備後護国神社(広島県福山市) [寺/神社]
福山城を探索した際に、北側の駐車場に車を停めたとき、雰囲気のある神門が見えたので、
城探索した後に参拝したよ。
備後護国神社
藥医門の神門。
備後護国神社は、阿部神社が鎮座していたところに、昭和32年に福山護国神社が合併したできた神社。
阿部神社は、1813年に時の福山城主が歴代の祖霊を祀ったのが始まりで、
福山護国神社は明治元年に福山城主阿部正恒が函館戦争と石見増田の役で戦死した霊を祀るために建立した招魂社。
神社の南側からのこの参道は、現在では表参道ではないが、阿部神社時代の表参道。
神馬殿。
薄い合板で囲われた神楽殿(だと思う)
なぜこのように覆っているのだろう?しかもこんなに無粋に。
宮本武蔵の腰掛石。
武蔵が福山を訪れた際に、当時の藩主水野勝成の家臣宅にての饗宴が催され、その宅の庭にあった石に腰かけたと伝わるもの。
その後、藩主が阿部氏になり、老下の宮三郎右衛門の屋敷にて引き継がれていたが、明治になって阿部神社に寄進されたという。
どこまでホントかわからないが、このような伝承は好きですね。
拝殿
拝殿は南参道からは90度回転させた西向きに立っている。
現在は、西側の参道が表参道となっている。
福山藩七代目藩主であり、老中筆頭であった阿部の正弘の石像。
不平等条約である日米和親条約を締結したが、その結果開国となり、
この不平等条約を解消させるべく、政治や教育の制度が整備されたことを考えると、
賛否は分かれると思うが日本のターニングポイントにかかわった人物といえる。
かなり笑っている阿形の狛犬。
たまたまこの角度の撮影では笑ってみえるだけで、実はそうでもない。。。。
画像を見て気付きました。
吽形の狛犬。
表参道を下る?と、3×2間の大きな神門がある。
現在は、こちらから参拝することになる。
この神門は、絵馬殿も兼ねている。
神門の左右には、護国神社らしく、戦争関連の慰霊碑が立ち並んでいる。
2つの参道を持ち、それぞれ異なる雰囲気を持つ神社である。
城探索した後に参拝したよ。
備後護国神社
藥医門の神門。
備後護国神社は、阿部神社が鎮座していたところに、昭和32年に福山護国神社が合併したできた神社。
阿部神社は、1813年に時の福山城主が歴代の祖霊を祀ったのが始まりで、
福山護国神社は明治元年に福山城主阿部正恒が函館戦争と石見増田の役で戦死した霊を祀るために建立した招魂社。
神社の南側からのこの参道は、現在では表参道ではないが、阿部神社時代の表参道。
神馬殿。
薄い合板で囲われた神楽殿(だと思う)
なぜこのように覆っているのだろう?しかもこんなに無粋に。
宮本武蔵の腰掛石。
武蔵が福山を訪れた際に、当時の藩主水野勝成の家臣宅にての饗宴が催され、その宅の庭にあった石に腰かけたと伝わるもの。
その後、藩主が阿部氏になり、老下の宮三郎右衛門の屋敷にて引き継がれていたが、明治になって阿部神社に寄進されたという。
どこまでホントかわからないが、このような伝承は好きですね。
拝殿
拝殿は南参道からは90度回転させた西向きに立っている。
現在は、西側の参道が表参道となっている。
福山藩七代目藩主であり、老中筆頭であった阿部の正弘の石像。
不平等条約である日米和親条約を締結したが、その結果開国となり、
この不平等条約を解消させるべく、政治や教育の制度が整備されたことを考えると、
賛否は分かれると思うが日本のターニングポイントにかかわった人物といえる。
かなり笑っている阿形の狛犬。
たまたまこの角度の撮影では笑ってみえるだけで、実はそうでもない。。。。
画像を見て気付きました。
吽形の狛犬。
表参道を下る?と、3×2間の大きな神門がある。
現在は、こちらから参拝することになる。
この神門は、絵馬殿も兼ねている。
神門の左右には、護国神社らしく、戦争関連の慰霊碑が立ち並んでいる。
2つの参道を持ち、それぞれ異なる雰囲気を持つ神社である。
宮本武蔵の腰掛石、というのは面白いです。
コメント、ありがとうございました。
by toshi (2015-11-04 02:49)
>toshiさん
有名税でしょうか、
探せばたくさんありそうですね。
by ガンビー (2015-11-05 07:54)