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医王寺(静岡県富士市) [寺/神社]

東名富士ICを下りて、県道22号を15分程度車を走らすと、比奈地区に入り、道沿いにある小学校を越えると、すぐ左側に医王寺に着く。
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門前の駐車j等に車を停める。
門前には、医王寺の池があり、憩いの場となっている。多くの子供達が遊んでおり、非常に賑やかである。
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三門。
三門を入るとすぐ幼稚園の為、ここからは入れない。右に回って、境内へ向う。
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三門横の六地蔵。
三門を右周りに進むと、本堂前に行く道と小高い丘へ向う道がある。まず丘へ向う。
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丘の上には、薬師堂がある。この堂には、平安末期作の薬師如来像が安置されている。
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薬師堂は様々な石仏に囲まれている。
順に、不動明王、涅槃仏、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵様、弥勒菩薩
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薬師堂脇にある、天神社。
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薬師堂正面にある、鐘楼。
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鐘には、4体の龍が彫られているが、長いイタチみたいでかわいい。
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薬師堂の丘を降りて、本堂へ向う。
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本堂の左側にある庫裏の玄関脇に、風林火山の幟と、本で顔を隠した木像がある。
近寄ってみると.....
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山本勘助の木像である。しかもなぜか持ってる本が逆。この像、手首が動くようになっているので、動かしてみた。本?の裏には販促物の価格が書かれていた。
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本堂の裏に回って、勘助の墓に向う。
勘助の墓(右)と勘助の祖父貞久の墓(左)。
勘助は、富士宮市山本にて、吉野貞幸と安女の三男として生まれたと伝わる。12歳で三河の大林家の養子となったが、大林家に実子ができた為、35歳のとき離縁し、山本勘助と名乗って、旅に出たという。
勘助の墓は、供養墓である。
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勘助の墓の右側にある、勘助の像。
一見、石像っぽいが、木像にグレーの塗装をしている。
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山門の左横にある小さな祠。
中には、赤い厨子?に入った鮮やかな青面金剛があった。レリーフ状の石像の多い、青面金剛(庚申塔)だけに、ちょっと珍しい。
でも、ガラスに光が反射してちょっと見えづらい...
山本家は、徳川家康から所領を安堵されたらしく、その場所は富士市中里あたりだという。その後、山本家は江戸時代に医王寺の檀家となったが、勘助の祖父貞久の墓があるのはここが所領であったからだと言われている。が、勘助に関しての資料が乏しく、実のところはよくわからない。

タグ: 風林火山
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