温泉寺(長野県諏訪市) [寺/神社]
温泉寺(長野県諏訪市)
温泉寺というと、温泉街が作った観光スポットっぽいネーミングだが、
高島藩主諏訪氏の菩提寺という由緒ある寺である。
明治3年の火災で堂宇が焼失し、高島城より城門と能舞台が移築された。
高島城を観光したら、温泉寺にも立ち寄ることをおススメします。
高島城から移築された薬医門の山門。 どこの城門であったかは不明。 大きさからすると、御殿か屋敷門だろう。 | |
1827年に城内に建てられた能舞台。寺の火災後、本堂として移築された。 唐破風屋根の入り口と重層という形式が、能舞台のわりに武骨さをかもしだしてる。ま、この屋根部分は本堂にする為に追加されたような気がするが。移築した際、全体的に改築されていると思われる。 |
2007年7月14日に再訪したので、レポートを追加。 前回は、高島城の移築された遺構が目的だったので、山門と能舞台で満足してしまっていたが、再訪してみて、見所の多い寺であることを実感した。 | |
経蔵。 中には八角八面の輪蔵があるという。 輪蔵とは、マニ車と同じく、1回転するごとに、経文を1回読んだことと同じ徳が得られるという、非常に在り難いコンビニエンスな装置である。 | |
多宝塔。 説明板で温泉寺鉄塔と書いてあり、どこが鉄塔?と思い、説明を読んでもはじめは理解できなかった。 要は、もともと諏訪退社上社の御神体(石造り)で、弘法大師が鉄塔として立てたことにより、鉄塔と呼ばれるようになったようだ。しかしこれ以降神仏融合していったわけで、明治の神仏分離で、放置されていたのを、諏訪家の菩提寺である温泉寺に安置することになったとのことだ。 | |
地蔵堂。 堂は、最近建てられたものだろう。 | |
鐘楼。 平(正面)側のみに、控柱が付けられている、四脚付き鐘楼。 奥側の柱が黒く焦げ跡のようだが、もしかすると火災による全焼は免れたのかもしれない。 | |
前回見てなかった、高島藩主廟所を訪問。 境内から一旦出て、右脇に参道がある。また、前回見つけれなかった、和泉式部の墓もこの参道途中にあった。境内に案内矢印があるのだが、それに向かって行くと、多宝塔のエリアで行き止まりで、紛らわしいので注意。 | |
高島藩主の廟所。 霊廟は、2代目藩主の諏訪忠恒のもの。 建立は1657年頃とされており、その後改修はされているとのこと。 非常に素朴な霊廟である。 温泉寺は、この諏訪忠恒によって創建され、以降高島藩諏訪家の菩提寺となった。 | |
他の藩主は、大きな石塔。 3~8代の藩主の石塔が、霊廟を挟んで横に並んでいる。 | |
やっと見つけた、和泉式部の墓。 参道脇に案内板があるのだが、木の葉に隠れて見つけづらかった。 |
駐車場は山門前をはじめ、3箇所有り。
高島城より、車で5分程度。