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泉岳寺(港区高輪) [江戸の風情]

泉岳寺は、1612年に徳川家康が今川義元の菩提を伴う為に創建した寺院。
徳川家の加護の元、大寺院として発展したが、特に有名となったのは、忠臣蔵47士の菩提寺となったことだろう。
赤穂義士が泉岳寺に埋葬されたのは、ここが主家の浅野家の菩提寺だったからである。
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1863年に再建された、四脚門の中門。
総檜造りの門で、昭和7年に大修理が行われている。
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中門と山門の間に大石内蔵助像が建っている。連判状を手にして、東の方向(江戸の方向)を睨んでいる。
1832年に再建された山門。
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2階には十六羅漢像を安置し、1階天井には江戸三龍と呼ばれた銅彫大蟠龍がはめ込まれている。

本堂は空襲で焼失、昭和28年に再建されたもの。
本尊の釈迦如来、道元禅師・瑩山禅師、大石内蔵助の守り本尊である摩利支天が祀られている。
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額の獅子吼は、釈迦の説法を表している。
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首洗いの井戸。
赤穂義士が、吉良上野介の首級をこの井戸で洗い、主君の浅野内匠頭の墓前に供えて報告したという。
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赤穂義士の墓域の入口にある門。
この門は、浅野家上屋敷の裏門を明治時代に移築したもの。
赤穂藩浅野家は安芸浅野家の分家で、浅野長政の三男長重からの流れである。赤穂藩主となったのは長重の嫡子長直で、長直は元禄赤穂事件の浅野内匠頭長矩の祖父にあたる。
赤穂義士の墓。
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47士の墓は、切腹前に預けられた家毎に並べられている。
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大石内蔵助の墓。
赤穂義士は今も昔も変わらず人気で、参拝者が絶えない。
訪問時が遅かった為、赤穂義士記念館は閉館していたのは、ちょっと残念である。

■赤穂義士関連の寺
明星院(赤穂義士木像のある寺)
聖光寺(大石内蔵助親子の供養塔のある寺)

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