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桜花公園/神之池航空基地跡(茨城県鹿嶋市) [戦争遺跡]

茨城県鹿嶋市にある住友金属の鹿嶋製鉄所の敷地は、かつては海軍神之池航空基地であった。
現在は、唯一残った掩体壕の周辺を整備し、桜花公園となっている。
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住友金属鹿嶋製鉄所を左手に見ながら、県道239を南下していくと、ひっそりと桜花公園がある。油断してると見逃すかも。
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唯一現存している掩体壕。かつて掩体壕は10基以上あったという。
元々のコンクリの質が悪いものあるが、保存状態はあまりよくない。
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中には、特攻機桜花11型のレプリカが設置されている。
神之池航空基地は、開設当初は予科練や予備学生の零戦等の訓練基地であったが、特攻作戦が敢行されてからは、桜花の飛行訓練基地となった。
ここで訓練した後は、鹿児島の鹿屋基地に移動し、そこから出撃していった。
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桜花は、頭部に1200kgの爆弾を搭載し、ロケット噴射により時速650kmで敵艦船に特攻する兵器。
航続距離は40kmも満たない為に、一式陸攻に吊り下げられて、敵艦船に接近後に切り離されて特攻を行う。ただ、2㌧強もある桜花をぶら下げた一式陸攻は、鈍足にならざるを得なく、敵艦船に近づく前に、アメリカ軍の戦闘機に母機もろとも落とされてしまった。
終戦間近には、地上から発射する発射基地が千葉県南房総市に作られていた。完成前に終戦になった為、発射されることはなかった。
発射カタパルトのレールが残る寺

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呉鎮守府戦跡探訪 [戦争遺跡]

広島県呉市は、戦前までは海軍の鎮守府が置かれ、世界でも屈指の海軍都であった。
特に有名なのは、呉海軍工廠で作られた「戦艦大和」であろう。
無用の長物と揶揄されながらも、あの武骨な勇姿が日本人の魂を刺激するのか、未だに人気がある。
2006年に大和ミュージアムがオープンし、予想以上の賑わいを見せていることからも、人気が伺える。
広島に帰省する際に、時間があれば呉を探索し、戦跡を見て回ったのでまとめてみた。

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(大和ミュージアムの1/10大和)

呉鎮守府長官官舎(和と洋のハイブリッド建築)
戦艦大和ドック(大和生誕の地)
高烏山保塁砲台跡(呉、広島を守る広島湾要塞の1つ)
呉海軍工廠赤レンガ倉庫群(大和を作った海軍工廠の名残)
魚雷揚収用クレーン(軍都の遺産)
工廠神社(海軍工廠の鎮守)
海軍技手養成所跡(海軍工廠工兵養成の跡)
安浦港のコンクリート船(物資不足の中で作られた不思議な船)
大和ミュージアム(迫力ある1/10の大和)

おまけ
■「男たちのYAMATO」実物大セット(呉ではないですが...)
タグ:戦争遺跡
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安浦港のコンクリート船武智丸(広島県呉市) [戦争遺跡]

