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長野原の防空監視哨 [戦争遺跡]

防空監視哨(群馬県吾妻郡長野原町)

岩櫃城を探索に行った際、そのままロマンチック街道を進んだところにある長野原町に、
戦争時に作られた「防空監視哨跡」があるとのことで行ってみた。

吾妻線群馬大津駅を越えて、大津交差点あたりのコメリ近くという情報だけだったので、
コメリの駐車場に車を停めさせてもらって、探索開始。(一応ジュースを買う)

畑の中らしいので、その方向に歩いたら、すぐありました。

kanshi1.jpg
アクリルの波板屋根のところです。
kanshi2.jpg
進んでいきます。

kanshi3.jpg
kanshi4.jpg
コンクリでなければ、ちょっとした古墳のような感じ。
この監視哨は聴音壕で、敵機の音から機種を見分けて、本部へ連絡していたとのこと。

kanshi5.jpg
上から見てみる。
内側はレンガ作りになっており、しかも壁が中空の2重構造になっている。

kanshi6.jpg
内部はラッパ上になっており、集音しやすくなっている。。。らしい。
当時の全容がどうなっていたのか、気になります。

kanshi7.jpg
こちらの監視哨でどれだけ発見・報告できたのでしょうか。
そういった実話エピソードが記載されていると、より歴史を実感できるんですが。


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コメント 10

kohtyan

聴音壕というのがあったのですか、
戦時中は、いろいろな施設を造っていたのですね。
by kohtyan (2015-12-13 09:37) 

ガンビー

>kohtyanさん
昭和に入って、防衛施設が防空対応に転換していますので、
いろんな施設が新設されてますね。
このようなかなりアナログな施設で、どれだけ早期発見できたか知りたいです。
by ガンビー (2015-12-13 16:38) 

影風響

いやいやいや全然知らなかったです。
軍事防衛施設色々あったのですね、今思うとなんでこのような施設が必要なのってなりますが、当時は必要不可欠だったのかもしれませんです。
戦時中の歴史遺産も時の流れにしだがって少しずつ無くなっていくんですかね。
by 影風響 (2015-12-14 11:29) 

ガンビー

>影風響さん
戦後、ほとんどの施設が破棄され、資料も多くが焼かれたので、
体験者の声がないと、当時の様子はわからないですね。
モノを残すことも重要ですが、体験者の声を残すのも重要ですね。
by ガンビー (2015-12-16 22:23) 

響

近くに飛行場などが有ったのかな?
周りの風景を見る限り
こうした遺構があるなんて思わないです。
by (2015-12-16 22:32) 

ガンビー

>響さん
聴音壕は、近くに飛行場のような騒音バリバリな施設の近くではなく、
このような物静かな場所が適していたようです。
これだけまわりの風景に溶け込んでいると、
ほんと言われないとわからないですね。

by ガンビー (2015-12-17 23:58) 

yu-papa

ご訪問有り難うございます^^
この設備は知りませんが、防空壕の探検をした覚えがあります。
この事が親達にバレ、長~い説教時間が待っていました(凹)
by yu-papa (2015-12-19 11:38) 

ガンビー

>yu-papaさん
私は小学校の頃に、小学校の裏山にあった2・3名用の防空壕群で遊んでいて、初冬の時期でしたが、一人だけ顔面かぶれまくって、学校やすんだ思い出があります。
草木の枯れたその時期になぜかぶれたのか、医者をはじめ皆「??」でした。

by ガンビー (2015-12-19 21:10) 

ねじまき鳥

レーダーがなく、音を聴いていたのですね。
これでは戦争に負けますね。

by ねじまき鳥 (2015-12-19 23:06) 

ガンビー

>ねじまき鳥さん
艦船には敷設運用していたようですが、
防空施設にはほとんど展開されてなかったみたいです。
レーダーの有無だけでなく、兵器を本土決戦用に温存していたことも、
貧弱な防空システムになってしまったと思いますね。
by ガンビー (2015-12-20 19:49) 

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