武田神社/旧躑躅ヶ崎館跡(山梨県甲府市) [寺/神社]
武田家の躑躅ヶ崎館は、武田家滅亡と同時に廃されたわけではなく、その後織豊の家臣が配され、この館に入り、城郭として拡張していった。しかし、対北条氏の城としては貧弱であり、甲斐の中心を甲府城に譲ることになる。 大正時代になり、躑躅ヶ崎館跡に人気の衰えない信玄を祭神として建立したのが、現在の武田神社である。 武田神社は、躑躅ヶ崎館の主郭(東曲輪)に位置している。 現在の表参道や太鼓橋は、氏館時代にはなく、神社建立時に造られたものである。 | |
入母屋造りで唐破風付きの社殿。 古風な造りで、武骨な武田家のイメージと合っているのではなかろうか。 | |
甲陽武能殿と呼ばれる神楽殿。 新築か、最近改築されたものか?見た目新しい。 武能の「武」はもちろん武田の「武」だ。 | |
あっ、またキティちゃんだ。しかもデカイ。 円光院といい、この辺りは信玄と共にキティちゃんの人気が高いようだ。 ⇒円光院(甲府五山) | |
武田水琴窟。 武田と付いてるが、武田流とか甲州流というわけではない。 ただ...とにかく付けたいのだよ。 | |
西曲輪に移築されている旧睦沢学校校舎。(現藤村記念館) 明治8年に中巨摩郡敷島町に睦沢学校校舎として建てられた、擬洋風建築。 擬洋風建築とは、見様見真似で洋風に造った建物で、本来の日本建築の手法で作られていることが多い。どことなく和の匂いを感じさせるところが、心地よい。 昭和41年に現在地に移築された。 ただ、移築場所としては、ここが適切であったかはちと疑問が残る。 | |
旧睦沢学校校舎のさらに西側ににっそりというより、放置されているように建っている、剣の形をした記念碑。漢字がよく読めないが、おそらく征清碑だろう。 篆額は彰仁親王。 |
躑躅ヶ崎館(武田家氏館跡)(武田家3代の夢の跡....)