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白石城(宮城県白石市) [城]

白石城(しろいしじょう)は、伊達氏に従属した白石氏の居城であったが、
会津に蒲生氏郷が移封されると支城として改修を受ける。
現在の近世化した縄張りは、この時期に作り上げられた。
関ヶ原以降は再び伊達領となり、家臣片倉景綱が入封し改築され、
片倉家は明治までこの地を治めた。
藩として独立しているわけではないが、一国一城令の後も例外として存城となった。
広島藩における三原城の存城のように、全国的に数少ない例である。

白石城の大櫓(天守って言ってる場合あり)や大手門が、平成7年に木造で復元され、
見応えのある本丸整備が進んでいる。

城下にある大きな観光駐車場に車を停め、登城開始。

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復元された城壁と整備された石垣がいい雰囲気。

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天守代用の大櫓。
実際は天守と呼ばれたことは無いが、実質的には天守だ。

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大手一の門。
戸無しの枡形門。

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大手二の門。
二の門は櫓門。

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城内から見た二の門。

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大櫓。
やっぱり天守クラスの建物は様になる。
登城口が印象的。
屋根付きはそもそも少ないが、復元されてもカットされることが多い部分だ。
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3階には華頭形の出入口と高欄が付く、古風な作りだ。
復元されたこの櫓は、文政年間に再建されたものを復元されたのだが、
その再建時も元の形を意識したのだろうか。

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城内に展示してあった、片倉家と真田赤備の甲冑群。
真田幸村は、片倉重長に4人の子息を託しており、重長の後妻となった阿梅をはじめ、
伊達家の家臣に嫁いでいる。
男子である大八は、仙台藩士に取り上げられおり、両家の繋がりは非常に深い。
大阪の役では敵同士であったにも関わらず、子息を託したのだから、よっぽどの漢だったのだろう。

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高欄からみた大手門。

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三階櫓の隣に建つ鐘堂。

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城内案内板。
2の未申櫓と3の辰巳櫓が復元されると、言うことなしですね。
本丸に力いっぱい御殿をつくると、ゴチャゴチャしすぎで暑苦しい。

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二の門と三階櫓。

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二の丸。
遊具のすべてをクリームイエローで塗装された、微妙な公園となっている。


やっぱりあると思ったよ...コレ(笑)

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ガンダム 画像

もう見ました、面白いですね
by ガンダム 画像 (2010-11-29 10:21) 

ノリパ

行きたいデスね、白石城。来年にはなんとしても行って見たいです。
天守への石段の屋根、初めて見ました。
by ノリパ (2010-12-12 16:17) 

ガンビー

>ノリパさん
いい感じで復元されているので、見ごたえありです。
仙台城と合わせて訪問がいいですね。
by ガンビー (2010-12-25 00:55) 

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