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2016年初詣 上野うっくり編 [寺/神社]

年末に実家の広島に帰ったが、戻ってくる新幹線のチケットは3日は満席で取れず。
いつもなら始発あたりのグリーンなら残っているのだが、2日ですら始発あたりしか空いてなかった。

広島駅発6:19の新幹線で東京に帰ってきました。
東京駅に着いたのは10時過ぎ。

そのまま上野公園に行って、まったり・ゆったりと初詣してきました。

上野公園は、元は徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の境内の一部であり、
いかに広大な寺であったことが実感できる。
上野戦争では、大政奉還に反対する旧幕臣が寛永寺に立て籠もり、その結果反幕府軍(新政府軍)に包囲され、その際多くの堂宇が焼失してしまった。
公園内には寛永寺の名残があるので、初詣で回ったよ。

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清水観音堂。
京都の清水寺を模して造られた堂で、最近斜面の木が伐採されて整備され、本来の姿になったように思う。
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次に向かったのが上野大仏。
上野大仏?と思うかもしれないが、今でも祀られています。
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バゴダの丘を登ると。。。。

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上野大仏。
この様な祀られ方になった経緯を簡単に説明すると、

安政大地震で首が折れて落下。
明治になって大仏殿を撤去。
関東大震災で首が折れて落下。
戦時中の金属供給令で胴体は砲弾へ。
頭部だけ寛永寺が保管されており、大仏が祀られていたこの丘に、このような形で再度祀られいるのである。

今では「もうこれ以上落ちることがない」ことから、合格大仏として親しまれている。
が、とってもシュールな姿ですよね。
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現状受験には縁が無いが、大仏飴と大仏鈴を買った。

次に向かったのが上野東照宮。
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藤堂高虎によって造営され、徳川家光によって改修された東照宮である。

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金ピカである。
2年前くらいに改修が完了し、このような姿になったが、個人的には戦火・天災を潜り抜けた以前の姿のほうが好きですね。

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拝観料を払って、唐門の中に入る。
以前は拝殿内部にも入れたのだが、今は外観を見るのみ。ちょっと残念。

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この後は、アメ横のど真ん中にあり、毎年初詣で参拝している、摩利支天で有名な徳大寺に行った。
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山手線の電車の中からも、御徒町駅から上野駅に向かう途中で見える寺である。
中2階の位置にある、こじんまりとしたお寺だが、アメ横に行くときにはちょくちょく参拝している。
喧噪としたアメ横の中にあって、まったりできるからでしょうかね。

この後はスタバでダークモカチップフラペチーノを買って、まったりと時間をつぶし、
予約をしていたラフィネでマッサージをしてもらった。

それぞれについて過去の記事も合わせて読んで頂くと幸いです。
上野大仏
寛永寺・清水観音堂
上野東照宮


タグ:東京都
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2016年初詣 広島バテバテ編 [寺/神社]

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今年は、1日までは実家の広島ですごし、2日に東京に戻ってきました。

通年の元旦は、まったりと家で過ごして外出しないのだが、2日の朝一には広島を経つので、珍しく1日に初詣に出かけました。

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正月を広島で過ごす場合、必ず行くのが広島東照宮。
この高石垣で城郭の様な佇まいが、非常に好きなんです。
ただ・・・・あまりに並んでいたので、今年は見るだけとして、広島東照宮の裏山である二葉山に鎮座する金光稲荷神社に参拝することにした。

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おみくじで大吉がでると大吉絵馬がもらえるとのことでおみくじを引いてみたら、
見事大吉だったので、絵馬がもらえたよ。
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奥の院が山頂近くにあり、この山頂に前々から見てみたかった物件があるので登頂した。

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たかが標高130mくらいの山だとなめてたが、奥の院につく頃にはバテバテ。
日ごろの運動不足を痛感し、今年は少しは運動をしようとちょっぴり思った次第。
少しだけ言い訳するならば。。。。。階段の幅や高さがバラバラで、非常に歩きづらいんです。。。

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奥の院。
広島の市街、広島湾を展望でき、その眺めでそれまでの疲れが吹っ飛びます。

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奥の院から少し上ると、石垣が出てくる。
山城の櫓台か天守台のような感じだが、これは戦時中の高射機銃陣地跡である。

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ここには写真のような4つの銃座跡と指揮所(観測所)跡が残っており、これが見たかった物件。