JR呉線と並走するR185号を竹原市方面に向い、ちょうど呉駅と竹原駅の中間辺りに安浦駅がある。この駅から10分程度歩いたところにある港の防波堤を見に行く。
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遠くから見ると普通のコンクリの防波堤だが、近づくと.....
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船である。これは戦時中に製造されたコンクリート製の船、第一武智丸と第二武智丸である。
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国道側が第一武智丸で、沖側が第二武智丸。この防波堤は、第一武智丸船首手前から入るようになっている。
武智丸は、戦時中に鋼材が不足していたことから、コンクリートにて造られた輸送船である。
コンクリートで船を造るという発想には驚かされるが、実際に造ったのにはもっと驚く。
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この二艘のコンクリ船は、戦後安浦港の防波堤として、着底された。その際、底に穴を開けられた為、内部は浸水している。
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船尾を合わせて、並べられている。
手前が第一武智丸。
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第二武智丸の船尾から見たところ。
船尾は、格子状になっている。真中が煙突が立っていたところで、周辺は操舵室。
真中の孔の奥側には、当時のものらしき木材が残されている。
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第二武智丸の方が保存状態がいい。第一は、満潮時には甲板部が浸水してしまうから、侵食されてしまっているのだろう。
第二武智丸の船尾内部。
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船体中央部の水没している機関室。
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コンクリが崩壊し、鉄筋がムキ出しになっている箇所が多々ある。
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船首楼の内部。奥の穴は、錨のチェーンが通る穴。
置かれている金属は、イカ釣りの漁具とのこと。
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船首楼の手前にある金具。ウインチ関連の固定部だろう。
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船首と船首楼上部。船首は金属で覆われている。
シャークヘッドの落書きがされている。
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第一武智丸に戻る。
錨のチェーンのスロープ部。
安浦港には防波堤がなく、台風の度に漁船が被害にあっていた為、昭和22年にこのコンクリ船を防波堤として添え付けることにしたという。昭和48年に撤去に話もあったようだが、船が頑丈な為断念したとのこと。

安浦港コンクリート船防波堤


タグ:戦争遺跡
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海軍技手養成所跡(広島県呉市) [戦争遺跡]

3連レンガ倉庫の並びにあるセブンイレブンの横道を進むと、突き当たりに、アレイからすこじまの駐車場がある。ここは、工廠の技術の底上げの為、工員の教育が行われた、海軍技手養成所の跡地である。
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現在は、校舎等の建造物は何も残っておらず、アレイからすこじまの駐車場となっている。
駐車場としては広いほうだが、養成所という施設にしては広いとは言えない。
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駐車場に入って、左側の山の斜面に地下壕(防空壕?)がある。入り口はコンクリで塞がれている。
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入口の左側(入口手前)にある、職工教習所・工員養成所跡地の記念碑。
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駐車場を横目に、そのまま道を進むと、駐車場の右端に海軍海軍技手養成所跡の記念碑がある。
記念碑の横の斜面の上に、監視哨らしき建造物がある。
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円柱と角の建造物がミックスした建造物。
入口らしきところからロープが出ており、登れそうだったが、暑いし、ロープが心もとない感じだったので止めた。
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駐車場より、監視哨の方向を見る。
ちなみに、今回の探訪で使用した車は、おふくろのベリーサ。普段がデカイ車に乗っているので、小さくて小回りが利くベリーサは楽だ。

タグ:戦争遺跡
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アレイからすこじま(広島県呉市) [戦争遺跡]

3連レンガ倉庫の前は、潜水艦や艦船が多く停泊する港で、その海岸沿いは、「アレイからすこじま」という遊歩道が整備されている。
アレイとは遊歩道のことで、からすこじまとは呉浦にあった周囲約40mの島で、大正期に魚雷発射訓練場として埋め立てられた。
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こんな感じで潜水艦や艦船が多く停泊している。
普段こんな光景は見れないだけに、ちょっと興奮する。
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残念ながら、現在の艦船に詳しくないので、これが何なにかわからない。
遊歩道の一番端にあるクレーン。
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これは魚雷揚収用クレーンで、戦争当時のモノ。
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ギア丸出しで、メカ好きにはたまらない。
ちょっとメンテナンスさえすれば動きそうで、よくこれまで残っていたものだと感心する。
使用されなくなると、即破却されそうなものなのに。
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クレーンの内部。
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艦船といっしょに撮影。
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遊歩道には、砲身が3個並べられている。何の砲身かはわからない。
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雰囲気のありまくりな潜水艦桟橋。

道路を挟んで、レンガ倉庫と潜水艦が見れる遊歩道。
通る度に、ちょっと立ち寄って、のんびりと散歩したいと思わせるところだ。

タグ:戦争遺跡
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高烏保塁砲台跡(広島県呉市) [戦争遺跡]

