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大坂城内の戦争遺跡 [戦争遺跡]

明治になり大阪城内には、陸軍の大阪鎮台が置かれ、その後大阪鎮台は第四師団となった。
また周辺には、大阪砲兵工廠も建てられ、戦前には東洋一の軍需工場地帯にもなっていった。
終戦間近に一帯が大空襲により被害を受けたが、今でも幾つかの遺構をみることができる。
大坂城探索をした際に、これらの遺構も見て回った。

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桜門の対面にある、大坂城公園城内詰所の門。
この門は、陸軍刑務所の門である。
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軍法会議で判決を受けた軍人が服役した刑務所で、今では建物は無く、この門と外壁だけ残っている。

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本丸南側の空堀に、地下壕の入口が残っているのだが、草ボーボーで特定できず。

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本丸に建つ、第四師団司令部。
昭和6年に完成し、昭和15年に中部軍司令部の管轄となった。
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ドイツの古城を模してデザインされたとされる建物で、天守閣が復元される際に集められた市民の募金を使って建てられた。
これは、天守閣を復元し、軍用地である城内を公園化するのを認める代わりに、募金を使って建てたというわけ。
軍縮で財政難となっていた軍部と、市民の願いが一致したってことですかね。
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ちなみに市民から集まった募金は150万円。
そのうち天守閣には48万円、この司令部には80万が使われた。
ちょっと・・・比率おかしくねぇ(w

この一帯は、終戦間近の8月14日に大空襲があり、大きな被害を出した。
その痕跡を、天守閣の石垣に見ることができる。
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南西側に残る1t爆弾による焼け跡。

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北東側の1t爆弾による衝撃跡。
衝撃によって、石垣がズレてしまっており、爆発のすさまじさを物語っている。

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西の丸も高麗門の近くに置かれている唐風の狛犬。
白玉石製の狛犬で、明代のものとされる。
昭和15年に、中国に進駐していた日本軍より、修理する兵器とともに送られてきたもの。
戦後に返還の動きがあったが、日中友好として、中国から大阪市に寄贈された。

京橋出てすぐのところに、砲兵工廠の化学分析場の建物が残っている。
ネオルネサンス風の建物で、大正8年に建てられたもの。
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戦後は大阪大学工学部として使われたこともあったが、現在は使われておらず閉鎖されている。
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建物を横から見たところ。
ぜひ保存して欲しい物件である。
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砲兵工廠の石碑。

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化学分析場の前にあるレンガの建物。
一見倉庫のようだが.....便所である。
もちろん今は使われていない。

昭和59年まで砲兵工廠の本館が現存していたが、大坂城ホールを建設の為、
保存に対する市民の声もむなしく、取り壊された。
化学分析場はなんとか残して欲しいもんだねぇ
タグ:戦争遺跡
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コメント 3

ノリパ

いろんな遺構があるんですね。お城だけじゃないんですね。
しかし、トイレも昔はモダーンな感じだったんでしょうね。
by ノリパ (2009-12-26 18:04) 

響

これは関西へ行った時は見てみたい場所ですね。
廃墟チックな砲兵工廠の化学分析場が特にいいです。

by (2009-12-27 06:04) 

ガンビー

>ノリパさん
経済的に中心都市であった城には、陸軍師団の拠点になったケースが多いですから、
その遺構も結構あって、それも見所だと思いますよ。
近代建築にあまり興味ないと、完全にスルー物件ですが、
それも城の歴史だと思えば、見方が広がって面白いですよ。

>響さん
化学分析場は現在使用されていないとのことですが、
人の出入りの形跡はあって、管理はされているようです。
空堀の地下壕入口をチェックするなら、草が枯れている冬がお勧めです。
by ガンビー (2010-01-02 02:35) 

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