ウラジオストクぶらり旅① [ロシア]
久しぶりの記事です。
平日の忙しさは相変わらずですが、休日はしっかり取れており、いろいろと旅してます。
9月にロシアのウラジオストクに行ったので、その記事です。
極東ロシアがeビザ(簡易電子ビザ)で行けることになったので、2時間でいけるヨーロッパというキャッチコピーに惹かれ、行ってみようと思ったわけ。
あと大学時代の友人と話していたら、このネタになって、「おれも行く」となったので、2人での旅になりました。
自分は要塞跡を見たく、友人はマリインスキー劇場でバレエやオペラが見たいので、まとめると結構濃い旅になった。
●出国の準備
まずeビザですが、ロシアビザ申請サイトから申請します。
日本語選択できるので、順序通りに記載していけばOK。
申請後、2日後くらいにロシア大使館から発行のメールが届くので、それをプリントアウトして持参すればいいです。
画面表示ではだめなので、必ずプリントアウトしておくこと。
●移動
成田発の便が毎日1便あり。
ただ14時くらい出発なので、現地についてからの観光はほぼできず、移動日と考えたほうがいい。
到着は17時過ぎ(時差は1時間はやい)で、入国審査、荷物受け取りかとしてると、ウラジオストク駅までのアエロエキスプレスは終電になっており、列車での移動ではできない。
バスかタクシーになるのだが、これは好みですかね。
タクシーは、空港ロビーに「TAXI」デカデカと書かれた案内所で手配してくれる。
ここで裏技。
料金は市内まで一律1組1500ルーブル(このとき1ルーブル1.6円)で、ここでの前払いとなる。
基本4名をまとめられて載せられます。
だから、並んでいる前後の日本人に声をかけてグループになることで、タクシー代を安くできます。自分は前にいた女性1名に声をかけて3名のグループになり、3名で1500ルーブルとなり、一人あたり500ルーブルで済みました。残り1名は、先に支払い済みの女性で、その方は1名で1500ルーブル払っていました。
では、おそロシア?への旅の備忘録です。
成田空港第1ターミナル出発ロビーで友人とフライトの2時間前に合流し、チェックインして荷物を預ける。
出発時間が前日に20分早まったが、結局当初の予定通りの出発となった。
17時過ぎにウラジオストク空港に到着。
入国手続きをして、荷物を受け取る。
入国手続きの際、出国カードを受け取るのだが、これは絶対に無くさないこと。
パスポートを無くすのと同様、めんどくさいらしいので。
次にATMでルーブルを引き出す。空港ロビーにATMが8台並んでいるが、それぞれ引き出し上限が違うので注意する。
その後にタクシーを手配し、先に書いたように、4名で市内へ向かう。
それぞれが行き先を伝えて、順に降ろしてもらいます。
ドライバーはほぼ英語は通じないので、できればロシア語表記でのアドレスを用意しておいたほうがいい。なければウラジオストクステーションでいいと思います。
ドライバーのおっちゃんが、めちゃくちゃ飛ばしており、後部座席の真ん中が自分だったので、慌ててシートベルトを締めようとしたが、ロックでできない。。。
恐怖を感じながら乗ること50分・・・・
1名の女性が郊外で降りて、次に我々。
ドライバーがこの日泊まるホステルの前まで、車を降りて案内してくれた。
ロシアの人は見た目は不愛想なのだが、とても親切ということを、この旅で実感した。
でも、、、、扉が閉まっていて入れない。。。。
入口が他にあるのかと思い、周辺をグルグル探すもわからず。
うろちょろしてたら日が暮れてきたので、かなり焦りだす。。。。。
扉の前に戻って、そこからホステルに電話したら、出てきてくれました。
入口はここであっていたのだ。。。。
扉のロックの解除の仕方を教わって、部屋に案内されたあと、3泊分の宿泊代を払う。
2名で3泊 4800ルーブルでした。
6人部屋を我々2名で貸し切り。ラッキー。
荷物を置いて、周辺のコンビニ探しを行う。
ホステルから歩いて1分くらいのところにコンビニがありました。
ビールとつまみを買って、ホステルにそれらを置いてから、夕飯食べにPlatウラジオストクに載っていたポルトフランコに行った。
ホステルから5分程度でしょうか。
金曜の21時からはジャズ演奏があるとのことで、ちょうどよかった。
(画像は後日撮ったもの)
満席だったので待っていたら、次に来たのが、2名の日本人男性。
以降、この2名とは何度も店がかぶることになるのだが、それもこれもウラジオストクのガイド本「Platウラジオストク」の購入率が高いからだろう。飛行機のなかでもみんなこれを読んでいたし。
「Platウラジオストク」
まずはビール。
ザラタヤ・ボーチカ。結構これ飲みました。
ここの店員は非常に元気がよく、流ちょうな英語をしゃべっていて、すごく好感がもてた。
しかもかわいいし。
ボルシチ。非常に美味しいです。