音戸の瀬戸を真下に望める高烏台には、明治時代に造られた高烏保塁砲台跡が残っている。日清戦争では広島に大本営が置かれ、呉は鎮守府、海軍工廠といった海軍の一大拠点となり、広島湾の防衛の為、各地に砲台、保塁が築かれた。
高烏保塁砲台もその1つで、音戸瀬戸に侵入する敵への防衛として築かれたものである。大正の要塞再編後は、防空砲台の要塞として使用され、呉軍港の防空にあたった。現在は公園として整備され、砲台跡を見ることができる。
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案内版。
非常に簡易的で、いまいちわかり辛いので、補足しておく。
現存しているのは、明治期の砲台跡がほとんどで、保塁の遺構は見当たらない。昭和期の防空施設も、一部コンクリの礎石くらい。
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花崗岩造りの兵舎跡。峠道に急にコレが出現するので、初めて来た人は疑問に思う物件だろう。
砲台要塞にある、付属建造物の1つ。
右奥に見えるコンクリは、水槽。
これも砲台には必要なもので、生活、消火、冷却水として使われた。
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兵舎の中に入ってみる。古代遺跡のような佇まいである。
元はこの砲台にあった、花崗岩造りの火薬庫が、入船山記念館に移築されている。⇒入船山記念館
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兵舎の横の階段を上がっていくと、平清盛像がある。清盛像は、観測所の上に建てられている。砲台の付近には観測所が設けられているので、砲台跡を探索の際はチェックしておきたい。
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観測所下の部屋。おそらく待機所兼観測器具庫だろう。階段(右)は、コンクリで塞がれている。
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清盛像。
音戸の瀬戸は、清盛が切り開いたとされる。
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清盛像に一番近い砲座跡。ここに28cm榴弾砲が置かれていた。砲床は、形跡なし。周辺の壁の窪みは、弾置場といって、砲弾を置く場所。
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砲座跡横に付設されている、砲側庫入口。
砲弾の倉庫で、地下か半地下に造られる。そのため、左右から階段で降りていく構造になっているのだが、斜面上に造られたせいか、階段がない。
入口の上の「応急弾薬庫」は、昭和期の防空砲台時代に書かれたもの。
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(左)2番目の砲側庫。本体このように左右に階段がある。(右)砲座跡。
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(左)3番目の砲側庫。(右)砲座跡。
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遊歩道入口のコンクリ。
遊歩道の看板としては非常に不自然。もしかすると、砲台の遺構を利用したものかもしれない。
遊歩道を進むと探照灯を置いた跡(窪み)が残ってるらしいのだが、知らなかった為行きそびれた。この日は猛暑で、そんな中、山の麓からひたすら歩いて来たので、普段なら探索しまくるところだが、早々に切り上げてしまったのだ。途中の音戸ロッジで昼食をとった際、ビールを飲んだのが疲労アップさせてしまったようだ.....

2008.08.16再訪したので、追加レポート
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観測所エリアから、兵舎を見下ろす。古代遺跡のような、不思議な雰囲気を持っている。
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兵舎の横にある水槽。
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水槽の一段下にある便所跡。
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遊歩道を進んですぐの砲側庫。一番左の砲座の外郭にあたる。
手前のエリアは、地区砲兵指令所があった。
遊歩道を進んでいくと、広場にでる。
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広場の中心に円形の窪みがある。戦時中は探照灯が設置されていたとのこと。
非常に暑い日であったが、ここは心地よい海風が吹いており、暑さを感じないところであった。

初稿 2008.03.21
改訂 2008.08.26

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吉見百穴(埼玉県比企郡) [戦争遺跡]

