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山本勘助屋敷墓(山梨県北杜市) [風林火山へGO!!]

須玉ICからR141を北上し、高根クラインガルデンに向って行くと、夕焼け橋と呼ばれる木製の太鼓橋を越えたあたりに、山本勘助の子孫と伝わる個人宅がある。
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この個人宅には、敷地内に伝山本勘助の墓があり、平成18年からは一般公開するようになったとのことで、先に連絡を取って伺った。
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参考にした本「風林火山をゆく」では、個人宅なので駐車場が狭いと書かれていたので気になっていたが、畑を駐車場にしたらしく、ウッドチップを敷き詰めた結構広い駐車場があった。
思った以上に観光地化してるようだが、あくまで個人宅内なので、連絡を取ってから伺ったほうがいいかも。
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おばあさんに仏壇と山本勘助の位牌を見せていただき、その後、山本勘助の墓がある裏庭に案内していただいた。
裏庭はL字型に遊歩道が整備されており、L字の内側に墓をはじめとする石塔や石仏が置かれていた。
庭に入ってすぐに、石の祠と杉の神木。
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神木を挟んで、伝山本勘助の墓。宝篋印塔、無縫塔、五輪塔といった石塔が並ぶ。
ロープが張られているので近づけないが、無縫塔には山本勘助の戒名が刻まれているという。
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L字の参道を進む。この参道は最近整備れたようだ。
L字の行き当たったところから屋敷方向を見る。祠や宝篋印塔といった石塔が集められていた。
戦国期の豪族は屋敷内に墓をつくる風習があった。実家の田舎の家の裏山斜面にも、小さな五輪塔群があり、親父の説明では、戦国期頃のものだと伝わっていると聞いたことがある。
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こちらには立派な蔵が2つもある。
写真のものは明治初期の築。もう一つの方は一見新しいそうだったのだが、江戸末期のものらしい。最近修築したとのこと。
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駐車場と屋敷の中間にあった祠。
天神祠と呼ばれており、屋敷神。ここは屋敷の土塁跡と言われており、戦国の武将の屋敷の名残だろうか。
山本勘助自信が実在しなかったという説もあり、これまでは公にしてこなかったらしいが、最近の調査で実在したことが判明しつつあるとのことで、公開するようになったという。武田二十四将でも人気度抜群な勘助だけに、より確実な資料の発見があるとうれしい。
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透き通った冷たい山水が勢い良く流れていた。こういったところの蕎麦はうまい。
実際、この日の昼は蕎麦を食ったのだった....

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