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ここから東に向かうと、シルバーでまばゆい仏舎利塔が建っています。
仏舎利塔が建つ山頂の平坦地は戦時中は高射砲陣地で、こちらは遺構はほとんど残っていない。
この仏舎利塔には、インド、ネパール、スリランカから贈られた仏舎利一粒が奉納されている。

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仏舎利塔に祀られている仏像は、スリランカより贈られたもの。
とてもSFチックな感じ。

この仏舎利塔までは車で来ることができ、ここから舗装された一般道で下ってもよかったが、せっかく山道を歩いてきたので、西へ続くハイキングコースを進むことにした。
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20分くらい山道を進むと、明星院の裏に出てくる。
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明星院は、毛利輝元の母の菩提寺で、福島正則が整備した寺。
ここの見どころは、赤穂浪士の木像群。
福島正則の後に広島を治めた浅野家は、赤穂浅野家の本家にあたり、このように義士を祀ったのだが、
討ち入り直後は、本家にも咎が及ぶのを警戒し、とにかく関係無いことを貫いていたという。
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二葉七福神巡りのため、参拝する人は多いのだが、本堂に上がる人は少ない。
ぜひ本堂に上がって、義士木像をじっくり見ることをお勧めします。
以前の明星院の記事

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明星院の西側に鎮座する饒津神社。
安芸広島藩が、始祖となる浅野長政を祀る為に建立した神社。
原爆で壊滅したが、今では立派な鳥居、唐門が建つまでに復興した。

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2005年に復元された両部鳥居も、数年前まではまだ新しく白かったが、赤味を帯びてきて年期が入ってきた。
いい感じ。
で、ここも参拝する人の長蛇の列をみて、立ち寄っただけにして、帰宅の途に就いた。

結局、参拝したのは金光稲荷、二葉山平和塔(仏舎利塔)、明星院の3寺社。

なんだろ、二葉山を登って、山道を歩いて疲れたが、非常に気持ちのいい元旦でした。


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出石城の丹波口を守る寺 経王寺 [寺/神社]

経王寺(兵庫県豊岡市)

出石城は、後に作られた水堀で囲まれた三の丸と、旧城である山頂の有子山城跡の三段構えの城であるが、
さらに城下の寺が防衛機能として配されている。
寺は、戦さの際には、陣所になることが多いが、出石城下には防衛機能をもっているのが特徴。

その1つが、経王寺。

谷山川に掛かる橋から見た山門。
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手前にある櫓のような堂が目に付く。

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鐘楼堂。
二重櫓といっても差し支えない。

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出石城の東側に位置し、京街道の丹波口を守る砦として機能する。
最近修築したのか、漆喰の白がきれいで、下板見張の黒とのコントラストがいい。

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立派な高麗門の山門。
高さのある門で、騎馬武者がそのまま通れることからも、戦闘を意識していることがわかる。

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高麗門は、城の桝形門の一ノ門でよく使われる門だが、扉を開けた時に雨に濡れないように、
控柱の上に小屋根を本屋根と垂直方向に置いた形式の門のこと。

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本堂。
経王寺は、藩主仙石家の菩提寺になっており、4代藩主仙石久行の墓所になっている。

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装飾の少ないシンプルな堂。
賽銭箱には、日蓮宗の寺紋「井桁に橘」

境内にはやたらと焼き物が置いてあるなぁと思ったが、どうやら寺内に工房があるようです。

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松阪城の城門が残る 来迎寺 [寺/神社]

来迎寺(三重県松阪市)

三重の城巡りをした際、松阪城を探索した後に、訪問したのが来迎寺。
松阪城にあった中門が移築されているとのことで行ってみる。

駐車場を探して周辺を走っていたら、車が2,3台停めてるスペースがあったので、
そこに停めたのだが、そこの目の前にあったのが目的の移築城門。

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柱や貫が太い武骨な藥医門。
いかにも城内にあったと感じさせる門。
こちらは裏門なので、表門のほうへ向かう。

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鐘楼門。
来迎寺は、元は別の場所にあったが、蒲生氏郷が松阪城築城の際にこちらに移された。
1716年に松阪の大火によって、裏門以外すべて焼失してしまったが、
三井家の菩提寺であったことから、多額の資金提供により堂宇は再建されたとのこと。
このときに再建された建物は、どれも立派です。
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左右には控所付。屋根には三猿がいる。
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聞か猿

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小壁の彫刻。
表側は躍動感ある狛犬群で、裏側は仙人と鳳凰(朱雀)

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中をのぞいていないが、瓦の梵字が「カ」なので、おそらく地蔵堂か閻魔堂。
蟇股(かえるまた)をそのまま兼ねている変わった貫が印象的な堂。

