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調布陸軍飛行場跡探索 [戦争遺跡]

「日本の戦争遺跡」(平凡社新書)で現在の調布飛行場が、かつては調布陸軍飛行場であり、帝都を防衛すべく、奮闘していたことを知った。
現在の飛行場より広大で、当時は関東近辺を含めても最大であったという。
とは言え、本土を我が物顔で飛び回るB29をまともに迎撃できる戦闘機はなく、調布飛行場に配備されていた三式戦闘機(飛燕)は、通常戦闘の他に、空対空の特攻にも使われた。
よく知る艦船特攻とは違い、空対特攻は生還の可能性が多少ある(B29のタンク部に特攻し、その後落下傘脱出)とはいえ、日本軍の落下傘の装置の粗悪さや爆発に巻き込まれたりと、やはり生還率は低かった。
このあたりの話については、「液冷戦闘機「飛燕」」渡辺洋二著がオススメである。
で、早速調布飛行場近辺の遺構探索に出かけた。(2006.05.12に探索)

京王線武蔵野台駅から甲州街道に向けて歩くと、甲州街道に面して、航空機用掩体壕が現れる。
掩体壕とは、敵の攻撃(空襲)から航空機を守るための壕で、航空機用は、このようにコンクリで造られることが多かった。
現在は倉庫として使われているようだ。

甲州街道から見たところ。
徐々に狭くなっていくドーム型なのが、航空機用掩体壕の特徴だ。

ここのように倉庫や物置として使われているケースが多い。
現在は手前が畑になっているが、当時は滑走路になっていた。

武蔵野森公園内に現存している2個の掩体壕の1つ。
大沢2号と名付けられている。
今でこそ整備されているが、ちょっと前までこの辺りは雑木林で、そんな中で放置されていたせいか、かなりボロボロだ。

一応、鉄筋は入っている。
戦時中の物資不足のせいで、無筋コンクリの粗悪なものもある。

手前の丘から見たところ。
カモフラージュするために、土を被せたり、周りに木を植えたりした...が、米軍の偵察機による写真には鮮明に写ってること多かった。

掩体壕の手前には、調布陸軍飛行場施設、掩体壕、飛燕についての説明板がある。
非常にわかりやすい。

もう一つの掩体壕、大沢1号。
周辺がかなり整備されていて、おまけに入り口開口部には、飛燕のイメージパネルがはめこまれている。
実は、訪問したときは、また整備工事中だったようで、ロープが張られていたのだが....構わず入った。
(手前にあるトイレ方面にはロープ張られてなかったもんで)

保存状態は悪く、大沢2号以上にボロボロだ。
最近はこのように行政が保存に動いてるケースが増えてきてる反面、どんどん消えているものもある。
様々な事情があるのは理解できるが、なんとか保存してもらたいものだ。

傍には、飛燕のブロンズ像がある。
掩体壕に入っている状態を断面図で表現している、よく出来た像である。
飛燕は、日本の戦闘機らしくないスマートなデザイン。これは液却エンジンを採用したことによるものだが、整備員が液冷に不慣れなことと、液冷化による構造の複雑化による不具合が多く、性能を活かしきれなかった不運な戦闘機といえる。
機体は非常に頑丈で、そのせいか、空対特攻に使われるようになる。

現在の調布飛行場。
武蔵野森公園は、飛行場を囲むような形になっている。

後で知ったのだが、武蔵野の森公園内の掩体壕は、訪問時は整備中で、翌月の6月から公開だったらしい。
武蔵野森公園は非常に整備されており、公園の散歩がてらにでも、掩体壕を見物するといいかも。
近くには味の素スタジアムもあり、スポーツ観戦のついでに寄ってみてはいかがかね。
参考文献
日本の戦争遺跡―保存版ガイド 平凡社
液冷戦闘機「飛燕」―日独合体の銀翼 文藝春秋


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