東金城/東金第一中隊陣地(千葉県東金市) [城]
もし1945年8月15日が終戦とならず、戦争が継続していたら、
連合軍の日本上陸作戦の発動やさらなる原爆投下が実行されていただろう。
その上陸作戦であるが、鹿児島から上陸し北上していく「オリンピック作戦」と、
相模湾および九十九里浜から上陸し関東を制圧する「コロネット作戦」が計画されていた。
これに対し、陸軍は各所に決戦陣地を構築していった。
今回は、九十九里浜から上陸する連合軍に対して構築された東金陣地で第一中隊が展開したエリアの遺構を見に行った。
八鶴湖越しに見える山は東金城址で、そこが東金陣地の1つがあったところ。
八鶴湖駐車場に車を停めて、本漸寺と東金高校の間のルートから登城した。
入口にある門の脇の石柱。
東金高校は、かつて東金御所と呼ばれた、将軍の鷹狩りの際に立ち寄る御殿があったので、御殿山と呼ばれている。
門を過ぎると、防空壕群が現れる。
中を覗きこんだら、中で曲がっていたので、壕は中で繋がっているのかもしれない。
確認できた入口は、5ヶ所。
進みます。
右側に石碑が並んでるのだが、この山はこのような石碑がとにかく多いのだ。
進みます。
下調べでは、階段がかなり荒れていたのだが、手入れされていた。
昇りきったところにある、物見台でも建っていたであろう小さな郭。
ベンチが置いあって休息場になっているのだが、眺めも良く無いし、座って休息しようという思いにはならなかった。
この郭にあった「御殿山神社奥院」の石碑。
この郭と堀切を挟んである郭を登ると主郭と思われる山頂にでる。
ここからあるものを探すべく、藪の中を目を凝らしながら歩きまわる。
主郭から東側に伸びる道を進むと、ありました目当てのモノが。
それがコレ
半地下式の観測所。
入る前に、前方に回りこんでみる。
上部には土が盛られ、半分以上は地中にある。
この正面は急斜面で、正面からこれを発見するのは困難になっている。
これを撮影するのも、斜面の木に足を引っ掛けて、どうにか全容を撮った。
敷居?は鉄柱となっている。
では入ってみる。
思ったよりキレイである。コマめに清掃されてるようだ。
せっかくなので、観測してみよう.....
木っ....邪魔~
中の壁にはコノ手の落書きが数点。
観測所を見て満足したので、戻ることにした。
このエリアには連隊砲と野砲が設置されていたのだが、全く場所がわからないので、他の陣地探索の際に探してみよう。
先の物見台の郭の南側にある堀切。
序盤で分岐する、東金高校の裏手を進むルートを行ってみる。
「大東亜戦争遺跡蛸壺」と掘られた石柱。
この周辺をかなり探索したが、それらしき穴は発見できず。
もう埋もれてしまったのか。
さらに進むんでいくと
休息エリアに出る。
先の物見台の休息エリアよりは広く開けているのだが、木々が展望を邪魔している。
ここは眺め良さそうなだけに残念だ。
奥に見える高台に物見台くらいあってもおかしくない。
連合軍の日本上陸作戦の発動やさらなる原爆投下が実行されていただろう。
その上陸作戦であるが、鹿児島から上陸し北上していく「オリンピック作戦」と、
相模湾および九十九里浜から上陸し関東を制圧する「コロネット作戦」が計画されていた。
これに対し、陸軍は各所に決戦陣地を構築していった。
今回は、九十九里浜から上陸する連合軍に対して構築された東金陣地で第一中隊が展開したエリアの遺構を見に行った。
八鶴湖越しに見える山は東金城址で、そこが東金陣地の1つがあったところ。
八鶴湖駐車場に車を停めて、本漸寺と東金高校の間のルートから登城した。
入口にある門の脇の石柱。
東金高校は、かつて東金御所と呼ばれた、将軍の鷹狩りの際に立ち寄る御殿があったので、御殿山と呼ばれている。
門を過ぎると、防空壕群が現れる。
中を覗きこんだら、中で曲がっていたので、壕は中で繋がっているのかもしれない。
確認できた入口は、5ヶ所。
進みます。
右側に石碑が並んでるのだが、この山はこのような石碑がとにかく多いのだ。
進みます。
下調べでは、階段がかなり荒れていたのだが、手入れされていた。
昇りきったところにある、物見台でも建っていたであろう小さな郭。
ベンチが置いあって休息場になっているのだが、眺めも良く無いし、座って休息しようという思いにはならなかった。
この郭にあった「御殿山神社奥院」の石碑。
この郭と堀切を挟んである郭を登ると主郭と思われる山頂にでる。
ここからあるものを探すべく、藪の中を目を凝らしながら歩きまわる。
主郭から東側に伸びる道を進むと、ありました目当てのモノが。
それがコレ
半地下式の観測所。
入る前に、前方に回りこんでみる。
上部には土が盛られ、半分以上は地中にある。
この正面は急斜面で、正面からこれを発見するのは困難になっている。
これを撮影するのも、斜面の木に足を引っ掛けて、どうにか全容を撮った。
敷居?は鉄柱となっている。
では入ってみる。
思ったよりキレイである。コマめに清掃されてるようだ。
せっかくなので、観測してみよう.....
木っ....邪魔~
中の壁にはコノ手の落書きが数点。
観測所を見て満足したので、戻ることにした。
このエリアには連隊砲と野砲が設置されていたのだが、全く場所がわからないので、他の陣地探索の際に探してみよう。
先の物見台の郭の南側にある堀切。
序盤で分岐する、東金高校の裏手を進むルートを行ってみる。
「大東亜戦争遺跡蛸壺」と掘られた石柱。
この周辺をかなり探索したが、それらしき穴は発見できず。
もう埋もれてしまったのか。
さらに進むんでいくと
休息エリアに出る。
先の物見台の休息エリアよりは広く開けているのだが、木々が展望を邪魔している。
ここは眺め良さそうなだけに残念だ。
奥に見える高台に物見台くらいあってもおかしくない。
スゴイ観測所だ。ここもお城と戦争遺跡のコラボなんですね。
しかし、怪しすぎる観測所ですね。
by ノリパ (2010-01-31 17:44)
近代において地上戦になった場合、このような平山城を陣地にするのは、
かなり有効なんですよね。
敵は戦車を展開しづらいですし、身を隠すところも多いし。
なにより簡単にできますから。
by ガンビー (2010-01-31 20:03)