神奈川台場(神奈川県横浜市) [城]
神奈川台場
神奈川台場は勝海舟が設計し、伊予松山藩が築いた海上砲台場である。
品川台場のように外国からの江戸防衛から築かれたのではなく、
日米和親条約をはじめとする、各国との条約によって開港した横浜の警護の為に築かれた砲台場である。
古地図を見ると、扇型の稜堡を海上に築き、陸地から2本の土橋で結ばれている。
あまり見かけない縄張りである。
幕末に多くの海上砲台場が造られているが、軍事的に有効か、甚だ疑問である。
神奈川台場の場合、稜堡の形が他の台場より死角を無くなるように考えてはいるが、
あくまで有効となるのは平城としての陸専用の縄張りの場合であり、艦船相手ではただの標的にすぎない。
幸か不幸か、6万両という巨額をかけた神奈川台場も戦闘として使われることはなく、
外国船に対する祝砲として活用したようである。
ま、こちらのほうが平和的でいいですが。
明治32年に砲台としての役目を終えると周辺を埋め立てられ、
現在は、一部の石垣が残るのみとなっている。(古地図の赤丸)
・・・かなり切ない風景だ・・・・
ただし、大部分が破却ではなく、埋蔵しているらしく、今後の発掘調査の進展が気になるところだ。
■ぶらりんザムライ記事
⇒品川台場
神奈川台場は勝海舟が設計し、伊予松山藩が築いた海上砲台場である。
品川台場のように外国からの江戸防衛から築かれたのではなく、
日米和親条約をはじめとする、各国との条約によって開港した横浜の警護の為に築かれた砲台場である。
古地図を見ると、扇型の稜堡を海上に築き、陸地から2本の土橋で結ばれている。
あまり見かけない縄張りである。
幕末に多くの海上砲台場が造られているが、軍事的に有効か、甚だ疑問である。
神奈川台場の場合、稜堡の形が他の台場より死角を無くなるように考えてはいるが、
あくまで有効となるのは平城としての陸専用の縄張りの場合であり、艦船相手ではただの標的にすぎない。
幸か不幸か、6万両という巨額をかけた神奈川台場も戦闘として使われることはなく、
外国船に対する祝砲として活用したようである。
ま、こちらのほうが平和的でいいですが。
明治32年に砲台としての役目を終えると周辺を埋め立てられ、
現在は、一部の石垣が残るのみとなっている。(古地図の赤丸)
・・・かなり切ない風景だ・・・・
ただし、大部分が破却ではなく、埋蔵しているらしく、今後の発掘調査の進展が気になるところだ。
■ぶらりんザムライ記事
⇒品川台場
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