SSブログ

沼田城(群馬県沼田市) [城]

沼田城

鎌倉時代より、この地を治めていた沼田氏が、1532年頃にこの地に築城したのがはじまり。
この地は関東と信越の要所な為、上杉、北条、武田家の争奪の場となったが、1580年に真田昌幸が沼田城を攻略し、
昌幸は翌年に沼田城奪還の為に来攻してきた沼田氏を滅亡させた。
武田家滅亡後は、一時的に滝川一益領となったが、その後は真田⇒北条領と変わったが、
北条領の時に、北条氏が真田の城である名胡桃城を攻略したことが、豊臣秀吉の小田原攻めの契機になった。

小田原攻めの後は、沼田には真田信之が入り、沼田城に五重の天守閣を建てる等、近世城郭へと修築した。
1616年に真田信吉が分知立藩したが、1681年に改易となり、城は破却されてしまった。
その後、本多、黒田、土岐氏が入って、明治を迎えた。
破却後の城が、多少は整備されたものの、三の丸の御殿が建てられたくらいという。

二の丸跡の駐車場に車を停めて、攻略開始。
沼田城の縄張り図。真田時代のもので、五層の天守が描かれている。
numata2.JPG
二の丸(縄張図上部の郭)はグランドになっており、周辺が土塁に囲まれている。
numata1.JPG
本丸への虎口。
土塁はどこまでが現存なものなのか不明だが、二の丸形状はおおよそグランドのままだろう。
numata3.JPG
二の丸と本丸の間の馬出しだった郭。
一部テニスコートになっており、その脇にわずかながら水堀とその石垣が残っている。
numata4.JPG
堀というより、貯水池っぽい空間である。

numata5.JPG
本丸。
非常に色鮮やかで、ぶらり散歩には最高な雰囲気です。
numata6.JPG
利根英霊殿。
この後ろの小山が天守閣跡である。
15mの高石垣と五層天守が建っていた面影は全く無い。
小山を掘れば、石垣が出てくるのだろうか?そもそもが眉唾っぽい感じさえ受ける。
numata7.JPG
本丸の隅に建つ袴腰付鐘楼堂。
鐘は、真田信吉がつくらせた、県文となっているモノのレプリカで、今日でも朝夕に時の音を響かせている。
numata8.JPG
本丸の西隅櫓の櫓台の石垣。
近世城郭らしさが感じられるのは、この隅櫓周辺だけ。
周りを歩いてみる。
numata9.JPG
numata10.JPG
周って、櫓台越し(右側)に鐘楼を見る。
numata11.JPG

そのまま、捨曲輪の方へ歩く。
numata12.JPG
捨曲輪の端からの眺め。
numata13.JPG
月夜野の方で、名胡桃城はすぐ近くである。
numata14.JPG
捨曲輪にある沼田平八郎首石。
平八郎は、この地を治めていた沼田家12代顕秦の子で、沼田の地を追われて会津に逃げていたが、沼田城奪還の為、挙兵し沼田に迫ったが、真田昌幸の謀略により殺害されてしまった。
その首実験の際に、首を置いたとされるのが、この首石である。

numata15.JPG
天狗堂。中には大きな天狗面が納められていた。
天守台の小山と捨曲輪の間にある小池。
numata20.JPG
堀の名残かどうかは不明だが、ただの湧水の池か?
numata16.JPG
現在の公園の正面ゲート。
ここの駐車場付近が三の丸だったところ。
numata17.JPG
駐車場の端には、三の丸土塁が残っている。
numata18.JPG

numata19.JPG
公園内にある旧生方家に展示してあった、沼田城天守閣の復元模型。
かっけ~
nice!(10)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

nice! 10

コメント 2

ノリパ

真田太平記にもよく出てくる沼田城、こんな感じなんですね。そのうちに
それがしも行ってみたいですね。
by ノリパ (2010-05-22 09:51) 

ガンビー

真田はどこに行ってもヒーローですね。
後に入った方々の肩身が、ちょっと狭いです(w
この辺りは、真田家が北条や徳川、上杉と張り合った場所なので、
戦国好きには堪らないと思います。
by ガンビー (2010-05-25 00:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。