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金地院(港区芝公園) [江戸の風情]

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竣工から50周年を向え、本来の役目を終えようとしつつも、今なお多くの人が訪れるのが東京タワーである。
その東京タワーの正面に、南禅寺金地院がある。
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家康から家光まで仕え、幕府の「黒衣の宰相」と言われた金地院崇伝が建立した寺院である。
崇伝は幕政にも関与し、武家諸法度・禁中並公家諸法度・寺院法度等の法を起案したと言われる。一方で、強引なまでの手腕は評判は悪く、「大欲山気根院潜山悪国師」や「天魔外道」と呼ばれた。新しい政治体系を作るときは、強引に進めなければならないことも多々あり、世間の評判は悪くなる人がどうしても存在する。明治初期の大久保利通しかり。
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八角形のコンクリの本堂。1956年に造られたそうだ。
こういったジャパニーズモダンなスタイルは、個人的に好きだ。
寺社建築において、コンクリ建築はどうも嫌われがちであるが、こういった野心的なスタイルはいいと思う。むしろ昔ながらの造形を、まんまコンクリで造るのは味が無さ過ぎで、イマイチ好きにはなれないがね。あと、ただのビルってのも何だかねって感じ。
本堂と庫裏を抜けると、墓地がある。
墓地に入って、すぐ右側に盛岡藩、八戸藩南部家の大名墓群が目に付く。
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.....が、もっと目に付いたのが・・・・・・・・・・・

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ええっ~!!これはちょっと....
この物置状態は、ちょっといかがなものだろうか。
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なぜ、ここに日本拳法の看板が放置されているのだろうか?
墓前はちょっと悲惨であるが、大名墓群・石造の透垣、石扉は圧巻。
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伊予西条藩の一柳家の墓。
この五輪塔は、2代目藩主一柳直重のもの。

墓地内に小さな閻魔堂があり、中には石造の閻魔様が安置されている。
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鼻は修築されたようだ。他の十王や脱衣婆はいない。
南部家の大名墓群は、いろんな意味で圧巻である。
維持が大変なのはわかるのだが、なんとかならないものだろうか?

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安蓮社(港区芝公園) [江戸の風情]

青松寺を出て、愛宕下通りを東京タワー方面に歩き、東京プリンスホテルに突き当たる所に安蓮社(あんれんじゃ)がある。
といっても、見た目普通のオフィスビルで、ここが寺院とは気づき辛い。
このビルの1Fの駐車場を進み、右手に墓地があり、ここが寺だということを実感させられる。
で、墓地に入ると.....
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無数の増上寺歴代大僧正の無縫塔群に圧倒される。
無縫塔は僧の墓塔として用いられる塔で、本来は禅僧だけであったが、そのうち他宗でも用いられるようになった。
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善光観智国師の墓。
観智国師は増上寺第12世住職で、増上寺中興開山した。増上寺の住職になったのは1584年で、1599年に後陽成天皇から紫衣の勅許を得、1602年には徳川家康より国師号を授けられた。
増上寺が徳川家の菩提寺となったことから、寺運は隆盛を迎えることとなる。
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墓地の入口から見て、右奥隅にある阿部正次の墓。
家康の譜代大名の阿部正勝の長男で、岩槻藩主のときには、大坂城代に任命され、22年間務めた。その後の阿部家は、備後福山藩に移封され幕末を迎える。
ちなみに、阿部正次は、大多喜⇒小田原⇒岩槻(大坂城番)と移封される。
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海陸軍士戦死者之墓。
第二次長州征伐で戦死した幕府軍兵士の供養塔で、正面の文字は陸軍奉行竹中重固によるもので、裏面の追悼文は勝海舟によるもの。

道から無縫塔の上部の丸い部分が見えなければ、寺と気づかない。
墓地を拝観する際は、寺務所に一言声をかけてからにしたほうがいい。

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青松寺(港区愛宕) [江戸の風情]

