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慶元寺(世田谷区喜多見) [寺/神社]

渋谷区の喜多見に行ってみた。
なぜ喜多見なのか?

ここは、徳川綱吉の頃、喜多見藩2万石があり、喜多見氏が治めていたところだ。
江戸を中心に、武蔵国南部、相模国はほとんどが天領で、このように藩があるのは珍しいことなのだ。
この藩は、喜多見重政が綱吉の側用人となって出世し、2万石の大名に取り立てられたことからはじまる。しかし、立藩してまもなく一族(重政の叔父)が起こした刃傷事件より、伊勢に配流されお家を断絶されてしまった。

で、この喜多見氏は、元は現在の江戸城の地を治めていた江戸氏で、太田道灌に江戸の地を追われて、この地に移って来た。その後、江戸勝忠は徳川家康に使え、家康に気を使ってか、そのときに江戸氏から喜多見氏へ名を変えたのだ。

と、ちょっと興味が湧いたからだ。
喜多見に移って来た際、江戸にあった氏寺も移って、現存している。
それが慶元寺である。

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慶元寺の参道。
世田谷の住宅街の中にあって、慶元寺や隣の氷川神社は貴重な緑地だ。
雰囲気の良く、気持ちのいい参道だが、
花粉症のオレにとって、今の季節......この杉並木はヘルロードだ....
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参道脇に建つ、江戸重長像。
この江戸重長が皇居の紅葉山辺りに建立したのが、慶元寺の前身の東福寺で、江戸(喜多見氏)の氏寺である。
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山門。1755年の建立で、昭和50年に改修された。
keigenji11.JPG 修築の記念碑が建てられている。手前は江戸期のもの。
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鐘楼。
1759年の建立で、戦後改修された。
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本堂。
1716年に再建された堂で、区内最古の建造物。
関東大震災や風害によって破損したが、昭和27年に修築され、その際草葺から瓦葺きに改築された。
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本堂周辺の様子。
左より、戦没者犠牲者追善塔の観音様、慈母観音像、旅立ち前の法然像、宝篋印塔
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本堂右側にある庫裏。
さらに裏には広大な林野が広がっている。その中には喜多見古墳群の4基が現存しているらしいが、入れないので見れない。
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墓地の奥に聳える平成5年建立の三重塔。
金ピカの相輪が眩いよ。
小振りではあるが、周辺からの存在感は抜群だ。
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和様のオーソドックスな造形で、軒下は二軒繁垂木。
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墓地中央辺りにある、江戸・喜多見氏の墓。
中央の宝篋印塔は喜多見氏累代供養塔。
墓地には喜多見氏の家臣と思われる古い墓が幾つもあった。
この慶元寺とその周辺緑地ののどかさは、世田谷の住宅街の中のオアシスだ。

慶元寺


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