ウラジオストクでのお店での食事はハズレ無しでした。
これで2名で3600ルーブル。1ルーブル1.6円なので、非常に安いです。
で、ホステルに戻って。先ほど買ったビールを飲みながら、明日の予定を確認しようとしたら、
・・・・ビールがまずい・・・・
コゼルの黒ビール・・・はじめてビールを捨てました。
一通り予定確認して、テレビをみたらガーデアンズオブギャラクシーをやってたので、まったり見てから寝た。
1日目終わり
平日の忙しさは相変わらずですが、休日はしっかり取れており、いろいろと旅してます。
9月にロシアのウラジオストクに行ったので、その記事です。
極東ロシアがeビザ(簡易電子ビザ)で行けることになったので、2時間でいけるヨーロッパというキャッチコピーに惹かれ、行ってみようと思ったわけ。
あと大学時代の友人と話していたら、このネタになって、「おれも行く」となったので、2人での旅になりました。
自分は要塞跡を見たく、友人はマリインスキー劇場でバレエやオペラが見たいので、まとめると結構濃い旅になった。
●出国の準備
まずeビザですが、ロシアビザ申請サイトから申請します。
日本語選択できるので、順序通りに記載していけばOK。
申請後、2日後くらいにロシア大使館から発行のメールが届くので、それをプリントアウトして持参すればいいです。
画面表示ではだめなので、必ずプリントアウトしておくこと。
●移動
成田発の便が毎日1便あり。
ただ14時くらい出発なので、現地についてからの観光はほぼできず、移動日と考えたほうがいい。
到着は17時過ぎ(時差は1時間はやい)で、入国審査、荷物受け取りかとしてると、ウラジオストク駅までのアエロエキスプレスは終電になっており、列車での移動ではできない。
バスかタクシーになるのだが、これは好みですかね。
タクシーは、空港ロビーに「TAXI」デカデカと書かれた案内所で手配してくれる。
ここで裏技。
料金は市内まで一律1組1500ルーブル(このとき1ルーブル1.6円)で、ここでの前払いとなる。
基本4名をまとめられて載せられます。
だから、並んでいる前後の日本人に声をかけてグループになることで、タクシー代を安くできます。自分は前にいた女性1名に声をかけて3名のグループになり、3名で1500ルーブルとなり、一人あたり500ルーブルで済みました。残り1名は、先に支払い済みの女性で、その方は1名で1500ルーブル払っていました。
では、おそロシア?への旅の備忘録です。
成田空港第1ターミナル出発ロビーで友人とフライトの2時間前に合流し、チェックインして荷物を預ける。
出発時間が前日に20分早まったが、結局当初の予定通りの出発となった。
17時過ぎにウラジオストク空港に到着。
入国手続きをして、荷物を受け取る。
入国手続きの際、出国カードを受け取るのだが、これは絶対に無くさないこと。
パスポートを無くすのと同様、めんどくさいらしいので。
次にATMでルーブルを引き出す。空港ロビーにATMが8台並んでいるが、それぞれ引き出し上限が違うので注意する。
その後にタクシーを手配し、先に書いたように、4名で市内へ向かう。
それぞれが行き先を伝えて、順に降ろしてもらいます。
ドライバーはほぼ英語は通じないので、できればロシア語表記でのアドレスを用意しておいたほうがいい。なければウラジオストクステーションでいいと思います。
ドライバーのおっちゃんが、めちゃくちゃ飛ばしており、後部座席の真ん中が自分だったので、慌ててシートベルトを締めようとしたが、ロックでできない。。。
恐怖を感じながら乗ること50分・・・・
1名の女性が郊外で降りて、次に我々。
ドライバーがこの日泊まるホステルの前まで、車を降りて案内してくれた。
ロシアの人は見た目は不愛想なのだが、とても親切ということを、この旅で実感した。
でも、、、、扉が閉まっていて入れない。。。。
入口が他にあるのかと思い、周辺をグルグル探すもわからず。
うろちょろしてたら日が暮れてきたので、かなり焦りだす。。。。。
扉の前に戻って、そこからホステルに電話したら、出てきてくれました。
入口はここであっていたのだ。。。。
扉のロックの解除の仕方を教わって、部屋に案内されたあと、3泊分の宿泊代を払う。
2名で3泊 4800ルーブルでした。
6人部屋を我々2名で貸し切り。ラッキー。
荷物を置いて、周辺のコンビニ探しを行う。
ホステルから歩いて1分くらいのところにコンビニがありました。
ビールとつまみを買って、ホステルにそれらを置いてから、夕飯食べにPlatウラジオストクに載っていたポルトフランコに行った。
ホステルから5分程度でしょうか。
金曜の21時からはジャズ演奏があるとのことで、ちょうどよかった。
(画像は後日撮ったもの)
満席だったので待っていたら、次に来たのが、2名の日本人男性。