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仏舎利石塔か何かの慰霊塔。

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五輪塔と芭蕉百回忌に松阪の俳壇が読んだ「芭蕉句碑」の説明板。

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大師堂。
こちらは元三大師が祀られている。
弘法大師とならび、厄除け大師として信仰されている。

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本堂。
再建されたときの建物で、県の重文。
松や周辺が非常に整備されていて、見ていて非常に気持ちいい。

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境内にあった鋳造の阿弥陀如来像。
印は説法印。

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庫裏。違う堂かもしれない。
木の向こうに重層の建築が見えるが、木が邪魔でよく見えない。。。
回り込んで見てみる。
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やっぱり木が邪魔だ・・・
なんだこの木の結界は(w
中に大仏があってもおかしくない堂だ。

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ちょっと朱がのこっている庚申塔と左側には不動明王像。

移築城門があるというので立ち寄ったのだが、見どころ満載な寺でした。

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爆撃機の名にもなった子育て呑龍 大光院 [寺/神社]

大光院(群馬県太田市)

金山城を探索した後に、子育て呑龍で有名な大光院に立ち寄ったよ。

大光院は、徳川家康が一応?先祖とされる新田義重を祀る為に、呑龍上人を招聘して開基した寺。
徳川家の祖が新田家というのは、何とも胡散臭いが、今となってはどうでもいいですかね。

さて開基の呑龍上人ですが、貧しい家の子供を子弟として育てたことから、いまでも子育て呑龍さまとして慕われている。
太田出身の友人に、呑龍さま行ったよと言ったら熱く話をされました(w

戦時中は近くに中島飛行機があり、そこで開発された重爆撃機の名に「呑龍」と付けられた。
この呑龍は前機の九七式爆撃機からはさほど性能アップせず、かつ対ソ連用として満州や中国の北部に配備された為に目立つ活躍も無く終戦を迎えた機体である。

北駐車場に車を停めて、大光院を拝観して行くこととする。

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道沿いに並ぶ庫裏とその付属建物。
北駐車場から反時計回りに回ったので、画像の順序が山門からの伽藍配置になってないです。

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鐘楼堂。
梵鐘は戦時中に供出されたが、昭和31年に呑龍上人生誕400年を記念して再鋳造された。
控柱や腰貫が多くて、ちょっと窮屈な堂だ。

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小方丈。。。たぶん

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本堂前の臥龍松。
呑龍上人手植えの松と伝わっている。

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本堂。
大正時代に大改修されたらしいが、創建の感じをよく出してる建物だと思う。

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大方丈

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昭和8年に建てられた開山堂。
今ではこちらのほうが本堂のようになっている。

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絵馬堂

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手水舎

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童子?が支えている
徳川家の三つ葉葵と新田家の1つ引両の紋入り。

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オリエンタルでちょっとリアルな聖観音像と阿弥陀如来像と猫

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山門の吉祥門。
山門が完成した日に大阪城が落城したことから、徳川家にとってはめでたいということで、
家康から吉祥門と名付けられたという。

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山門から見た本堂。

呑龍上人や新田義重の廟所に参拝し忘れていたので、いつか再訪したい。


タグ: 群馬県
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桂泉院(長野県伊那市) [寺/神社]

前に武田信玄の父、武田信虎の菩提寺として、甲斐の大泉寺の記事を書いたが、
長野県伊那市にも墓があり、高遠城とその周辺を探索した際に立ち寄った。

以前の記事
高遠城
大泉寺
細い道に不安を覚えたが、なんとか到着。
駐車場は結構広いです。

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まだ赤の156 2.0TSに乗っていた頃の訪問です。

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桂泉院の本堂。
元は高遠城内にあったが、江戸期にこちらに移された。
武田信虎は、息子の信玄に甲斐を追放されてから、今川氏に保護を受けていたが、
その今川氏も滅亡すると、移住地を転々としていたが、信玄の死後にこの高遠に身を寄せていたという。

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山門は四脚門。
信虎は甲斐に戻ることを望んで、武田勝頼に懇願したが叶わず、戻れたのは死後であった。

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位牌堂
織田軍の侵攻に対し、高遠城を守っていた信玄の五男仁科盛信の位牌が安置されている。
次々と武田家から離反していく中、織田軍を高遠で食い止めようと最後まで奮闘した武将だ。

