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高島城(長野県諏訪市) [城]

高島城(長野県諏訪市)

1590年、豊臣大名である日根野吉昭によって、諏訪湖に突き出すような形で築城。
1601年に諏訪頼水が入城し、諏訪氏は明治まで居城することになる。
現在は、本丸部分を高島公園として整備され、昭和45年に天守、角櫓、冠木門が復元された。
天守閣はかつては杮葺であったが、復元時に銅板葺にて復元された。
そもそも杮葺を天守に使うのは珍しいが、防衛上どうなのかと疑問なところです。
昔は諏訪湖に囲まれ、浮城とまで言われたが、江戸時代にはすでに埋め立てによる水田化が進み、現在のような外観になったらしい。

復元された三重の望楼型の天守。屋根は瓦ではなく、珍しい銅板葺。
とても印象的な外観である。
石垣は野良積み。
地盤が弱いため、定期的に石垣の改修が行われた。角部のきれいに加工されているのは、江戸末期の改修。
遠目から見るとなかなか立派にみえるが、茶色の部分は直接コンクリを塗装しているため、近めではかなりポンチ。上から板を張るだけでも断然よくなるのだが...
復元された冠木橋と櫓門の冠木門(大手門)。
門は、かつては薬医門か高麗門だったらしい。櫓門の左右の石垣もそのとき新築したものなのだろうか?
橋は、あいにくの工事中.....
大河ドラマ「風林火山」の影響での観光客を見込んでの修築らしい。
復元された角櫓
石集配湯枡。1803年に三の丸浴場に引湯する際に使用した石枡。
薬医門の三の丸御殿裏門。
個人所有となっていた同門を、昭和63年に公園内に移築された。個人宅に移築した際、両脇の白壁部なんかは改築したと思われる。
天守と反対側にある護国神社。
チェックし忘れたが、紋が諏訪家のものなので、祭神は藩主なのだろう。拝殿の左右ある御柱が印象的で、いかにも諏訪地方っぽいところだ。
鳥居のすぐ奥にある四脚門。

護国神社内にある、永田鉄山像。出身が諏訪市上諏訪とのことで、ここに建てられたのだろう。陸大を首席で卒業し、陸軍のエリートコースを歩んでいた鉄山だが、派閥の対立から暗殺された。この事件により、派閥抗争は激化し、あの2.26事件へと発展することになる。
2007年7月14日に再訪したので、レポートを追加。
冠木橋の修復は完了していた。訪問日が雨だったので、木の香ばしい匂いが充満していた。
濡れた木の色がいい感じだ。
護国神社の神門。
鳥居では良く見られる石置きをされてた。神社の門なのでわからんでもないが、木造の四脚門で見るのは珍しい。手を伸ばせば貫に届くので、乗せ易い。
天守の廻縁からみた壁。
・・・・・ナイスネイチャー!

高島城の遺構として、温泉寺に城門と能舞台が移築されている。
駐車場は、天守の裏側に無料駐車場有り。
もし満車の場合は、申し訳なさそうにこっそり市役所(高島公園正面)の駐車場に。


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