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満光寺(長野県伊那市) [寺/神社]

江戸時代、武家諸法度により、大名は年毎に江戸と領地を行き来し、大名妻子は江戸住まいとされた。
よって、大名の菩提寺が江戸と領地の両方にあるのがほとんどである。
藩主は両方に墓があるケースが多いが、妻子は江戸のみ、一族は領地のみとか、墓石の形式が違うとか、大名墓群は様々なケースがあり、江戸と領地の両方の菩提寺を見比べるのは面白い。

さて、話を伊那市高遠に振ってみる......
高遠藩は当初は保科家が藩主であったが、後に内藤家が入った。
現在の東京の新宿一帯を拝領していた内藤家で、新宿は本来「内藤新宿」を略したものだ。
内藤家の江戸菩提寺は、新宿にある太宗寺で、エンマ寺とか江戸六地蔵の寺とかで有名。
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写真は、太宗寺のエンマ様と江戸六地蔵。

で、高遠藩の内藤家菩提寺は、満光寺。
建福寺に行った後、そのまま徒歩で満光寺に向った。

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山門は四脚門。
屋根がかなり撓んでいるのが、気になった...

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山門から入って、すぐ右側にあるエンマ堂。
額が無いので、中を除くまでエンマ堂とはわからなかった。
堂の手前には庚申塔や二十三夜塔が建ち並んでいた。付近から集められたのだろう。

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満光寺の見所である、鐘楼門。
1744年の建築で、科の木で造られているとのこと。
この門以外の伽藍は、明治時代に焼失してしまい、江戸時代から伝わる建物はこの門のみ。
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後ろから見てみる。
階段はあるのだが、二階入口が塞がれており、二階へ上がれなかった。

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信玄の弟繁信が高遠城主であったときに、自ら植えたと伝わる「極楽の松」

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屋根の反りが激しい本堂。
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正面から見るとわかりやすいが、屋根(大棟)の幅がかなり狭いので、
妙なバランスの建物になっている。

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戦没者・満蒙開拓殉難者位牌堂。

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内藤家墓所。
唐破風付き石塔が1基あり、その他は宝篋印塔。
ところどころに赤が残っている。
宝篋印塔の一部に赤っぽくなっているものを見かけるが、何か意味があるのだろうか?
(単に拓を取ったときの朱の墨かな?)

昼過ぎとなったので、ナビやiPhoneで店を探す。
近くに古民家を改築した蕎麦屋を見つけたので、そこへ向ったのだった。
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ノリパ

高遠の地も行ってみたいです。昔から、伊那の地は通り過ぎるだけなんで。
本堂の屋根は、激しい角度ですね。なんかノッポさんの帽子みたいデス。
by ノリパ (2010-03-20 18:26) 

ガンビー

中央道で伊那方面へ行ったのは、これが初めてでした。
飯田とか行ってみたいものです。

本堂は、何かに似てるなと思っていたのですが、
ノッポさんでしっくりきました(w
by ガンビー (2010-03-21 21:09) 

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