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袴腰付鐘楼堂。
この鐘は、織田軍が開善寺の鐘を陣鐘として略奪し、高遠城攻めで使ったもの。
鐘には移動の際に引きずられた跡が残っているが、その跡をチェックするのを忘れてしまった。
鐘は落城後に、高遠城の法幢院曲輪に鐘を吊るして、敵味方の法要を営んだという。

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鐘楼堂は上がれるので、上がってみた。

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裏山にある武田信虎の墓。

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信虎の墓の後ろには、開山の内藤昌月の墓と歴代住職の無縫塔が並んでいる。
内藤昌月は、保科正俊の次男で、内藤家の養子となった人物。

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鐘楼の前に建つ、唐破風付き笠塔婆。
高遠藩士が建てた「塚原卜伝の碑」とのことだが、全く読めない。。。。
おそらく新当流か卜伝流の剣術を学んだ藩士が建てたのだろう。

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山本勘介桜
高遠城を信玄が落とした後に、山本勘助が再築城する際にここから眺めて、
縄張りを行ったと伝わっている。
説明板には「勘介」となっていたが、あまり気にしないことにする。

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ここからの高遠湖や連峰の眺めは非常にいいです。


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大泉寺(山梨県甲府市) [寺/神社]

蟹寺の長源寺に行く前に、武田信虎の菩提寺である大泉寺に立ち寄った。
比較的メジャー物件だったので、武田関連の寺社巡りでも後回しにしてました。

で、甲府城からすぐだろうと思ったら、ナビが車が通れないような道ばかり案内しようとするので、
ナビを諦め、ここだろうと思う道から入ろうとするも、どれも車が通れるような道じゃない。
あきらめて、長源寺に向かおうとしたら、寺の案内の看板が見えたので、
その通り側道に入って進んだらありました。
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乃木坂ちゃんナビ・・・・もう少しがんばってほしいが、こんな感じで見られると。。。

駐車場に車を停めて、寺に向かいます。
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黄檗様式の総門。
元は柳沢吉保の菩提寺であった永慶寺の山門であったが、柳沢氏が大和郡山へ転封に伴い、
こちらに移築されたもの。
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黄檗宗建築ならでは、中華風の厳つい感じが好きです。

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総門には番所も併設されている。
番所ではなく、お供が待機する控所ですかね。

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中門までの杉並木の参道。
凛として気持ちいいです。

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下部に腰貫のような補強がないので、リンク構造で地震でグラグラしそうだな~と思ったら、
ワイヤーで補強してありました。
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中門の脇には、水盤舎と石の太鼓橋。
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水が枯れているので、非常に切ないです。

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中門を過ぎると、左側に鐘楼堂がある。

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本堂。
総門が永慶寺から移築されたとき、禅林院からも本堂が移築されたが、空襲で焼失とのこと。

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武田信虎の墓所である、御霊殿。
中に信虎、信玄、勝頼の宝篋印塔が3基ある。
鍵がかかっていたので、中には入れず。

最後に総門からの参道を今一度。
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長源寺(山梨県山梨市) [寺/神社]

山梨の甲府城を探索しに行った帰りに、前々から行ってみたかったお寺に向かった。

しかしナビ通り行くと、行き止まり・・・・どこだ?

そのお寺はあっちと書かれた看板を見つけて、その方向へ行けど見つからず・・・

結局、看板の位置まで戻って、携帯で位置を調べたら、矢印とは90度違う方向。
そっちに進むと、ブドウ畑の農道になったので、農道の手前の車が数台停めれるスペースがあったので、ここに駐車して徒歩で向かった。
というのは、以前山梨で寺巡りをしていた時に、ナビを信じて車が1台やっと通れる農道をすすんだら、行き止まりになて、恐怖のバックをした経験がよみがえったからだ。

で、農道を5分程度進むと、ありました長源寺が。
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ここは車でそのまま突入しても大丈夫でした。
車、結構止まってました。
この石段には明治までは重層門が建ってたらしいが、台風で倒壊し、今に至っているという。

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萬霊寺?・・・廃寺から移されてのだろうか?

