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景徳院(山梨県甲州市) [寺/神社]

この日の旅も甲州市に入る。
この旅の目的の1つである景徳院に向う。前回このエリアを旅した際は、甲州市の西部を中心に回っていたため、東部エリアは手付かずであった。
ちなみに大月から勝沼までは、時間短縮の為、中央道を使ったのだった....
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勝沼ICを降り、20号線を東を進み、15分程度車を走らせ、道の駅甲斐大和のちょっと手前を左折して3分程度で、景徳院の門前に着く。境内にも車を停められるが、山門から参拝するためにも、門前の大型駐車場に停めることをススメる。
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山門は、戸無しの高麗門。
景徳院は、織田・徳川連合軍に追詰められた武田勝頼とその一族が自害した地であり、その後徳川家康により、天正16年に勝頼の菩提寺として開基した寺である。
山門を越えてしばらく歩くと、1779年建立の仁王門が現れる。
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和様の素朴な仁王門である。
伽藍は何度かの火災により焼失したが、このだけが残り、境内で一番古い建造物となっている。
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仁王像は、筋肉モリモリ。

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鐘楼。
正面1間奥2間の四脚型。
鐘には、十二支が刻まれている。
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入母屋唐破風軒付きの本堂。
結構新しそうな堂。
仁王門に右脇に、勝頼とその一族の墓がある。本来はさらに右側にある甲将殿の裏手にあるのだが、現在整備中で、こちらに移築されている。
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中央が勝頼で、右が北条夫人、左が嫡子の信勝。両脇は殉難者供養塔。
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今回の整備するにあたって、殉難者供養塔から、石に勝頼らの戒名を書き込んだ経石が発見されたという。
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勝頼、北条夫人、嫡子信勝の影像を祀る甲将殿。
先の勝頼らの墓は、この甲将殿の裏手(ちらっと見えるブルーシートのところ)にある。
整備が終わり次第、戻されるとのこと。
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甲将殿の手前にある、三人が自害したと伝たわる生害石。
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甲将殿脇から山門へ降りるちょっとした山道があり、そちらを下ってみる。
途中にあった、石祠。
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没頭地蔵。
長篠の戦以降、家臣の離反、周辺勢力の軍事バランスの崩れにより、勝頼は追い込まれていく。そして織田の大軍に対し、できたばかりの新府城を捨て、小山田家を頼り岩殿城を目指すが、その小山田家にも背かれ、天目山に向って逃げたが、とうとうこの地で自害してしまった。
歴史にはIFはないが、小山田家ではなく真田昌幸を頼っていればと思ってみたりする。

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