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泉澤寺(川崎市中原区) [寺/神社]

徳川家康は関東入封後、領内各地に鷹狩りの際の宿舎として御殿を造営した。
鷹狩りというのは表向きで、実際は軍事演習や領内視察が目的であった。
その御殿の1つ、小杉御殿周辺を探索した。

JR南武線武蔵中原駅を降り、中原街道をひたすら等々力競技場方向に歩く。
10分程度歩くと、左側に見えるのが、泉澤寺である。

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四脚門の山門。
山門を潜って、境内に入る。
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なかなか雰囲気のいい境内だと思う。
建物全体を撮りたい派の自分にとって、普段なら本堂前の木々は邪魔の何程でもないのだが、ここではそんな感じが起らなかった。
木がデカすぎるからだろうか(笑)
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本堂は、江戸中期の建築。
この泉澤寺は、戦国期にこの一帯を支配していた吉良氏が1491年に世田谷烏山に菩提寺として創建された寺。
その後堂宇を焼失してしまったので、1550年にこの地に再興された。
この辺りは、中原街道でも小杉御殿や小杉陣屋が設けられる程の要地であったため、この泉澤寺にも朱印が与えられていた。
本堂には、木造四天王像が安置されているらしいが、これは江戸城内にあった5代将軍綱吉霊廟に安置されていた仏像とのこと。
どういった経緯でこちらに来たのか知りたい。
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龍の蟇股。
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龍が彫られた、間斗束(けんとづか)。
間斗束とは、斗キョウ(木ヘンに共)間に設けられた、短い柱のこと。
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インベーダー風の象か獏の木鼻。
ちょっと比べてみる....
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彫刻の意匠が江戸中期らしく、ごった煮で面白い。

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袴腰付きの鐘楼堂。
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薬師堂。
この泉澤寺は、吉良氏の本拠である世田谷城の砦としての存在でもあったらしい。
が、砦としての遺構は全くありません。
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境内の外にある、乃木将軍の筆の日露戦争記念碑。
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コメント 4

takechan

確かに、インベーダーゲームを思わせます。
ここにルーツがあったんですね。。。
by takechan (2010-02-28 07:59) 

kohtyan

重厚な感じのお寺ですね。
世田谷城跡には、よく行きます。
by kohtyan (2010-02-28 10:50) 

ノリパ

木も雰囲気があっていいですね。
インベーダーは、削り忘れじゃないっスよね。
by ノリパ (2010-02-28 17:16) 

ガンビー

>takechanさん
そう、ここにルーツがあったんです(w
寺社建築を色々見てると、興味深い造形が結構あるので、面白いですね。

>kohtyanさん
世田谷城は、豪徳寺に行ったついでに、必ず寄りますよ。
いつも子供が走り回って遊んでる印象が強いです。
ゆっくり休む公園ではないですが、元気あっていいですよね。

>ノリパさん
この辺りの古刹には、イチョウの大木があるところが多く、いい雰囲気です。
インベーダー風の木鼻は、龍や狛犬のリアル造形になる前の頃の作風ですよ。
これはこれで味があって好きです。

by ガンビー (2010-03-02 01:26) 

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