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第三海堡兵舎(神奈川県横須賀市) [戦争遺跡]

黒船来航以来、日本は領土防衛を意識し、江戸時代には台場が作られ、明治以降は要塞が造られていった。
江戸時代に造られた台場に設置された砲台からは火を噴くことなかったのだが、そもそも防衛拠点としては疑問のある構造で、明治になって新たな防衛ラインの為に3つの海堡が造られることになった。
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(第三海堡の復元図:うみかぜ公園説明板より)
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(第三海堡説明:観音崎公園説明板より)

第二海堡は世界最大の規模を誇り、第三海堡は水深40メートルの場所に造成され、日本の土木技術を結集してつくられたのだが、関東大震災で大きな被害を受けてしまうことになる。

第一海堡のみそのまま終戦まで使われたが、第二、第三海堡は除籍・廃止となってしまったのだ。
特に難工事で、30年の歳月を掛けて造った第三海堡は竣工からわずか2年後の出来事であった。
震災で全体の1/3が水没し、その後も徐々に水没が進み、浦賀水道での海難事故の原因となっていた為、
2000年から撤去が始まり、2007年に撤去が完了した。
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(海堡位置図:うみかぜ説明板より)

第三海堡撤去の際に引き揚げられた、兵舎が横須賀うみかぜ公園に移設されているので、見に行ったよ。

公園の駐車場に車を停め、兵舎の方へ歩いていくと、異様な物体が目に入った。
これが兵舎である。
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この角度では、何がなんだかわからんね。
回り込んでみる。

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兵舎の入口。
明治期要塞の砲弾庫なんかでよく見かける、レンガで造られたアーチ型の入口である。

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レンガはイギリス積み。
イギリス積みは、短いレンガと長いレンガの2つを交互の列で組み重ねていく手法である。
要塞において、明治初期はフランス積み、日清戦争を境にイギリス積みが主流となっていく。

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写真ではわかり辛いが、兵舎はT字型となっています。

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T字の両側の入口。
できれば中に入れるようにして欲しいもんです。

しかし、こんな巨大なコンクリの塊をよく持ってこれましたね.....
復元のCGを見ていつも思うのは、アクアラインの海ほたるも砲台付ければ海堡だなと。
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