SSブログ

柳森神社(日本橋北部) [江戸の風情]

水天宮通りを岩本町駅方向に進み、柳橋通りを万世橋に向かって歩くと、柳森神社がある。

石造りの明神鳥居。
この神社は、階段を下ったところにあるユニークな神社である。
下る階段は、この神社のユニークさの序口であり、広くない境内にいろんなものを見ることになる。

富士講記念碑群。
正確に言えば、旧富士塚の遺構を使って造られた富士塚記念碑といったところだろう。
延宝8年(1680年)に富士宮浅間神社から分詞した富士浅間神社を合祀していることから、富士講と関わりの深い神社だった。
明治期には一度廃れたが、昭和5年に新たに富士塚が再建された。
戦後は富士講そのものが廃れたので、昭和35年に富士塚は破却された。その際、余った黒ぼくの石を積み上げて小山を作り、戦前に作られた記念碑をその小山に設置したのだという。 「千代田区説明文」より

記念碑群の隣に手水舎。

この神社の境内社である福寿神(福寿いなり)の入り口(鳥居)が、通常の境内社のように社殿の前にあるのではなく、主社の横に配置されており、参道がクロスするようになっている。
で、その福寿神の鳥居の横には、風変わりな狸さんが配置されている。

5代将軍綱吉の御生母桂昌院によって江戸城内に福寿いなりとして創建。
大奥の女中は、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院にあやかりたいとして崇拝されたという。
その後、旗本瓦林邸に移されて、さらに明治2年に柳森神社に合祀された。

祠には多くの於狸さんが配置されている。
社殿の下には鉄製の於狸さん。同型で作られたものらしい。
 
祠の前に配置されている石造の於狸さん。
 
祠の下にも3匹のジブリ系の狸さん。

柳森神社の社殿。
丁度、黄桜が咲いてた。多少緑が混じってるほうが、自然の活力を感じる。

社殿の左右には、とても凛々しい狐さんが配置されている。
 
境内社の幸神社と金比羅神社。
幸神社は、増上寺大手門付近にあったが、増上寺拡張のため、神田に移転し、戦時中に御神体を預かり、昭和22年に柳森神社に合祀された。
 

力石群。
力石とは、力士や力自慢の者が、力試しに使った、重量のある楕円や円形の石。
相撲に関係の深い神社や土地では、よく見られるものである。

境内社の明徳稲荷神社、江島大明神、水神厳島神社、秋葉大神
 


タグ:神社
nice!(1) 

nice! 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。