やっとこさ花粉症が治まりはじめ、出不精な穴倉生活から脱出すべく、埼玉へ向った。車を動かすこと自体も久ぶりで、もしかしたらバッテリーがあがってんじゃねぇの?と心配したが、それは杞憂に終わってホッとした。
車を運転すること2時間半、目的地に到着した。
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吉見百穴である。
穴蔵から出てきて、穴を見に来る自分のセンスに酔いしれてみる(w
古墳時代後期の横穴式の墳墓郡で、この穴ボコな岩山のビジュアルがイカしまくり。
このビジュアルから、仮面ライダーやウルトラマンシリーズといった特撮のロケ地としても有名である。ショッカーの基地があったり、ハカイダーが死んだりと、特撮好きにはメッカかもしれない。
明治時代には、この穴にはコロボックルが住んでいたと、真剣に考えられていたという。
非常にファンタスティックだ。
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この岩山は、戦時中の中島飛行機の地下軍需工場の跡が残っている。所謂、疎開工場であり、遺跡を破壊してまで建設していたが、完成する前に終戦となってしまったようだ。
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地下軍需工場の詳細地図。
公開されているのはほんの一部である。
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公開されている部分は、かなり整備されている。
トンネルは4×4mの馬蹄形。
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壁に段々と掘られている箇所がいくつかある。
これが何なのかわからない。
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天井には金具が残っている。
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3つの入口の真中。
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売店裏の入口は、封鎖されて入れない。
崩落箇所はともかく、貯水槽や風呂場といった珍しい箇所を整備して公開して欲しい。
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最後に、桜と一緒に撮影。

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北の丸公園高射砲台跡(千代田区) [戦争遺跡]

北の丸公園から国立近代美術館の前の首都高を渡り、千鳥ヶ淵沿いの遊歩道を歩いてみる。
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ちょっとした丘の中にコンクリが埋まっている。
これは、戦時中に作られた地下壕跡である。近衛師団の庁舎から美術館へと改修される頃は、まだ埋まっておらず、中が見れたとのこと。
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入口は完全に埋まっているが、埋める必要があったのだろうか?そんなに危険な壕ではないと思うのだが...
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西へ向うと、円筒状のコンクリの礎石が現れる。
高射砲台跡とのこと。
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全部で7基。
上部に蓋?をしてベンチとして使われている。
1つ向こうにはおっさんが、さらに向こうにはカップルが座っていた。まさかこのベンチが高射砲の跡とは思ってもみないことだろう。
戦時中の、高射砲が火を放っていた時代が嘘のような空間となっている。
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帝都防衛、特に皇居防衛に配備された高射砲であったが、高高度を跳ぶB29には全く届かず、外れた弾丸が落下して民家に被害を与えたという。
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千鳥ヶ淵を挟んで首都高が走っているが、そんな喧騒なモノが目の前にあっても、静かな時を刻んでいる.....

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戦艦大和ドック(広島県呉市) [戦争遺跡]

入船山記念館からR487を音戸の瀬戸方面へ歩いていくと、「歴史の見える丘」と名付けられたエリアがある。軍都呉の歴史を感じることができる貴重な場所である。
ただ....交通の便があまりよろしくないので、大和ミュージアムと連動して人の流れを作ってみてはどうだろうかと、思ってみたりする。
海上自衛隊呉地方総監部庁舎。
旧呉鎮守府庁舎。
1907年に竣工した2代目の庁舎。
呉のみならず、広島に現存する代表的なレンガ建造物といえる。
中央ドームは空襲で破損。1999年に元の外観に復元された。

