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新府城(山梨県韮崎市) [城]

風林火山館から七里岩ラインを南下し、韮崎市に入る。
しばらく七里岩ラインを走ると、右側に新府城が現れる。
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ますは、本丸にあった新府城の復元図を見て、城の全容を確認。
長篠の合戦以降、衰退の一途を辿った武田勝頼が、織田の大軍を迎え撃つべく、武田流の築城術を駆使した、武田家最後の城である。普請奉行は真田昌幸。虎口、馬出し、三日月堀など、武田流の築城術の集大成的な城であったが、如何せん築城開始が遅く、完成前に織田軍が甲斐に進入してきて、勝頼自ら火を放って、小山田氏を頼って岩殿山へ逃れる。その後は、小山田氏に裏切られ、武田家滅亡へと繋がる。
武田家最後の城を見ていくこととする。
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七里岩ライン沿いにある駐車場に車を停め、新府城へ向う。
まず見えてくるのが、東出構え。防御的に弱い北面に、外郭から長方形状に堀の中へ突出させた鉄砲陣地。100m先にもう1つあり、出構えの周辺は水堀で、水がはられていた。説明板では鉄砲陣地となっているが、実際運用できるかどうか疑問なところである。水位調節の施設という説もある。
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道沿いに歩くと、藤武神社への石段が現れる。ここを登れば本丸の付属曲輪の稲荷曲輪(現藤武神社)である。
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息が上がりながら、登る....運動不足だ(w
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本丸北側にある武田勝頼公霊社(勝頼神社)
建立は、1684年の頃と伝わる。
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武田勝頼公霊社の脇には、大塚と小塚と名付けられた、長篠の合戦の戦没者の供養墓が建てられている。その周辺には、武将名が記載された木塔も建てられている。
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本丸の土塁。右側が二の丸となる。
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本丸から二の丸への入口。
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二の丸。西側は七里岩の岸壁で、こちら側から攻めることは不可能だろう。
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蔀の構。本丸と馬出しの間にあった、城内を見せないための工夫らしいが、いまいちよくわからない。単なる窪みに見えるが、これが城壁や木々とどう組み合わさっていたのか、イメージがわかない。
....実は、下準備不足で、本丸と二の丸しか見てない。
山城は、出来る限り縄張りの地図の準備と、時間をかけての探索が必要だとあらためて感じた。早々にリベンジに行くよ。

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