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吉野邸/山本勘助誕生地(静岡県富士宮市) [風林火山へGO!!]

代信寺から同じ山本地区にある、勘助の生家とされる吉野邸へ向う。
しかし持っていた資料には、番地まで記載されていなかったので、代信寺で頂いた富士宮の勘助所縁の地マップを見ながら向った。
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吉野邸の門前。
吉野家は、清和源氏の源満政を祖とし、南北朝時代にこの地に移ったという。吉野家2代の貞久の孫が山本勘助だという。勘助は貞幸(貞久の子)の三男。長男は本家の養子となり、吉野家4代目を継いでいる。
門は、立派な長屋門。
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吉野家は、江戸時代には陣屋代官をしていたとのこと。
母屋は昭和36年にもらい火で全焼した為、この長屋門のみが代官時代の遺構となる。
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長屋門の前の広場の山側には、「山本勘助誕生碑」という石碑が立っている。
大正13年に、地元青年団によって建てられたもの。
裏側には、勘助の出生から川中島での戦死までの生涯が記載されている。
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脇の通路門を入ると、勘助に関する様々な資料が展示されている。手づくりものでほのぼのしているが、見ごたえ充分である。勘助に対するリスペクトと誇りを非常に感じて、いい雰囲気だ。
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吉野邸から100mくらい勘助坂方面に進むと、勘助の母と言われている安女の墓がある。
勘助はいまだ謎の多い人物である。甲陽軍艦以前の資料が乏しいからであるが、どこからか一級の文書なり出てくることを願うものだ。
個人的には実在したと考えているが、よく言われるような軍師ではなく、足軽大将の1人にすぎなかったと思っている。

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