市谷亀岡八幡宮(新宿区市谷八幡町) [寺/神社]
JR市ヶ谷駅から堀そして横断歩道を渡り、左側に進むと急な石段が現れる。 市谷亀岡(亀ヶ岡)八幡宮の男坂と呼ばれる、参道の石段である。 | |
男坂の途中には、茶ノ木稲荷神社と金刀比羅宮がある。 | |
坂登りきるちょっと手前にある銅鳥居。 1804年(文化元年)建立の銅製の明神鳥居。区内に現存する唯一の銅鳥居である。 「八幡宮」の額は、姫路藩の酒井家11代当主酒井忠道の書によるもの。 | |
鳥居には、寄進した442名の氏子の名前や職業が刻まれている。 | |
安政5年に作られた狛犬。吽の方はちょっと赤茶けている。戦災の跡だろうか? | |
社殿。 市谷亀ヶ岡八幡宮は、太田道灌が江戸城の守りの為、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請した神社。亀岡は、鶴岡に対して付けられたと伝えられているが...定かではない。 社宝に、太田道灌が愛用したと伝わる軍配団扇がある。この軍配は、戦災よる火災でちょっと崩れている。 | |
境内に残る力石。 年代がわかる最古は1794年(寛政6年)のもの。 | |
ちょうど駿台予備校の裏側にある「八紘一宇」の石碑。 八紘一宇とは、世界を一つの家のようにすると言う意味。戦前は、日本を中心にアジアが一つになるというスローガンとして使われていた。 ちなみに駿台予備校は、神社の別当寺であった東円寺跡地である。 | |
江戸時代は、境内、周辺が大いに賑わっており、江戸市中でも屈指の華やかさを持っていたが、明治の廃仏毀釈で賑わいも消滅してしまった....雰囲気的には、ちょっと離れた神楽坂のような感じだったのだろう。 |
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