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猿石(奈良県明日香村) [ミステリアススポット]

ミステリアススポットの第10弾は、明日香の奇怪な石像『猿石』を紹介しまっせ。

猿石とは、欽明天皇稜に隣接している吉備姫皇女王墓内に置かれている、4体の石像である。
この石像、一応「女」「山王権現」「僧」「男」となっているが、あくまで仮称で、実際は何なのかは不明。
saru1.JPG
左より「女」「山王権現」
saru2.JPG
左より「僧」「男」

渡来人の姿であるというのが、現在有力である。

この石は江戸時代に、この付近の田んぼから掘り出され、この場所に置かれたと言われている。

が・・・・・この猿石の写真を撮っていたら、この付近に住む方に声を掛けられ、
色々な話を聞くことができたのだが、どうも多少違うようだ。
この方は、この地に100代近く続いている家の方らしく、吉備姫皇女王墓の整備も行っているとのこと。

伺った話をまとめてみた。
 1)田んぼから掘り出されたのは戦国期で、当初7体あった。

 2)その7体は掘り出された後、その田んぼの持ち主の家の庭に置かれていた。

 3)高取城築城にあたって、石の供出令があり、3体が供出された。
  現在、高取城の登山道途中にある猿石は、この1体であるとのこと。
  残り2体がどうなったかは不明。

 4)4体を現在地に置いたのは、江戸の初期(元禄)。

要は、置かれた時期を掘り出した時期と混同しているようだ。
この話は、その方の家にある伝書(江戸期に書かれたもの)に書かれているとのこと。

猿石の事以外にも、色々な話を聞けたので、それもまとめておく。

 1)すぐ近くにある「鬼の雪隠」と呼ばれる石造物は、現在は古墳の石室と呼ばれているが、
  あのような中途半端な位置に放置され、一部破壊されているのは、高取城の石供出の際、
  削られたのだろう。 (これは、推測だそうだ)

 2)欽明天皇稜は元々は、二重堀だったとのこと。
  明治になって天皇稜が整備された際、外堀が埋められた。
  このとき、内堀の外側に土塁を造営する為、付近に住んでいた家は移転させられた。

 3)この付近には橘寺造営当時くらいから続く家が多いそうで、名前から推測するとほとんどが渡来人だろう。
 この名前は高句麗で...と色々と教えて頂いた。
oni1.JPG
鬼の雪隠:鬼が用を足したという伝説がある。

oni2.JPG
鬼の俎(まないた):鬼が旅人を俎で料理したという。

聖徳太子前後の日本と朝鮮の外交史を調べていた時期があり、それなりに知識があったため、
こちらが突っ込んで質問すると、驚かれていた。

やはり現地の方と話すと、面白い情報が聞けるので有意義だね。
話から考えると、猿石は「渡来人」ってのが一番しっくりくる。

どこまでが事実かはわかりませんが、それも踏まえた上で、歴史ミステリーを楽しみたいものだね。
タグ:古墳・墳墓
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コメント 2

niki

これはとても興味深いですね。
土着の信仰による石像なのか、それとも渡来人のもたらした何らかの文化なのか。高句麗、百済、伽耶あたりからの帰化人たちの文化であるとしたら、
私も調べてみたいです~♪
by niki (2011-09-03 16:44) 

ガンビー

この土地は渡来人の文化・技術の影響は大きいと思います。
それが土着の文化や信仰とどうのように融合、吸収されていったのか気になります。
書籍も、作者によって解釈の幅が広いので、面白いところですね。
by ガンビー (2011-09-04 11:35) 

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