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松代城(1)(長野県長野市) [城]

松代城
1560年に武田信玄が、上杉謙信との戦いに備える為に川中島の一角に築いたのが海津城である。
武田家滅亡後は、城主は次々と変わり、1622年に真田家が上田から入城してきてからは、明治まで真田家の治世が続いた。
松代城は、真田家が入城してまもなく、幕命により松代城に改名された。

前日は松代にある温泉宿に泊まり、ゆっくりと温泉に浸かった。
温泉は日帰りも可で、夕方になると近所の方々が結構訪れるようで、温泉は結構賑わっていた....
が、泊まっていたのは自分を含めて2組(だったと思う)で、ちょっと寂しかった...

松代城北駐車場に車に停め、松代城へうと、本丸の北不明門に辿りつく。
北不明門は、本丸の枡形門式の搦手門。
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塀の石垣が低いが、元は高さが3mはあった。
江戸時代に埋められて低くなっている。

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一の門である高麗門。
近世城郭における枡形門は、高麗門と櫓門の組み合わせがほとんどで、ここもこの形式。
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小振りな櫓門。
二の門の櫓門は、両脇を石垣で構成したものが多いが、中世的櫓の形をしている。こういったところが真田っぽいというか、甲州っぽいところ。
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本丸内から見た櫓門。




本丸の北西にある天守台。
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江戸時代には、この上に戌亥隅櫓が建っていた。
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本丸内からみた天守台。
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南側から見た天守台。
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天守台から見た北不明門
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天守台から北西方向を見る。土塁の中にある窪み部は埋門。
matsushiro10.JPG 北不明門から本丸を出て、先の埋門に向った。本丸を取り囲むように配置されている二の丸は、その大半を土塁で構成されており、この埋門はその土塁に設けられた門である。

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南西からみた天守台。
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本丸の南側に位置する大手門。太鼓門と呼ばれる枡形門で、城内では最大の門。
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前橋と一の門の高麗門。
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高麗門の裏側。
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二の門の櫓門。
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本丸内から見た櫓門。

松代城(2)/二の丸編へ続く
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