正覚寺(群馬県沼田市) [寺/神社]
真田と言えば、徳川を2度も苦しめた昌幸、そして大阪の役で活躍した幸村が有名だが、
真田家の存亡の危機を乗り切り、基盤を作ったのは、昌幸の嫡子信之である。
文武に優れた武将で、信之は幾多の危機を乗り切ったが、信之を大いに助けたのが、正室の小松姫である。
小松姫は徳川四天王の1人本多忠勝の娘で、一旦家康の養女となってから信之に嫁いだ。
関ヶ原の合戦後、舅である昌幸の沼田城入城を拒んだのは有名。
その小松姫の供養墓が沼田の正覚寺にあるので、行ってみた。
沼田公園から車で3分ほどで、正覚寺に到着。
山門は、正面に千鳥破風と唐破風が付く、厳つい四脚門。
1860年建造と伝わる。この辺りは、このような厳つい門が多い気がする。
山門の右側にある観音堂。
ここの観音様は、沼田坂東33番の札所とのこと。
経蔵?
最近リフォームしたのでしょうか、外観はかなりキレイです。
袴腰付きの鐘楼堂。
墓地の入口の阿弥陀如来像。
肌部分と光背が金色で、他が銅というインパクトある像。
本堂。
住宅と兼ねているようで、本堂っぽくない。
六角堂の地蔵堂。
小さい堂だが、親しみのある意匠だと思う。
墓地を眺めて、大名墓らしき意匠の墓や古そうな墓を見定めて、小松姫の墓を探してみる。
巨大な宝篋印塔があって、それかと思ったが、どうやら違うようだ。
あらためて探してみる....と、霊屋の付近に説明板のようなものが見えたので向う。
小松姫(大蓮院殿)の宝篋印塔。
小松姫は療養の為、江戸から草津へ向う途中、鴻巣(埼玉)で亡くなった。
その鴻巣の勝願寺で火葬され、分骨して同所の勝願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺に葬られた。
境内の端から見た風景。
和むわ~(はんなり風に)
真田家の存亡の危機を乗り切り、基盤を作ったのは、昌幸の嫡子信之である。
文武に優れた武将で、信之は幾多の危機を乗り切ったが、信之を大いに助けたのが、正室の小松姫である。
小松姫は徳川四天王の1人本多忠勝の娘で、一旦家康の養女となってから信之に嫁いだ。
関ヶ原の合戦後、舅である昌幸の沼田城入城を拒んだのは有名。
その小松姫の供養墓が沼田の正覚寺にあるので、行ってみた。
沼田公園から車で3分ほどで、正覚寺に到着。
山門は、正面に千鳥破風と唐破風が付く、厳つい四脚門。
1860年建造と伝わる。この辺りは、このような厳つい門が多い気がする。
山門の右側にある観音堂。
ここの観音様は、沼田坂東33番の札所とのこと。
経蔵?
最近リフォームしたのでしょうか、外観はかなりキレイです。
袴腰付きの鐘楼堂。
墓地の入口の阿弥陀如来像。
肌部分と光背が金色で、他が銅というインパクトある像。
本堂。
住宅と兼ねているようで、本堂っぽくない。
六角堂の地蔵堂。
小さい堂だが、親しみのある意匠だと思う。
墓地を眺めて、大名墓らしき意匠の墓や古そうな墓を見定めて、小松姫の墓を探してみる。
巨大な宝篋印塔があって、それかと思ったが、どうやら違うようだ。
あらためて探してみる....と、霊屋の付近に説明板のようなものが見えたので向う。
小松姫(大蓮院殿)の宝篋印塔。
小松姫は療養の為、江戸から草津へ向う途中、鴻巣(埼玉)で亡くなった。
その鴻巣の勝願寺で火葬され、分骨して同所の勝願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺に葬られた。
境内の端から見た風景。
和むわ~(はんなり風に)
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