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品川台場 [城]

お台場と言えば、レインボーブリッジの先にあるフジテレビや有明コロシアムなどがある、臨海副都心のことであるが、そもそもお台場とは、幕末の防衛的に建設された砲台場で、要塞のことである。
砲台場(台場)は、各藩により全国に設置され、中でも江戸を防衛すべく建設されたのが、品川台場である。
品川台場は、ペリー艦隊が当時の防衛ラインであった観音崎と富津ラインを簡単に突破したことから、それに危機を感じ、幕府が江川太郎左衛門英龍に命じて、品川沖に作らせたもの。
品川沖に小島のような台場を作るにあたって、当時桜の名所でもあった御殿山を切り崩して、その土砂で築城した。当初は11基作る予定であったが、完成したのは6基で、第4台場と第7台場は未完である。第7以降を築城するかわりに、内陸部に五角形の御殿山台場を築城した。(現台場小学校)
明治になると第4台場が埋めててにより陸地に、第1,5は戦後の東京湾の整備により品川埠頭建設のため陸地に、第2台場は運航の妨げになるとして埋没された。現在残るのは、第3,6台場で、第3台場は海浜公園として公開され、第6台場は野鳥保護地区として立ち入り禁止になっている。
公園となっている第3台場を見てみることとする。

第3台場は、臨海副都心と陸続きになっている。フジテレビから歩いて10分程度。
方形で、周りを石垣で築かれている。
1年程度で造ったとは思えないの出来だ。
切石積で、刎出しと呼ばれる、武者返しが付いている。

内側は窪地になっている。
船上から内の様子がわからないようにする為だろう。

公園入り口から見て左側に玉薬置所(弾薬庫)の跡が2個ある。
玉薬置所その1

玉薬置所その2。
玉薬置所は海上からの砲撃が直接当たらないように、土塁の内側に配置されている。

玉置所の跡。
砲台は四方に配置されていたから、玉置所は4箇所あったはずだが、現存してるのはここと、現在カマド跡とされてるところ。
奥にあるカマボコ状の堤は、袖堤と呼ばれるもの。玉置所はこの袖堤とL字状の囲堤で囲まれていた。

真中にある陣屋(休息所)跡。

陣屋跡から観たフジテレビ社屋。
手前に玉薬置所(その4)がある。

カマド跡。
ただしこれは後に作られたもの。そもそもここは玉薬所の建物があったところで、カマド跡地ではないはず。
カマドは陣屋内にあったのだろう。
手前左にあるのが袖堤で、右が囲堤。

カマド跡の右手側にある玉薬置所その3。

カマド跡の左手側にある玉薬置所その4。

玉薬置所その4の土塁の上に、砲台のレプリカ2台が設置されている。
砲台間には、横堤と呼ばれる爆風除けがあるのだが、全く残っていない。

なんていうか...
情けないくらいチープなレプリカだ。

 

第3台場から見た、第6台場。
立ち入り禁止のため、現状はわからない。

公園入り口にあった三角点の石柱。

お台場の賑やかさや盛り上がりの中にひっそりと佇む、お台場の由来ともなったこの公園。
一般的には存在自体を忘れ去られている感が非常に強いが、全国的にみても非常に貴重な堡塁式城郭であるので、お台場に行ったついでにでも散歩してはいかがかね。
タグ: 砲台跡 台場
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