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吉川元春館跡(1)(広島県山県郡) [城]

毛利元就の次男で、安芸の豪族吉川家を継いだ吉川元春が、家督を嫡男元長に譲った後に隠居の館とした氏館。
吉川元春は弟隆景が継いだ小早川家と共に、毛利両川と呼ばれ、毛利の勢力拡大に力を尽くす。
猛将として名を轟かせた元春だが、秀吉とは気が合わなかったらしく、秀吉の下で動こうとしなかったが、弟小早川隆景や黒田官兵衛の説得もあり、九州平定に出陣したが、病気を無理しての参陣が体に障ったのか、陣中にて病死した。元春死後は、館は館の西側にあった海応寺の寺領となったが、関ヶ原の合戦の後、吉川家が岩国へ移封に伴い、寺も移っていき、荒廃していった。
中国自動車道千代田ICを降り、R261を北上し、浜田自動車道を超えた後にR433へと左折したら、しばらく道なりに進むと、吉川本陣の幟が出現する。
そこが吉川元春館跡である。
この吉川元春館跡、駿河丸城跡、小倉山城跡、松本屋敷跡(元春夫人館)、万徳院跡(嫡子元長菩提寺)、洞仙寺跡、西禅寺跡、常仙寺跡の9遺跡が、吉川氏城館跡として、国の史跡となっている。
表道より、大手門(奥に見える石段)方面を見る。
ちなみに、駐車場は写真の右側にあり、駐車場からそのまま入ってくると、この史跡の石柱を見過ごすかもしれない。
駐車場から氏館跡へ向かう途中にある、石切場跡。位置は氏館の北側面にあたる。
真中にある石は、切り出した後、放置されていたもの。

氏館正面の石垣。北東から見たところ。
「石つき乃ものとも」と呼ばれた石垣職人達が築いたもので、この地域独特の積み方をしている。大きい立石を定期的に並べ、その間を平らな石を横積みに積む手法。
大手門跡。
大手門を入って左側(南)に、台所と付属屋が復元されている。
付属屋は、米や味噌、醤油等を貯蔵していた倉庫。
内部も復元されている。
定期的にこのカマドを使用しているようだ。氏館跡の近くにある万徳院跡(嫡男元長の菩提寺)には、蒸し風呂が復元されており、この地域の復元は、チョイスが絶妙だ。
大手門右側にある、殿舎跡。
手前の石垣は築地塀と門の跡で、奥が殿舎の建物の礎石である。
庭園跡。
中世末期の城館庭園として秀逸なものらしいが、個人的にはよくわからない。
便所跡。
結構珍しい遺構ではなかろうか。
木の桶の中の土を調べたところ、イネやヒエ、ナスなどの種が見つかったという。また、寄生虫の卵やベニハナの花粉(虫下しの薬として使用されていた)が出てきたことから、寄生虫に悩まされていたのだろうと推測されている。
あまり火を通さない料理が多かったとも言われている。
□吉川元春館(2)へ続く(作成中)

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