愛宕神社から東京タワー方向に1分も歩くと、大きな聖観音像と青松寺の立派な山門が現れる。
曹洞宗江戸3ケ寺の1つで、多くの大名の江戸菩提寺となり、隆盛を誇った寺である。
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山門は、三間一戸の重層門。
中には四天王全てが揃っている二天門である。(全て揃ってる場合も二天門でいいのかな?)
で、3メートルはあろう、この四天王はなかなか見ごたえありなので、じっくりと見たいところだ。
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多聞天
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多聞天に踏みつけられるブリーフの邪鬼
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広目天
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踏みつけられてもポーカーフェイスな邪鬼
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増長天
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増長天に踏みつけられるブリーフの邪鬼
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持国天
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持国天に顔面踏みつけられる邪鬼
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唐門の中門。中門の前には石橋があり、水が流れている。水は清んでいてきれい。
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このお寺は堂宇をはじめ、とても明るく、きれいで非常に居心地がいい。寺社は、古いもの・歴史のあるものばかりが評価されがちであるが、新しくてもこんなにいい寺があるんだよ。
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本堂。
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関東大震災で、全ての堂宇を全焼してしまった。その後本堂は、当時はまだ新しい手法であった鉄筋コンクリートで作られた。
仁王様が本堂の前に立って、護っている。
元は、山門に置かれていたのでは?
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本堂の左側にある座禅堂。
デザインが非常にクールでカッコいい。
堂宇でクールという表現を使うとは思わなかった。
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座禅堂の向いにある観音聖堂。
本堂を中心に座禅堂と観音聖堂がコの字型に配置されている。
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観音聖堂・座禅堂共に、妻側はスモークガラスになっている。何度も言うが、デザインがいい。
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観音聖堂のガラス面の前の池には、ナンバー1ポーズをした、銅製の誕生童子がいる。
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その周りには、象の背中に座っている、4体の花祭童子もいるよ。
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左)誕生童子with花祭童子's
中央)鐘楼
右)山門の2階部。渡り通路があるのだが、柵が閉まっていて渡れず。
十六羅漢像が安置されているとのこと。

勘助地蔵をはじめ、まだまだ見所があったのだが、本堂から奥に行かなかった(行けないと思っていた)ので、見逃してしまった。早々に再訪する予定だ。

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愛宕神社(港区愛宕) [江戸の風情]

愛宕神社は、1603年に桜田山に創建された神社である。
桜田山は標高26mの山で、区内では一番標高の高く、愛宕神社を勧請してからは、愛宕山と呼ばれることとなる。
徳川家康が勝軍地蔵を祀ったことにはじまるのだが、火産霊命・罔象女命・大山祇命・日本武尊を祭神とし、愛宕神社とした。勝軍地蔵は火伏の霊験があるため、京都の本宮でも本地仏として勝軍地蔵が祀られている。
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参道の男坂。
講談「寛永三馬術」でも有名な、86段の急な石段。
マジで急だよ。特に降りるときが怖い。無難に両脇の手すりか真中の鎖を頼ったほうがいい。

この男坂に対し、家光が馬で登れる奴はいないのかという問いに、曲垣平九郎が馬で登り、境内の梅を取って戻ってきたという。この坂を見ると、「そんなことできんのか?」と思うし、平九郎の存在自体が怪しいのだが、実際にこの男坂を上り下りを達成した人物が3名おり、しかも2名は明治以降というのだから、驚きだ。(すげ~よ)
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男坂と狛犬
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女坂と狛犬
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男坂を上ると、石造りの明神鳥居があり、赤い唐門、権現造りの拝殿と続く。
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蟇股には三つ葉葵の家紋が付いている。
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拝殿。唐門と周辺の木々の為、全体がうまく写せないのが悔しいところだ。
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拝殿前の銅鋳灯篭。古くはなさそうだが、パキっとした多角形構造が何故か気になる。
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末社の太郎坊社。
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末社の福寿稲荷社。
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稲荷社の下の小さな狐山。
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大黒天と恵比寿天の祠。
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1779年に門弟が建てた「起倒流拳法碑」。
起倒流は、中国から来日した漢学者陳元贇によって伝えられ、創始された良移心当流からの分派。良移心当流の祖の福野七郎右衛門は、陳元贇から漢学をはじめとする思想等色々と学んだので、こう言われているのだろう。が、起倒流の技法を見る限り、はっきり言って技術的な伝授があった形跡はなく、あくまで思想として影響されただけだろう。
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起倒流は組討がメインの流派で、柔道の祖・嘉納治五郎も学び、柔道の投技の元になった流派で、打撃の拳法色はない。ま、流派の権威付けだろう。
(ちなみに講道館柔道の絞め・関節の技の元になったのは、天神真楊流柔術である)
その他の境内の風景。
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昭和16年に建てられた桜田烈士愛宕山遺蹟碑。
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1864年建立の蜀山人の狂歌碑。
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愛宕山弁財天。
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池。名前はチェックし忘れた。
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愛宕山の山頂には愛宕神社だけでなく、NHK放送博物館もある。
ここではじめてテレビ放送がされ、11年間放送所として使われていた。今は放送博物館として利用されている。
無料だよ。

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真福寺勝軍地蔵銅像(港区愛宕) [江戸の風情]

