豪関連が続いていますが、まだまだ続けます。

幕末の剣豪で「幕末の三舟」と呼ばれた一人、山岡鉄舟が明治維新で殉じた人の菩提を弔うために建立したのが、
全生庵である。

江戸城無血開城に向けての西郷隆盛と勝海舟の会談に先立ち、鉄舟は西郷と面会し、
堂々たる姿勢で対応し、無事無血開城を成し遂げることになる。

個人的には、津本陽の「春風無刀流」の影響の為、政治家というより剣豪というイメージしかない。

全生庵は、千代田線千駄木駅から5分程度歩いたところにある。
zensyouan1.JPG
本堂は、東京でよく見かける、2階立てのコンクリ建築。
都内では消防法の関係で、なかなか規模の大きい木造本堂を建てることができない為だ。

zensyouan2.JPG
経蔵か宝物庫。
なかなか味のある建物。
zensyouan3.JPG
重厚な扉には、葵御紋の家紋。
徳川慶喜より許されたのだろうか。

zensyouan4.JPG
墓地内に建つ、金ピカの聖観音像。
6mはあると思う。

zensyouan5.JPG
山岡鉄舟の墓。
唐破風屋根付きの墓。

ちなみに山岡鉄舟の母は、鹿島神宮の神職の娘で、祖先は塚原卜伝にあたる。
やはり受け継がれる血があるのだろう。
nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

武蔵神社(岡山県美作市) [寺/神社]

宮本武蔵が祀られている武蔵神社に通ずる、鎌坂道の入口。

musashi5.JPG

しばらく進むと、武蔵神社の鳥居が現れる。

musashi1.JPG
武蔵神社に参拝しますよ。

musashi2.JPG
途中にある「戦気」の石碑。

musashi3.JPG
拝殿。
本殿は、流造りの小さな社。

musashi4.JPG
拝殿に掲げられていた額と絵馬。
有名な武蔵像のバストアップが描かれているが、眼光が鋭い。
この神社は昭和46年に建てられた、結構新しい神社。
無敗を誇った武蔵にあやかり、受験やスポーツの勝負事を祈願する人が多いという。

社殿の右横を進むと、宮本武蔵の墓と武蔵の父無二斉と母お政の墓がある。

musashi6.JPG

武蔵の墓は、養子である伊織が、武蔵の父母の墓があるこちらに分骨して建てたとのこと。
伊織の時代のころから、この地が武蔵の出生の地だというのが、有力だったのだろう。
ちなみに養子の伊織は、熊本の細川家に仕え、家老にまで上りつめた人物。
剣の腕はさておき、かなり才能のある人物だったようですね。
タグ:神社 剣豪
nice!(25)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

讃甘神社(岡山県美作市) [寺/神社]

柳生の里を紹介したので、今度は宮本武蔵の誕生の地を紹介するよ。

武蔵については、活動が不明な時期も多く、謎の多い人物である。
そんなもんで、出生地には諸説があり、どこかに確定しているわけではないが、
そのなかでも有力な地が、岡山県美作市にある武蔵の里である。

武蔵資料館の東側の県道240号沿いに讃甘神社がある。

samono1.JPG
唐破風屋根付きの両部鳥居。
神仏習合の色を残す、珍しい鳥居。

samono2.JPG
あまり見かけないだけに、構造が面白い。

samono3.JPG
samono4.JPG
拝殿と流造の本殿。
拝殿は、津山藩主森長継が元禄8年に改築したもの。

ここの神社の宮司の太鼓のバチの動作をみて、二刀流のヒントとなったと伝わっているが....
二刀流の元になったのは、父無二斉から伝えられた十手術の影響だとも言われている。
実際は、実戦の中で身についた自己流だと思う。
二刀流といっても、最初から二刀で戦うのではなく、使えるものは何でも使えという思想なんですが。

samono5.JPG
samono6.JPG
神社の横にあった水車。
水は微妙に流れているが、水車を廻すほどではなく、回転はしていない。
動いていると、様になるんだけどね。
タグ:神社 剣豪
nice!(20)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

一刀石(奈良県奈良市) [寺/神社]

柳生の里でどうしても見たかったのが「一刀石」。

高校の頃に五味康祐の「剣法秘伝」を読んで以来、剣豪小説を片っ端から読むようになり、
五味作品のみならず、山田風太郎、津本陽、白石一郎などなどよく読んだものだ。
自分の中では、柳生といえば無敵の剣豪から悪役、クイズハンターなど様々な顔を持ったヒーローなのだ。

そのヒーローの1人、柳生石舟斉が天狗と稽古してたときに、天狗と思って斬った巨石が、

「一刀石」である。

その一刀石は、柳生家菩提寺である芳徳寺の一般墓地の脇の山道を進むとあると、
案内板に書かれてあったので行ってみたのだが........

山道に入ってすぐに「通行禁止」の看板とロープが。

おいおい整備でもしてんのかと思い、そのまま突破しようと思ったが、ちょっと先が土砂崩れで道が無くなってた....

こればっかりはしょうがない。

しかし観光パンフを見てると、遠回りになるが別のルートがあることがわかったので、

そちらのルートで再アタックすることにした。

こちらのルートは、道こそ狭いものの、目的地近くまで舗装された道が続いており、楽々到着した。

ittouseki1.JPG
一刀石は、この天石立神社にある。
この杉並木は、柳生宗矩が整備して植えたと伝わる。

ittouseki2.JPG
この辺りは、このように巨石がゴロゴロしている。
この地は、柳生一門が修行していた場とも言われているが、なそほどそうかもしれない。
剣術だけでなく、修験道や忍術の修練をしていても不思議ではない雰囲気だ。

ittouseki3.JPG
天石立神社。左の巨石が神体。
高天原で手力雄命が天岩戸を引き開けた際に、扉石が力余って飛んで行ったのだが、
その扉石がこの地に落ちたとされる。

拝殿からさらに進むと...

ittouseki4.JPG
ittouseki5.JPG
ありました、一刀石。
キレイに割れてますね。
これは間違いなく、石舟斉が剣気で斬ったものだっ

と、夢を持つこととする。

にしても、ぬかるみすぎて、近づけない。

駐車場まで戻って、その横にある「柳生茶屋」で茶がゆ定食を食べたよ。
ittouseki6.JPG
タグ:神社 剣豪
nice!(27)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。