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宇和島城(愛媛県宇和島市) [城]

宇和島城
宇和7郡7万石を拝領した藤堂高虎が、中世の城板島丸串城を修築し、近世城郭にしたのが宇和島城である。
加藤清正と並ぶ築城の名人と言われた藤堂高虎の築城術を垣間見れる城で、
陸側からだと外郭が四角形と錯覚するが、実は不等辺五角形という縄張り。
この1辺の違いは大きく、攻めての布陣が1辺狂うわけだから、そこに隙ができ、脱出や反撃の糸口と成りかねないのである。
藤堂高虎が今治そして津へ転封すると、富田氏が入り、1614年に伊達政宗の長男秀宗が10万石で入り、伊達氏のまま明治を迎える。
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城址の北側、三の丸に宇和島藩の家老桑折氏の長屋門が移築されており、そこから登城する。
登山道は、石段と所々に見える石垣、そして山の緑が清清しい雰囲気を出している。
訪問したのが朝8時頃だったので、より清清しさを実感できた。
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三の丸中腹にある井戸丸の櫓の石垣。
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井戸丸にある井戸跡。
平山城では、水源確保が重要となる。この井戸丸は櫓と城門で囲まれ、厳重に管理されていたという。
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二の丸から見た天守閣。
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二の丸の北隅にあった櫓跡。
2層の隅櫓と多聞櫓が建っていた。
古写真を見ると、宇和島城はこの組み合わせの櫓が多かったようだ。
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古写真は、潮見櫓。
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二の丸から本丸への階段。両脇に櫓を設け、櫛形門形式となっていた。
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総塗籠造りで層塔型天守閣。
伊達宗利(秀宗長男)が1667年に、新築した三重三階の天守閣。
元は藤堂高虎が建てた下板見張りの望楼型天守が在ったが、破損したので新築された。
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入口は唐破風屋根の玄関となっており、実戦的な目的で作られたというより、城の象徴として作られたといった感じ。
小振りで非常にかわいい天守閣だ。現存している12天守の1つでもある。
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本丸の北西部に位置する藤兵衛丸に移築されている山里倉庫。
1845年に調練場に建てられた武器庫で、今は郷土館として使われている。
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長門丸の多聞櫓跡。
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長門丸の石垣。
このような立派な石垣を多くみることができる。
城址内には、唯一現存している城門の立ち上がり門がある。
もちろん見に行ったのだが、ちょうど修築する為の足場を組んでる最中で、よく見れなかった。また訪れる機会があるだろう....あるかな?
あと、本丸へは1番乗りであったが、天守閣への登城は抜かれて2番となってしまった。
朝早いと開館時間より先に到着するので、時間まで近くでプラプラしていると、抜かれてしまうのだ。
よくあるんだよね、2番手ってのが(笑)

宇和島城


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