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平成15年に建て替えられた本堂。
それまでは築300年の本堂があったらしい。

で、ここに来たかったのは、化蟹伝説の残る蟹寺と言われる寺だからだ。

伝承はこう・・・
昔、この寺が無住の時に、ある旅の僧が立ち寄った。
すると「両手八足、横行自在にして眼、天を差す時如何」と問う者があり、
旅の僧が「汝は蟹だ」と言って、その者に独鈷を投げると、それは大きな沢蟹だった。
独鈷は背中に当たり、そのあと応戦したあと逃げていき、沢の上流で力尽きていたという。

化蟹が応戦したときに投げつけてきたといわれる石。
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ハサミで挟まれたときに出来たとい穴が開いている。
いいですね~何とでもとれるこの感じ。

力尽きていた蟹の甲羅の裂け目から千手観音が姿を現したことから、
本尊として千手観音を祀ったという伝承がある。
非公開ながら、そのシーンを描いた掛け軸が残ってるとのこと。
観たいもんです。

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書院と庫裏。

本堂では法要が行われており、バタバタしていたので、本堂内は見れませんでした。
また機会を作って、訪問してみます。
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タグ:妖怪 山梨県
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桂林寺(京都府舞鶴市) [寺/神社]

田辺城を探索した後に、赤レンガ倉庫に海軍カレーを食べに行った。
そこで舞鶴の観光パンフ見てたら、幽斎の城下町めぐりという寺町の散歩コースが載っていたので、
次の目的地である福知山に行く前にちょっと立ち寄ってみた。

立ち寄ったのは、桂林寺。
田辺城が西軍に攻められた際に、当寺の和尚が細川幽斎の為に参戦したという。
その後、幽斎から感謝の為に涅槃図が寄進されたというエピソードに興味をひかれた。

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山門は藥医門。

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駐車場を挟んで、仁王門がある。

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普通は、門の中に急な階段が設けられるものだが、この仁王門では2階と同じ高さの回廊が連結されているという、ちょっと変わった構造。
ちょっとした男坂と女坂。足腰が弱い人には便利です。
2階に何が安置されているのかわからないが、定期的に開帳しているのかもしれない。

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参道の階段の最後にある、竜宮門。
この短い参道に3つも立派な門があるのが印象的だ。

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本堂。
訪問したときは、あと3か月後に大観音の開眼法要があるときで、大観音が見れずにちょっと残念。

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手水舎。
にっこり笑った鬼がかわいい。

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玄関と庫裏。

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本堂の右側にある堂。
中が見れなかったので、何堂かわからず。

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観光パンフには、「異国情緒あふれ・・・・」と記載してあったが、
まさか、竜宮門のことか?
タグ: 京都府
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備後護国神社(広島県福山市) [寺/神社]

福山城を探索した際に、北側の駐車場に車を停めたとき、雰囲気のある神門が見えたので、
城探索した後に参拝したよ。

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備後護国神社

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藥医門の神門。
備後護国神社は、阿部神社が鎮座していたところに、昭和32年に福山護国神社が合併したできた神社。
阿部神社は、1813年に時の福山城主が歴代の祖霊を祀ったのが始まりで、
福山護国神社は明治元年に福山城主阿部正恒が函館戦争と石見増田の役で戦死した霊を祀るために建立した招魂社。

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神社の南側からのこの参道は、現在では表参道ではないが、阿部神社時代の表参道。

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神馬殿。

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薄い合板で囲われた神楽殿(だと思う)
なぜこのように覆っているのだろう?しかもこんなに無粋に。

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宮本武蔵の腰掛石。
武蔵が福山を訪れた際に、当時の藩主水野勝成の家臣宅にての饗宴が催され、その宅の庭にあった石に腰かけたと伝わるもの。
その後、藩主が阿部氏になり、老下の宮三郎右衛門の屋敷にて引き継がれていたが、明治になって阿部神社に寄進されたという。
どこまでホントかわからないが、このような伝承は好きですね。

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拝殿
拝殿は南参道からは90度回転させた西向きに立っている。
現在は、西側の参道が表参道となっている。

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福山藩七代目藩主であり、老中筆頭であった阿部の正弘の石像。
不平等条約である日米和親条約を締結したが、その結果開国となり、
この不平等条約を解消させるべく、政治や教育の制度が整備されたことを考えると、
賛否は分かれると思うが日本のターニングポイントにかかわった人物といえる。

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かなり笑っている阿形の狛犬。
たまたまこの角度の撮影では笑ってみえるだけで、実はそうでもない。。。。
画像を見て気付きました。

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吽形の狛犬。

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表参道を下る?と、3×2間の大きな神門がある。
現在は、こちらから参拝することになる。

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この神門は、絵馬殿も兼ねている。

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神門の左右には、護国神社らしく、戦争関連の慰霊碑が立ち並んでいる。

2つの参道を持ち、それぞれ異なる雰囲気を持つ神社である。
タグ:神社 広島県
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