伏見桃山城(京都市伏見区) [城]
伏見桃山城....
戦国期に実在した城ではない。
豊臣秀吉が築いた伏見城の徳善丸辺りに、昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドが開園した。
そのランドマーク的な建物が伏見桃山城である。
一時は年間100万人の入場者があったが、入場者が年々減少していき、惜しまれつつも2003年に閉園した。
多くの遊具は撤去されたが、桃山城は市民の要望もあり、残されることになった。
そんな伏見桃山城を見に行った。
キャッスルランドの跡地は、伏見桃山城運動公園となっている。
キャッスルランドの城門風の旧ゲート。
遠くから見るとなかなかカッコいい櫓門だが、近づくと切符売り場等が、遊園地であったことを物語る。
5重の大天守と3重の小天守の連結式天守群。
古式の大型望楼型天守閣で、これがなかなかデザインがいい。
実際の伏見城の姿は資料が少ないのでわからないが、建立当時のイメージはよく表現できているのではないかと思う。
虎口型の石垣と、奥に見える城門風の天守入場口。
小天守と大天守と連結している多聞櫓。
入場口の横を進んで、天守を見上げてみる。
ぐるっと回って、天守群を見る。
2003年に閉園してから、しばらく立ち入り禁止だったが、2007年に公開されるようになった。
訪問したのは公開して間もなくだったのだが、それから2ヵ月後には、
映画「茶々・天涯の貴妃」の撮影で大阪城として使用される為に、かなり化粧直しされたとのこと。
その後、正月ドラマの「寧々・おんな太閤記」でも大坂城として使われた。
確かに、秀吉時代の大阪城に似てるかもね。
伏見城の本丸は、明治天皇の桃山陵となっているため、立ち入りができない。
桓武天皇柏原陵と明治天皇桃山陵の間にある治部池。
伏見城の内堀であると言われている。
戦国期に実在した城ではない。
豊臣秀吉が築いた伏見城の徳善丸辺りに、昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドが開園した。
そのランドマーク的な建物が伏見桃山城である。
一時は年間100万人の入場者があったが、入場者が年々減少していき、惜しまれつつも2003年に閉園した。
多くの遊具は撤去されたが、桃山城は市民の要望もあり、残されることになった。
そんな伏見桃山城を見に行った。
キャッスルランドの跡地は、伏見桃山城運動公園となっている。
キャッスルランドの城門風の旧ゲート。
遠くから見るとなかなかカッコいい櫓門だが、近づくと切符売り場等が、遊園地であったことを物語る。
5重の大天守と3重の小天守の連結式天守群。
古式の大型望楼型天守閣で、これがなかなかデザインがいい。
実際の伏見城の姿は資料が少ないのでわからないが、建立当時のイメージはよく表現できているのではないかと思う。
虎口型の石垣と、奥に見える城門風の天守入場口。
小天守と大天守と連結している多聞櫓。
入場口の横を進んで、天守を見上げてみる。
ぐるっと回って、天守群を見る。
2003年に閉園してから、しばらく立ち入り禁止だったが、2007年に公開されるようになった。
訪問したのは公開して間もなくだったのだが、それから2ヵ月後には、
映画「茶々・天涯の貴妃」の撮影で大阪城として使用される為に、かなり化粧直しされたとのこと。
その後、正月ドラマの「寧々・おんな太閤記」でも大坂城として使われた。
確かに、秀吉時代の大阪城に似てるかもね。
伏見城の本丸は、明治天皇の桃山陵となっているため、立ち入りができない。
桓武天皇柏原陵と明治天皇桃山陵の間にある治部池。
伏見城の内堀であると言われている。