富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市) [寺/神社]
富士山本宮浅間大社 富士山の噴火で周辺が荒廃したのを憂い、11代垂仁天皇が浅間大神を祀ったのが起源とされる。 現在の地へは、平城天皇の勅命を受けた坂上田村麿が、壮大な社殿を造営したという。その後、多くの武将から崇敬を受け、源頼朝、武田信玄・勝頼は、社殿や神領の修築や寄進した。そして徳川家康は関ヶ原合戦後、社殿をはじめとする30棟も造営、寄進し、境内を壮大に整備した。しかし、寛永・安政の震災で倒壊し、社殿と楼門だけを残すのみとなっている。 | |
楼門の随身門。 1604年に徳川家康が造営した約30棟のうち、現存する1つである。 | |
門前にある鉾立石。 明治初年まで行われていた山宮御神幸の際、神鉾を休め奉った所。 山宮御神幸とは、山宮と里宮(本宮)を神が往来する神事で、本宮で神事が始まり、その後、神の憑る鉾を左肩に担いで山宮へ向い、山宮でも神事を行ってから、本宮へ戻るという。休め奉った所ということから、山宮から還幸した際、ここに鉾を置いたのだろう。 | |
拝殿。 拝殿の軒部と前に置かれた四聖霊獣。 本殿。浅間造りと言われる独特な造り。 重層の社殿で、寄棟造りの下層に流造りの上層を重ねており、朱漆塗にしてある。 下層が拝所で、上層が神殿となっている。 本殿および拝殿、そしてそれらを繋ぐ幣殿も徳川家康より寄進されたもので、本殿は国重文。 | |
武田信玄が植えたとされる信玄櫻。 現在のものは2代目。 | |
拝殿脇にあった、火山弾と南極石。 火山弾は、富士山噴火の際、地中の石が火熱により溶けて空中に噴出され、落下した際に酸化して冷却したもの。約100kg 南極観測船ふじの乗組員によって採取された、南極の石。 | |
湧玉池。国の特別天然記念物。 富士山の雪解け水で、毎秒3.6kl湧き出ており、水温は年中13℃。 | |
湧玉池の辺にある水神社前の藤棚。 | |
吉野邸から、浅間大社へ向かったわけだが.... シャッターが閉じて閑散とした商店街を通りながら、GWとはいえなんて寂しいところなんだろ?と思っていたら、浅間大社に近づいたとたん、渋滞と人の嵐。 浅間大社は、5月3~6日は流鏑馬祭で、人がここに流れてきていたようだ。 | |
かなり広い境内には多くの屋台が立ち並び、人で埋め尽くされている。 写真は、楼門前の表参道。 | |
流鏑馬は馬が走ってる状態から的を射るものではなく、トロット状態から壁にタンポ矢を射るというもの。(壁に的はあり) よく明治神宮での小笠原流流鏑馬を見るので、ちょっと迫力が感じられなかったかな。 たまたま見たときが、本番でなかったのかもしれないです。なんとなく練習っぽく、流してる感じを受けたんで。 | |
並んで何かをするというのが、非常にキライなのだが、たい焼きが食べたくなったので、行列ができていたが屋台に並んで買った。結構有名なところだったようだ。 その後、近くで富士宮そばを食べようと店を探したが、どこもいっぱいで、時間をズラして再訪したら、2時にもかかわらず、もう終わりになっていた....ガックシだ。 |