春日山城(新潟県上越市) [城]
上杉謙信の本拠地が、言わずと知れた春日山城である。 平時は山麓の居館で、有事の際のみ活用される山城が多いが、謙信時代の春日山城は居館としても機能していた。 また、春日山城の特徴として、決して広くない曲輪が多く存在している。 これは少数の兵でも守れるようにしているためである。 遠征が多く、春日山を空けることが多かった為、このような縄張りが出来上がっていったのだろう。 そんな春日山城を、春日山神社側(搦手)から見て行くこととする。 城の入口の土産屋の前に佇む謙信像。 凛々しいぞ。 | |
謙信像から歩いてすぐに、小山に上がる脇道と分岐する。 その脇道は、直江曲輪(直江屋敷)の一段下に位置する帯郭である。 | |
帯郭の外側の堀切。 | |
直江屋敷への道は屈曲しており、横矢をかける。 登っていくと、平地が見えてくる。 | |
直江曲輪(直江屋敷跡)である。 上杉家の重臣直江家の屋敷跡で、直江景綱・信綱が住み、その後直江家を継いだ兼続が住んでいたと伝わる。 後に秀吉から米沢30万石を与えられた者の屋敷跡としては、かなり手狭だ。 | |
直江屋敷跡より一段上の曲輪は、お花畑と呼ばれる。 ここは、毘沙門堂をはじめ、各堂に供える花や薬草を植えたところらしい。 今は何の色気もないが、花草を植えて花畑らしく整備すれば、さぞかし綺麗な光景になると思う。何も建物ばかりが復元整備ではないと思うよ。 | |
お花畑よりさらに一段上にある曲輪に建つ毘沙門堂。 謙信が篭った毘沙門堂の跡地とされるところで、現在の堂は昭和6年に建てられたもの。 中の毘沙門天像は、謙信が信仰していた尊像を修理した高村光雲が、その像の御分身として造られたもの。 さらに進むと、本丸がある。 ここと南隣の郭は、「お天上」と呼ばれた場所で、直江津や日本海の一望できる。 南側の郭。 | |
南の郭には、天守閣跡という石碑が建っているが、天守閣があったかは疑わしい。 櫓ぐらいは建っていただろうけど。 | |
本丸の西側の一段下に井戸郭がある。 お花畑から本丸そしてこの井戸郭一帯は、実城と呼ばれたエリアで、御館の乱では、ここを抑えた景勝が勝利し、謙信の後継者となった。 | |
井戸郭の南側にある、鐘楼跡。 | |
鐘楼跡から南東へ進むと、景勝屋敷跡がある。 細長い郭だ(w | |
柿崎和泉守屋敷。 おそらく一番広い郭。 この辺りは草が激しく、ここから先には行かなかった。と言うより、行けなかった。 | |
本丸方面に戻る。 本丸下の二の丸跡。本丸の帯郭といった広さかな。 | |
米蔵跡地を囲むように残っている土塁。 現存する土塁では、一番良好に残っている。 | |
米蔵跡と並んで、景虎屋敷跡がある。 この辺り一帯が、三の丸。 景虎は北条氏康の六男で、人質として春日山に着たが、謙信に気に入られて養子となった。謙信の死後は、同じく養子で甥の景勝と上杉家の継承者の座を争ったが、敗れて自害した。 | |
三の丸から下る道。 左に進んでいくと、土産屋に戻る。 | |
多くの郭があって大きな山城であるが、道が整備されていて探索し易い。 各郭にある説明板に、景勝、景虎、兼続などの名が出てくると、それだけでも楽しくなる。 ま、各屋敷跡が、説明板通りなのかは疑わしいですけど。 |