以降、この2名とは何度も店がかぶることになるのだが、それもこれもウラジオストクのガイド本「Platウラジオストク」の購入率が高いからだろう。飛行機のなかでもみんなこれを読んでいたし。
「Platウラジオストク」
まずはビール。
ザラタヤ・ボーチカ。結構これ飲みました。
ここの店員は非常に元気がよく、流ちょうな英語をしゃべっていて、すごく好感がもてた。
しかもかわいいし。
ボルシチ。非常に美味しいです。
ウラジオストクでのお店での食事はハズレ無しでした。
これで2名で3600ルーブル。1ルーブル1.6円なので、非常に安いです。
で、ホステルに戻って。先ほど買ったビールを飲みながら、明日の予定を確認しようとしたら、
・・・・ビールがまずい・・・・
コゼルの黒ビール・・・はじめてビールを捨てました。
一通り予定確認して、テレビをみたらガーデアンズオブギャラクシーをやってたので、まったり見てから寝た。
1日目終わり
大さん橋に寄港した護衛艦いずも [ミリタリー]
横浜開港祭に護衛艦いずもが寄港するとのことで、さっそくいてみたよ。
最寄りの駅に着くころには、2時間半待ちと情報があり、入場までに間に合うか焦りましたが、
並んだ時には80分と表示があり、ちょっと安心。
横浜の大さん橋に寄港しています。
やはりでかい。
柵側は立ち止まって写真撮る人が多いので、流れが遅いです。
やっと荷物検査。ここまで40分くらいです。
やっと内部へ。タラップから格納庫へ入ります。
エレベーターで上甲板へ。
艦橋と近接防衛システムseaRAM。
seaRAMは接近する物体を小型ミサイルで迎撃する装置。
船体の前方に配置しているファランクス。
毎秒75発の20mm機関砲。
ファランクス付近から後方を見る。
やっぱでかいですね。。。。
後方の旭日旗。
格納庫に戻って、一番後方に主力搭載ヘリSH-60
部隊ロゴ?
帰りに赤レンガ倉庫に行きましたが、そこから見たいずも。
大さん橋といずもの艦橋が合体して、超巨大空母のようだ。
最寄りの駅に着くころには、2時間半待ちと情報があり、入場までに間に合うか焦りましたが、
並んだ時には80分と表示があり、ちょっと安心。
横浜の大さん橋に寄港しています。
やはりでかい。
柵側は立ち止まって写真撮る人が多いので、流れが遅いです。
やっと荷物検査。ここまで40分くらいです。
やっと内部へ。タラップから格納庫へ入ります。
エレベーターで上甲板へ。
艦橋と近接防衛システムseaRAM。
seaRAMは接近する物体を小型ミサイルで迎撃する装置。
船体の前方に配置しているファランクス。
毎秒75発の20mm機関砲。
ファランクス付近から後方を見る。
やっぱでかいですね。。。。
後方の旭日旗。
格納庫に戻って、一番後方に主力搭載ヘリSH-60
部隊ロゴ?
帰りに赤レンガ倉庫に行きましたが、そこから見たいずも。
大さん橋といずもの艦橋が合体して、超巨大空母のようだ。
タグ:神奈川県
宇和島湾防衛の樺崎砲台 [城]
宇和島城から車で5分程度のところに、1855年に造られた樺崎砲台がある。
宇和島歴史資料館の隣にあり、車は資料館の駐車場に停めさせていただく。
以前は海に面した砲台場であったが、現在は周辺を埋め立てられて、空堀になっている。
裏側に回ってみる。
木柵で囲われ、冠木門も閉じられている。
中に案内版が見えるので、これは入っていいと判断し、中に入る。
砲眼は1つしか残っていない(復元?)が、5門設置されていたらしいので、砲眼が5個あったと思われる。
砲眼は内側を石垣で外側を土塁(コンクリートになっているところ)の構造。
以前はレプリカ砲が台場の脇に設置されていたらしいが、今は無いです。
定位置に設置すれば様になるのだが。。。。
隣の歴史資料館の2階ベランダから見たところ。
空堀ではなく、水堀のほうが台場としては様になると思う。
この砲台は宇和島湾防衛目的で作られたが、結局はイギリス艦船の寄港に対する、祝砲として使われただけである。
宇和島歴史資料館の隣にあり、車は資料館の駐車場に停めさせていただく。
以前は海に面した砲台場であったが、現在は周辺を埋め立てられて、空堀になっている。
裏側に回ってみる。
木柵で囲われ、冠木門も閉じられている。
中に案内版が見えるので、これは入っていいと判断し、中に入る。
砲眼は1つしか残っていない(復元?)が、5門設置されていたらしいので、砲眼が5個あったと思われる。
砲眼は内側を石垣で外側を土塁(コンクリートになっているところ)の構造。
以前はレプリカ砲が台場の脇に設置されていたらしいが、今は無いです。
定位置に設置すれば様になるのだが。。。。
隣の歴史資料館の2階ベランダから見たところ。
空堀ではなく、水堀のほうが台場としては様になると思う。
この砲台は宇和島湾防衛目的で作られたが、結局はイギリス艦船の寄港に対する、祝砲として使われただけである。
タグ:愛媛県