見学は日曜日のみなので、要注意。
平日行ったので、受付で申し訳なさそうに断られ、歩道橋から撮影したのが、この写真である。
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呉地方総監部庁舎より数分歩いた丘の上にある噫戦艦大和塔。
1966年に第30回大和進水日を記念して建てられた記念碑。大和の艦橋を模したオブジェで、左右に主砲徹甲弾も設置されている。
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旧呉海軍工廠礎石記念塔。
1982年に、当時残存していた旧呉海軍工廠の礎石を集めて建立されたもの。縁石は堺川にかかる二重橋に使用されてたもので、銘板台座石は旧鎮守府の庁舎建材が使用されている。
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旧呉海軍工廠礎石記念塔と並んで建てられている造船船渠記念碑。
1993年の建立で、旧呉海軍工廠造船船渠の壁石を使って、ドックに下りる階段を再現している
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旧海軍工廠造船船渠。戦艦大和が建造されたドックは、三角屋根があるところ。
屋根は大和を建造してるのを隠すために設置されたもので、当時のまま。
ドックそのものは、埋められて現存していない。
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IHIの敷地内には、旧海軍工廠時代からのレンガ建造物がいくつかある。
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維持費等を考えてドックを潰したらしいのだが、このような歴史建造物は、公民一体となって維持できなかったのかと残念な気がする。現在の大和ミュージアムの盛り上がりを見てると、尚更である。

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旧呉鎮守府長官官舎(広島県呉市) [戦争遺跡]

広島駅より約30分で呉に着く。
戦前の呉は海軍の鎮守府が置かれ、海軍の町そして軍都として発展していった。
戦艦大和が建造されたのは呉の海軍工廠で、それを記念して呉大和ミュージアムが2006年にオープンし、賑わいを見せている。これまで観光事業をことごとく失敗しまくってきた呉市にとって、予想を上回る大和ミュージアムの盛り上がりはうれしいことだろう。
大和ミュージアムに行くついでに、呉に残る軍都面影を探索してみた。

最初に向ったのが、呉市入船山記念館。
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入船山記念館の地は、元は呉鎮守府司令長官の官舎であったところである。官舎は、昭和20年の3度の空襲から免れ、現存している。
写真の門柱は大正3年の建立。
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門を入ってすぐ左側にある、東郷邸。
東郷平八郎が呉に在任中に住んでいた屋敷の離れ座敷を、こちらに移築したもの。
現在は休息場として利用されている。
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旧呉海軍工廠塔時計。
大正10年に海軍工廠造機部の屋上に設置されていたもので、昭和46年に記念館内に移設された。
昭和56年に現在の位置に復元し、今も時を刻んでいる。
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番兵塔。
長官官舎の入口に建っていたもの。
民俗資料館の裏にも屋根の形状こそは違うが、同タイプのモノがあった。
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往来安全石燈籠。
明治17年に旧街道に建てられた常夜燈。
4基あったうちの一つが移築された。
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昭和42年に高烏砲台跡から移築された、花崗岩造りの火薬庫。
現在は展示資料館として利用されている。
要塞の遺構は安全の問題から、内部をコンクリで埋めたり、立ち入り禁止にしてるケースがほとんどだが、このように遺構を修築して、何かに利用するのは賛成である。ただ、できれば移築ではなく、現地でやってほしい。
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館内に設置されている2本の砲身。
説明が全く無い為、何に搭載されていたものなのかわからない。
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旧呉鎮守府司令長官官舎。前部は洋館造で後部は和式造というハイブリッド建築。
司令長官の官舎としてはちょっと小振りで、威張った感じのない、非常に味のある建築だ。 kure9.JPG
屋根瓦が、天然ストレートの魚鱗葺きというのが海軍らしい。
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正面ドアのすりガラスには海軍のトレードマークである、桜と錨のマークが入っている。
官舎は戦後の10年間、占領軍の司令官官舎として使われた。
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後側の和式造。
洋館が接客場で、和式が生活の場となっている。
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民俗資料館に脇に細い階段があったので降りてみると...レンガ造りの倉庫が現れた。
いつ作られたものかは不明だが、戦前からあったものだろう。昔はここが資料館として使われたことがあるらしい。
向いにあるコンクリの建造物は、防空壕の入口。
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防空壕入口は階段脇にもあり、中で繋がっていたらしいが、現在はコンクリで埋められている。
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官舎の前庭の隅にある、水蓄式油槽鉄蓋。
説明板↓
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長官官舎だけでも見ごたえ十分だが、館内を歩きまくって、いろいろ発見してみよう。

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