栄閑院から愛宕神社に向う途中に、外見はただのビルにしか見えない真福寺があるのだが、
その真福寺を通りすぎたところにある横道に、何かのブロンズ像が見えたので近づいてみる。
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勝軍地蔵の銅像だ。
勝軍地蔵とは、甲冑を着け、馬に乗った姿の地蔵菩薩で、
戦勝の意味合いや自分の身代わりになってもらうという願いから、
武士の信仰が盛んであった地蔵である。
穏やかな表情、姿が多い地蔵さんの中では、かなり異色の地蔵さんである。
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この地蔵の由来は、徳川家康が1603年に征夷大将軍に任命された際、江戸に愛宕神社を創建し、
その本地仏として勝軍地蔵を勧請し、別当寺である円福寺に祀ったことからはじまる。
明治になり、円福寺が廃仏毀釈で廃寺となり、真福寺に尊像が移されたが、関東大震災で消失してしまう。
その後の昭和9年に、弘法大師1100年御遠忌記念として、建立されたものである。
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勝軍地蔵は右手に錫杖か鉾を持つのがほとんどだが、こちらのは予願印で一般的な地蔵さんの形である。
また、馬に躍動感があり、尾がピンっと伸びきっており、これも普段見るものと違って面白いところだ。

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興昭院(港区虎ノ門) [江戸の風情]

栄閑院の隣にあるのが、興昭院である。
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こちらは、三門はなし。栄閑院同様、本堂の裏手が墓地となっている。
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境内に入って左側に、銅造の聖観音像と、石造の地蔵像が並ぶ。
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地蔵像の隣の小さな堂の中に、石像の閻魔様が祀られている。
文京区の源覚寺同様、こんにゃく閻魔として親しまれた閻魔様である...が、かなり風化しており、口を開いた憤怒相の閻魔様とはわかりづらい。
天保9年(1838年)に発行された「東都歳事記」にも記載があり、眼病に霊験があるとして信仰され、祈願者の願がせ成就した際には、そのお礼としてこんにゃくを供える習わしとなっていたという。
向いにあった栄立院の木造閻魔(現存せず)も「東都歳事記」に記載されており、閻魔信仰が盛んであったことが伺える。
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本堂は改築されたばかりだと思われ、軒以外の垂木部が塗籠で仕上げられており(コンクリ塗装かも)、白い部分がきれい。
垂木を省略する為に塗ったのかもしれない。
本堂の左手前に置かれている、大きな宝珠。
屋根の上にあった宝珠であろうが、改築した際に、先代のものを化粧治しして置いているのだろうか?

もっと写真を撮りたかったが、デジカメの電池切れでこちらはあまり撮れなかった。代わりにi-Phoneで撮影したのだが、この宝珠はうまく撮れたほう。他のはブレるは、色がイマイチだわで、カメラとしては使い物にならない。(この画像以外はデジカメです)
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栄閑院(港区虎ノ門) [江戸の風情]

天徳寺から虎ノ門方面に1分程度歩くと、青い銅の冠木門が現れる。
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こちらが栄閑院である。
寛永年間に天徳寺の分院として開山した寺で、蘭学者杉田玄白の墓があることで有名である。
先に冠木門と書いたが、控柱があり、しかも控柱と本柱を繋ぐ貫に屋根が付いているので高麗門の形式になっている。
高麗門式木戸門と言ったところでしょうかね。
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境内に入ってすぐ右にある猿塚。
栄閑院は別名猿寺とも言われている寺で、昔猿回しに扮した泥棒が逃げ込んできたが、住職に改心させられ諸国行脚に旅たった。その際、猿を寺が預かったのだが、猿が境内で芸を見せたりして人気者になったことが、猿寺の由来である。
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猿塚の後ろに子安地蔵と多くのかわいい地蔵並ぶ。
その横には1mくらいの福禄寿の石像がある。
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門の左側の隅に、3基の石仏が並べられている。
左より、釈迦如来、聖観音、如意輪観音像。
作風からみて、同じ人が彫ったのだろう。
本堂。
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本堂の手前には、狛犬ならぬ、猿の像が建てられている。
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阿吽の形式は取っていないが、毛並みの感じからしてオスメスかな。
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本堂の右横に、杉田玄白の墓がある。
オランダの医学書「ターヘル・アナトミ」を前野良沢らと翻訳し、「解体新書」を発行した蘭学者である。いまさら説明不要でしょうが...
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(左)左の猿像の後ろにあった石灯篭。さりげなく透かし彫りをしている。
(左2番目)本堂の右側に併設している大黒堂。
(右2番目)阿弥陀堂...かな?
(右)阿弥陀堂の左隣にある水瓶を持つ、オリエンタル風の聖観音像。

小さなお寺であるが、見所が多く、ゆっくりと参拝したい。

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天徳寺(港区虎ノ門) [江戸の風情]

