撰要寺(静岡県掛川市) [寺/神社]
横須賀城の近くにある撰要寺は、横須賀城を築城した大須賀康高が創建した寺である。
また康高の菩提寺であるとともに、その後の城主の菩提寺にもなり、遠州一の寺格を誇ったという。
横須賀城探索と本源寺拝観後に、撰要寺へ向った。
参道の階段前のちょっとしたスペースに車を停めて、山門へ。
安政の大地震によって海岸線がここから離れてしまったが、地震以前では、
この小高い丘に立つ境内からみる風景は、さぞかし風光明媚だったことだろう。
ここの山門は、横須賀城の不開門が、明治に廃城になった際に移築されたもの。
貫の部分に「丸に立葵」の紋が付いており、本多家が城主時代の建築だろう。
もう1つ紋があった形跡があるが、大須賀家の九曜の紋か、浄土宗の紋がついていたのだろうか。
よく見ると、朱色が所々に見られることから、この門は赤門だったのだろう。
裏側から見てみる。
奥行きのある、比較的大きな門だったことがわかる。
扉は、透扉となっている。
町文化財に指定されている割には、なんか粗末な感じです。
県文くらいにならないと、修築をなかなかできないんですかね。
本堂。
手前の木のせいだろうが、微妙に南国テイストの雰囲気がある。
本堂の左手前にある大須賀家の宝篋印塔。
初代の大須賀康高と二代と五代の墓である。
墓地には、本多家やその一族、各城主の家臣の五輪塔が多くあるらしいのだが、
訪問当時はあまり大名墓に興味がなく、スルーしました。
今では要チェックなのだが....
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□横須賀城(大須賀康高が築城した城)
□久留里城(徳川家康が関東入封後、大須賀家が入った城)
また康高の菩提寺であるとともに、その後の城主の菩提寺にもなり、遠州一の寺格を誇ったという。
横須賀城探索と本源寺拝観後に、撰要寺へ向った。
参道の階段前のちょっとしたスペースに車を停めて、山門へ。
安政の大地震によって海岸線がここから離れてしまったが、地震以前では、
この小高い丘に立つ境内からみる風景は、さぞかし風光明媚だったことだろう。
ここの山門は、横須賀城の不開門が、明治に廃城になった際に移築されたもの。
貫の部分に「丸に立葵」の紋が付いており、本多家が城主時代の建築だろう。
もう1つ紋があった形跡があるが、大須賀家の九曜の紋か、浄土宗の紋がついていたのだろうか。
よく見ると、朱色が所々に見られることから、この門は赤門だったのだろう。
裏側から見てみる。
奥行きのある、比較的大きな門だったことがわかる。
扉は、透扉となっている。
町文化財に指定されている割には、なんか粗末な感じです。
県文くらいにならないと、修築をなかなかできないんですかね。
本堂。
手前の木のせいだろうが、微妙に南国テイストの雰囲気がある。
本堂の左手前にある大須賀家の宝篋印塔。
初代の大須賀康高と二代と五代の墓である。
墓地には、本多家やその一族、各城主の家臣の五輪塔が多くあるらしいのだが、
訪問当時はあまり大名墓に興味がなく、スルーしました。
今では要チェックなのだが....
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□久留里城(徳川家康が関東入封後、大須賀家が入った城)
立派な門ですね。お城からの移築物件なんですね!
by ノリパ (2010-04-29 17:30)
多少改変はあるとは思いますが、
城の建物遺構が現存しているとうれしいもんですね。
by ガンビー (2010-04-30 14:45)