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柏尾古戦場(山梨県甲州市) [その他]

大善寺から甲州街道を東京方面へ向い、最初に出会う信号辺りが、柏尾古戦場である。
kashiwao1.JPG(後ろの山が柏尾山)
柏尾の戦いは、幕府軍甲州鎮撫隊と新政府軍が戦い、幕府軍が敗北、敗走した戦である。
甲州鎮撫隊を率いていたのは新選組の近藤勇で、東海道を進軍してくる新政府軍を迎撃すべく、甲府城へ目指していたが、行軍途中に近藤勇や土方歳三の故郷があったことから、行軍のスピードが遅く、甲府城は1日の差で新政府軍が入城する。
近藤勇は柏尾山向いの白平山に布陣したが、新政府軍の板垣退助が隊を3つに分け、1隊を柏尾山を迂回させ、さらに一隊を岩崎山へ進軍させ、3方より攻撃を加えた為、2時間足らずの戦闘で敗走した。
kashiwao2.JPG
近藤勇はその後千葉県の流山へ向ったが、そこで捕縛され、処刑されてしまう。
近藤勇の戊辰戦争は、この戦いが最初で最後になってしまった。

この戦いは様々な要素が含まれており、非常に興味深い。
ますは、行軍ルートに近藤勇の故郷である調布があったこと。
農民から旗本にまで出世した近藤や土方にとっては、故郷に錦を飾るわけで、故郷挙げての歓迎が待っていたのである。
これが行軍スピードを下げてしまい、たった1日の差で新政府軍に甲府城を譲ってしまう結果となってしまったのだ。

そして、装備が旧態然としており、兵も素人の寄せ集めな鎮撫隊では、まともな戦闘などできなかったこと。
この戦の際、土方歳三が江戸へ救援要請に向っており、不在だったことも大きい。
なぜなら、鳥羽伏見の戦いを経験しており、槍刀の時代ではないことがわかっていたからだ。

時代は、幕府を必要としなかったのだろう。
また、近藤勇個人としては、サムライとして、処刑ではなく戦死を望んでいたかもしれない。


この近藤勇像の横で、車をUターンしようとバックしたら、車止めの石にリアをぶつけた...
幸いにも傷や破損はなかったが、心はしばらく凹み気味だった・・・
タグ:新選組
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