丸ノ内線神谷町駅で降り、桜田通りを一本入った道を虎ノ門方面へ3分程度歩くと天徳寺がある。
天徳寺は、江戸時代は浄土宗江戸四ヶ寺の1つで、江戸城拡張に伴い、1611年にこちらに移ってきた。
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この辺りはビルが林立するエリアであるが、この天徳寺や愛宕山などが、喧騒な中でも静かな雰囲気を出している。
浄土宗江戸四ヶ寺として、江戸時代は広大な寺域を持っていたが、今ではこじんまりとした寺になっている。
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境内に入って左側に2基の墓がある。
篆刻家の高芙蓉と河井筌廬の墓である。
高芙蓉は江戸中期で「印聖」と言われた篆刻家。
河井筌廬は戦前に活躍した篆刻家。
と、説明板に書かれていたが、篆刻について疎い為、知らなかった。
先の墓の右隣には、1mオーバーの比較的大きな石仏と五輪塔が並ぶ。
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順に阿弥陀如来、如意輪観音、五輪塔、聖観音。
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聖観音は、蓮台を持つ立像。
周辺にある石物には三つ葵紋があるので、尾張徳川家が建てたものだろう。ここ天徳寺は尾張徳川家の江戸菩提寺であったためだ。
左横にちょこっと見えている緑泥片石製の板碑は、鎌倉時代に造られたもの。
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2005年に新築された八角形の本堂。
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本堂前にあった台座。円形の跡があるので、灯篭か?
台座の大きさからすると、かなり大きな石塔だったと思われる。境内には分解?された石物がゴロゴロしていたのが気になった。
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鐘堂。
12角形で、起(むく)り屋根という変わった造形。
八角形の本堂といい、多角形が好きらしい。
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大給(西尾藩)家と松平家の墓(号塔?)。
松平家の墓には、「一つ葉葵」の紋が刻まれており、調べると西尾藩松平家のものらしい。西尾松平家と大給松平家(家紋は蔦)との関係がよくわからない。
今後の課題とさせていただきたい。

他に竹腰家(今尾藩主)、松井家(川越藩主)の墓あり。
江戸期には、その他にも多くの大名の江戸菩提寺だったはずなのだが、ほとんど消失?している。境内にも墓域はほとんどない。どこか違う場所にあるのだろうか?

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永心寺(新宿区須賀町) [江戸の風情]

かつて法恩寺と記事を書いていたが、永心寺の間違いでした。

山門は薬医門。
この後いろいろと歩いて気づいたのだが、この界隈の寺は、木造建築の山門自体があるところが少ない。

寄棟造りで入母屋破風の本堂。
破風の内部全体が塗籠(コンクリの塗装かも)というのが城建築っぽい。装飾は、蕪懸魚だけというさっぱり具合が、潔い。
懸魚とは、破風の上部に垂れ下がる装飾部材で、本来は棟木の先端を隠すものである。下に矢印のような形をしたものを蕪懸魚という。

非常にさっぱりとした感じのお寺だった。

名前修正のついでとは何ですが、いくつか画像を追加アップ。
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永心寺と松厳寺の間にある闇坂。
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この辺りでは一番急な坂だと思う。
昔、両寺の樹木が繁っていて、薄暗い坂だったのでこう呼ばれたという。
勝手な推測だが、この手の薄暗い坂で急だと、「暗闇(闇)」坂で、緩坂だと「幽霊坂」と呼ばれるケースが多いような...
今では木々はなくなり、明るい坂になってしまった。

2007.03.30 初稿
2008.12.27 訂正+画像追加
タグ: 江戸の坂
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西應寺(新宿区須賀町) [江戸の風情]

法恩寺を後にそのまま進むと、西應寺に着く。
最後の剣豪榊原健吉の菩提寺でもある。
榊原健吉については、高校時代に津本陽の短編小説で知って以来、好きな剣豪の人物の一人だ。
タイトルは覚えてないのだが、兜割りを題材にした内容だったと思う。
「明治兜割り」だったかな???
墓地は、本堂の裏手にあるのだが、寺の入り口にあった新宿区教育委員会の説明板に区指定史跡となっていたので、墓の前にも説明板が立っているのかと思ったら、それが見当たらす墓地の中をひたすら歩き回って....
結局説明板などはなく、いたって普通のお墓で、これでは見つかり辛いと納得した。
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コンクリ製の本堂。コンクリの特に柱部分を薄茶色で塗る堂をよく見るが、安っぽく感じてあまり好きではない。
そもそも向拝柱や虹梁までコンクリで造る必要はあるのだろうか?強度的には問題ないと思うし。
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本堂の右手に庫裏。

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庫裏の玄関前にあった鐘。
戦災か震災で鐘堂が壊れたのでしょうか。震災後、そのままだったら、戦時中の金属供給令で弾にでもなっただろうから、やはり戦災か。
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区教育委員会の榊原健吉に対する説明板。
墓は、坂道を折りきったところにある桶とかがおいてある小屋の手前を、右に曲がるとすぐの突き当たり。
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2007.03.31 初稿
2008.12.26 画像追加


タグ:剣豪
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