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貫秀寺(福島県石川郡) [寺/神社]

夏なんで、久々にミステリアススポットの紹介でもしますかね。

今回紹介するのは、即身仏(2回目)。
即身仏は現在17体現存しているが、その大半が東北に集中している。
修験道の総本山である出羽三山の存在や、風土や自然環境が大きく影響しているのだろう。
今回は、福島県に唯一存在する、貫秀寺の即身仏を紹介するよ。

白河市街から国道289を東へ向い、県道277へ左折してからそのまま10分くらい進むと貫秀寺の看板が出てくる。
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おっ....思いっきりミイラって書いてあるよ・・・
即身仏とミイラとは意味が全く異なるし、寺側がそもそも嫌がるのだが、こちらは気にしていないようだ。
看板に書いてあった駐車場に車を停めて、参拝へ向う。

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山門は、戸無しの薬医門。

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山門の右側に本堂と庫裏がある。
本堂は入母屋造りでさっぱりした造り。
ここの即身仏(薬師堂)を管理しているのは、90歳を過ぎたおばあちゃんで、
運が悪いとなかなか出会えないらしいのだが、
我々が訪問した時に檀家さんが来て、おばあちゃんを呼んでもらえた。

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おばあちゃんに薬師堂のカギを開けてもらい、中に入れてもらう。
薬師堂の額にも「ミイラー」と書かれている。
しかも、ミイラーと伸ばしてるし。

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堂の中央には石仏と石棺があった。
この石仏の下にある石棺が、宥貞法印が入定した石棺である。
正座か半座でしか入れない、小さい石棺だ。

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宥貞法印の即身仏。
さすがに実物を撮影はできないので、石棺の前にあった写真を撮影しました。

宥貞法印について、案内板の内容をまとめると、
『宥貞法印は1591年出雲国松江の生まれで、1614年に讃岐国松尾寺の住職宥昌の弟子となり、
師の死別後は高野山で修行し、江戸深川の永代寺の住職となった。
1631年に再び旅に出て、23年後に小貫村の観音寺の住職となり、1683年に入定したと伝えられている。』

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宥貞法印が亡くなったときに使用されたという棺桶。
棺桶も現存しているのは、こちらだけだと思う。

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天井の絵。
おばあちゃん曰く、素人の方が描いたもんで、大したもんじゃないよとのこと。
十分立派だと思いますよ。

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薬師堂内に貼ってあったポスター。
昭和50年の開帳時のモノ。
昔は数年おきの開帳だったとのこと。

おばあちゃんから色々な話をお聞きしました。
新潟大学の教授が即身仏を調査をする際、かなり檀家からの反対があったとのこと。
当時は、調査に対してかなり罰当たりだという考えが強かったから。
おばあちゃんは、50年前に福島市からこちらにやってきて、以来ここの管理をやっている。

即身仏はこれまで9体見たが、宥貞法印の表情が非常に穏やかなのが印象的であった。

住所:福島県石川郡浅川町小貫63
駐車場:5台程度

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真珠院秀快上人入定堂
タグ: 即身仏
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