安楽寺/吉見観音(埼玉県比企郡) [寺/神社]
吉見百穴より車で5分程度のところに坂東三十三所観音巡礼、第11番の安楽寺(吉見観音)がある。 | |
スリっと伸びた参道。撮影時には人がほとんど写っていないが、人気の巡礼だけあって、人の流れは絶えなかった。帰りに際には年配の団体が寺へ向っていた。 | |
参道に立つ、石像の仁王像。阿形の男爵ヒゲがGooである。 | |
元禄期に作られた仁王門。 左右妻部の蟇股に、邪鬼が彫られている。 | |
1791年鋳造の阿弥陀如来像。吉見大仏と呼ばれている仏像である。 | |
仁王門右脇の六地蔵の堂。 | |
薬師堂。 | |
忠霊堂。 | |
1661年に作られた観音堂。 | |
とにかく千社札だらけである。 朱の海老虹梁が印象的。花の彫刻部を手挟(たばさみ)と言うが、個人的に手挟の過剰な彫刻が苦手である。 | |
寛永年間に再建された三重塔。 鎌倉時代に源範頼のより50m近い三重塔を建立されていたらしいが、戦国期の戦により焼失。 現在の塔は24mで当初のものより小さいが、和様の素朴な塔である。 | |
太子堂。 中を覗いたが、暗くてよく見えなかった。 太子堂は聖徳太子を祀った堂で、仏教を広め、寺院建立により土木事業を促進したということで、大工をはじめとする物づくりをする人の信仰を集めた。 | |
太子堂脇の石仏。 左より、阿弥陀如来、宝篋印塔、地蔵菩薩。 | |
本堂(観音堂)の裏の石垣に安置されていた石仏。 「天乃岩戸」までは読めるが以降は不明。 昔は、行基が聖観音像を岩窟に安置した岩窟寺院だったらしいので、それを表しているのかと思ったが、石仏の印は大日如来なんで違うようだ。 | |
本堂裏にあった鐘楼。 | |
本堂の中には、比較的新しそうな大黒様、その奥には左甚五郎作と言われる「野荒しの虎」の彫刻があった。 本堂の木鼻の狛犬....ちょっとアブっぽいぞ..... 印象的だった千社札⇒ | |
阿弥陀如来の左側の銅鋳造の地蔵菩薩。1910年の作。 錠は折れたのだろうか。 型のパーティングラインや型構成が分かり易い。 | |
坂上田村麻呂が奥州討伐の際、戦勝祈願し、堂を整え、その後は源範頼の庇護の元、大寺院として誇っていたようだが、戦国期の戦乱により堂宇は焼失し、その頃の遺構は残っていない。しかし江戸期の再興により、見所の多い寺となっている。 |