大善寺(山梨県甲州市) [寺/神社]
やたら「国宝の寺」の看板が目立つ大善寺。この日のメインの1つである。 庫裏で駐車代を払い、駐車場を停める。 三間一戸禅宗様の仁王門。重厚感が漂う。 色が落ちて色白になってしまっているが、迫力ありまくりな仁王像。 | |
仁王門前の石橋と水路。 こののどかな雰囲気がいい。 | |
仁王門を潜って、階段を上がっていくと、楼門が現れる。 | |
舞台。 | |
1286年に建立の国宝である薬師堂。 観てて気持ちよくなる、非常にビューティな堂である。 和様と大仏様のミックスな建築。 1270年に火災で伽藍を焼失後に、執権北条貞時によって、この薬師堂は再建された。1540年に台風で屋根が吹き飛ばされるという災害にあったが、信玄をはじめ今井家、小山田家の援助を受けて、修築されたという。 薬師堂の中には、重文の薬師如来、日光、月光菩薩、十二神将の像が立ち並ぶ。じっくりと参拝、鑑賞したい。 | |
薬師堂の左側にある地蔵堂。 なかり新しい堂である。 | |
鐘楼。 鐘に対してちょっと大きめな鐘楼だが、建物としてのバランスはいい。 | |
役行者堂。 安置されている役行者像は、鎌倉後期のものと伝えられ、元は御坂峠に鎮座していたが、武田信春(武田家9代)によって、こちらに遷座された。 | |
役行者堂の左横に並ぶ、地蔵菩薩、庚申塔の石仏。 | |
理慶尼の五輪塔。 理慶尼は、武田信玄の従兄妹で、信玄に滅ぼされた勝沼信友の娘。勝頼が織田軍から逃れる為に、大善寺に立ち寄った際、懇切に対応したという。自分の親を滅亡させた人の息子に対しての心境は複雑だったかもしれない。理慶尼記と言われる武田勝頼滅亡記を記している。 | |
2008年の10月1日は本尊の開帳があるので、その際にまた訪れたい。 |