田中城(静岡県藤枝市) [城]
田中城 1570年に武田信玄が今川氏の支城である徳一式城を攻略し、馬場信房に改修させ、田中城とした。 田中城は、他に例を見ない円郭式で、方形の本丸を、円形の二の丸、さらに三の丸が囲む縄張り。 二の丸や三の丸は三日月堀を持つ馬出しという、甲州流の技法が随所に見られた。 武田家滅亡後は、駿府にいた家康の鷹狩りの際の宿泊場となり、本丸は田中御殿として整備され、 その後は、譜代大名が立ち代り入り、本多氏で明治を迎えた。 ちなみに家康が、天ぷらを食べて倒れたのは、この田中城である。 現在、田中城はほとんどが市街地化してしまったが、三の丸藩主下屋敷跡に、「田中城下屋敷」として、本丸の建築物を移築して公開されている。 | |
案内板にあった縄張り図。 円形は死角が出来ないのは確かだが、馬出しとセットになることで、より強固な防御性を手に入れることになる。 | |
下屋敷の入口。 貫門が印象的だ。 | |
門を入ってすぐ左側に建っているのは、御亭と呼ばれる、本丸に建っていた2階櫓。 明治になってから田中城には高橋泥舟が入ったが、その配下である村山氏がこの櫓を払い下げて、住宅として移築したとのこと。 この櫓は本丸の南東の隅櫓として、3m程度の石垣の上に建っていたという。 | |
長楽寺村郷蔵。 郷蔵は、飢饉に備えた非常米を保存する蔵で、村役人が夜番していたという。 1843年に建て替えられたことが、柱に書かれているとのこと。 | |
仲間部屋。 田中城内にあった長屋門に付設されていた納屋。 鬼瓦には本多家の家紋が刻まれており、また安政6年と書かれた板材が発見されているので、そのころの建立だろう。 | |
納屋の奥は、厩となっている。 タテ髪にハリがなく、のっぺりしているが、ちょっとかわいい。 | |
数奇屋造りの茶室。 元は田中藩家老の茶室であったと伝わるが、さらには下屋敷藩邸にあった茶室といわれている。 | |
園内は、下屋敷庭園が文献より復元されており、そこに「家康公お手植えの蜜柑」が植えられている。 かなり眉唾だが、どっかから分けてもらったのかね。 | |
旭傳院に田中城城門が移築されている。 大きさからして、敷居門だろう。 両脇の塀に角度が付いていて、ちょっとカッコイイ。 | |
城跡はほとんど市街地と化しているが、堀は所々残っているので、時間があればゆっくり歩きたいところだ。 |
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